拭えない思い | 心筋緻密化障害の兄弟の奇跡☆

心筋緻密化障害の兄弟の奇跡☆

3人の母です。

次男と三男は心筋緻密化障害(心筋症)をもって生まれてきました。

次男と三男の闘病記録と、亡くなった後の私の日々の気持ちを書いています。



私は、敦希以上に三男には何もできませんでした。


母乳をあげることも、抱っこをすることも…


三男の病気が分かった時、敦希が亡くなった後に得た知識や情報があったし、小児心不全の医療の進歩も知っていました。


だからこそ「三男は大丈夫!次こそは絶対に守る!」と思っていたし、ブログにもFacebookにもタイムラインにも同じことを書きました。





でも…現実は思った以上に厳しい状況でした。


三男は最重症の心不全に加えて、極低出生体重児。


『極低出生体重児で最重症の心筋緻密化障害の症例は国内ではほぼない』


前向きだった私ですが、さすがにこの言葉を聞いた時には落ち込みました。


極低出生体重児であるがために受けられる治療には限りがあり、血圧を維持するための薬は心臓に負担がかかるもの…





私は三男の闘病中、何度も何度も思いました。


前置胎盤なんかにならなければ…


早産にならなければ…


小さく産んでしまったことに、大きな罪悪感があり、自分を責めました。





でも、そんな時に先生に言われました。


『早産で産まれていなければ、三男くんは生きて産まれてくることはできなかったでしょう。早く産んだからこそ、治療することができたんですよ』


私はこの言葉に、すごく、すごく、救われました。


私が前置胎盤になり早産になったことにはちゃんと意味があって、三男は生きるために産まれてきてくれたんだ!


そう、前向きに考えることができるようになりました。





しかし、三男は亡くなりました。


心肺停止になった時、やっぱり私は思いました。


もっと体が大きければ…


もっと体重があれば、エクモをつけることができていました。


でも、4500gあった敦希でさえ、エクモをつけることはできませんでした。


極低出生体重児の三男には到底無理なこと…


私は三男の命を諦めるしかありませんでした。





自分の無力さが本当に情けなくて情けなくて悔しかった…


あれだけ「絶対に大丈夫!」と自分で言っておいて、結局、私は何もできませんでした。





実は、三男は亡くなる前日、BNPが18000でした。


今までたくさんの方のブログを拝見してきましたが、見たことのない高い数値。


※ちなみにNT-proBNPではありません


数値を聞いた時、私は愕然としました。


BNPはあくまで数値であって、大切なのは心臓全体をみること。


敦希の時の経験からそう考えるようにしていましたが、18000という数値を聞いて、『心臓の限界』という言葉に私は頷くしかありませんでした。


健康な人のBNPは20以下と言われています。


なのに18000だなんて…


三男は生後10日目にはBNP46まで良くなっていました。


なぜ急降下してしまったのか。


これが心筋緻密化障害の怖さなのかもしれません…





今、こうやって振り返ってみると…


三男が無事にこの世に誕生してくれたことは奇跡だったのかもしれません。


小さな小さな体で、最重症の心臓で、2ヵ月生きていてくれたことも奇跡なのだと思います。


でも、もっともっと生きていてほしかった…


もっともっと三男の成長を見たかったです。


今でも悔しくて悔しくて仕方がありません。





来月で三男を出産して1年になります。


もう、本当に意味が分からないくらい、あっけなく時間が流れています。


悲しくなるので考えないようにしていますが、ふと「もうすぐ1年か…」と思った時、何とも言えない気持ちが込み上げてきました。





心筋緻密化障害は心不全を発症する年齢が早ければ早いほど、予後は悪いと言われています。


新生児期に発症した敦希。
(後に恐らく胎児期からでしょう…と言われました)


胎児期に発症した三男。


このことが何を意味するのか、十分に理解しているつもりです。


もし、あの時、三男の命が助かっていたとしても、きっとその先は険しい道のりだったでしょう。


それでも私は三男の命が助かるなら、突き進んでいきたかった…


悲しさ、悔しさの次に残る感情は無で、虚しさだけが残っています。







同じ病気で幼くして亡くなっている子どもたちがたくさんいることは重々承知しています。


でも、生きている子どもたちもいます。


なのに、うちはどうして2人とも…


その思いは一生拭えません。