2月6日
敦希の命日…
早6年が経ちました。
敦希との記憶は、家で一緒に過ごした日々の方が長いのに、頭に思い浮かぶのは苦しい再入院の時のことばかり。
最期の瞬間は忘れることはありません。
最近はあまり考えなくなっていたけど、命日が近付くにつれて頭の中は当時を回想し、一人になる度ずっと考えていました。
どうしていたら敦希を救えていたのか
服薬のみで在宅生活を送れていたのに、なぜ急降下してしまったのか
なぜ急変して心臓が止まってしまったのか
もしあの時、一命をとりとめることができていたら…
転院して、回復していた?
移植登録になっていた?
でも、当時は小児用の補助人工心臓が治験のみの使用で台数も3台のみ。
大人と同じ補助人工心臓を装着することを余儀なくされていたのかもしれません。
やはりその先の道はかなり厳しいものだったであろうと想像します。
今の医学で考えると、敦希はもっと長く生きることができていたんじゃないかな、とも思います。
そんなこと考えたって現実は変わらないことは分かっているのに、あの時こうしていれば…と、たらればが尽きません。
敦希に関しては本当に後悔が多いので、きっとこれからも色々と考えながら生きていくのかな。
6年も経つと、敦希の話をしてくれる人はいません。たまに夫とするくらい。
後に三男も亡くなっているから、触れちゃいけないみたいな感じになっているのかもしれませんが。
私たち夫婦も心に蓋をして生きているからかな。
長男も成長と共に敦希の記憶も薄れ、話もあまりしなくなりました。
寂しいけど仕方のないことなのかなと思っています。
あの頃に戻りたいなぁ…
敦希が生きていたら、4月からは1年生。
同じ時期に生まれた同級生たちはみーんなすくすく成長しているのに、敦希だけいない…
そう考えると本当に辛くて苦しいし、ついつい卑屈になります。
敦希に会いたいなぁ。
今では敦希がいない生活に慣れ、考えないよう考えないよう生きている自分が薄情にも感じます。
時の流れは本当に残酷です。
あっという間の6年。
6年経ってもお花を届けてくれる人がいることに感謝です。
命日当日は、
涙が出ませんでした。
すっかり泣けなくなってしまった自分がいます。
それも辛い。
あっくん
守ってあげられなくてごめんね。
元気な体で生むことができなくてごめん…
でも、
やっぱり思うのは、
生まれてきてくれて、ありがとう!