9.私の入院生活 | 心筋緻密化障害の兄弟の奇跡☆

心筋緻密化障害の兄弟の奇跡☆

3人の母です。

次男と三男は心筋緻密化障害(心筋症)をもって生まれてきました。

次男と三男の闘病記録と、亡くなった後の私の日々の気持ちを書いています。


三男が誕生直後にまさかの転院…
全くもって予想外の展開でしたが、どうにもこうにも動けない私はどうすることもできないので、ひとまず三男のことは旦那にお願いし、まずは自分の体を回復させることに努めました。

と言っても、しっかり休んで、食べて、飲むくらいしかできませんでしたが。

帝王切開でかなりの出血量があったため、翌朝の採血でヘモグロビンの値は7.1
(正常値は12~)

お腹の傷は縦に13㎝くらい、子宮の傷は逆T字型に2箇所切ったと教えてもらいました。
術中に出血の影響からか一時的に血圧が低くなったらしいです。

本来、翌日から体を起こす練習をするのですが、私は貧血で少しでも体を起こすとクラクラしていたので、丸2日はベッド上で安静にするように言われました。

最初はまだ良かったけれど、傷の痛みを避けるためにずっと仰向けで寝ていたため、2日目からは背中や腰が痛くて辛かった記憶があります。

もちろん傷の痛みや後産の痛みもあったので、痛み止めを使ってひたすら耐えました。

あと、貧血の影響なのか、術後4日くらいはスマホのラインの文字がずっと歪んで見えていて、常に目の前がチカチカしていました。

術後2日目。
挿管の影響で気管に痰がたまり、ゼロゼロに。
まだまだお腹の痛みで咳ができず、何度も息が吸えなくなり、恐る恐る咳払いをしていました。
夕食からおかゆ食開始。

術後3日目。
医療用麻薬、点滴の抗生剤が終了。
ようやく何とか体を起こせるようになり、尿道カテーテル?バルーン?を抜いてもらい、自由に歩くことができるように。
シャワー開始。普通食開始。搾乳開始。

術後4日目。
下腹部の玉結びのところだけ抜糸
採血でヘモグロビンは7.6
早く退院したかったけれど、値がまだ低いので、3日後の検査で良ければ退院が決まると言われました。
足の甲と足首のむくみが出てくる

私が入院中に三男のためにできることは、3時間毎の搾乳だけ。幸いにも母乳はよく出ていたので、早い段階から自分で定期的に搾乳器で搾乳をして、母乳パックに入れ、病院で冷凍してもらっていました。

術後5日目。
長男が面会に。
「あれっ?かーちゃん、お腹へっこんでるー!」とお腹を触られそうになり、「やめてー!」とヒヤヒヤしました。三男が生まれたことは伝えていたけど、まだ病気のことは伝えていなかったので、無邪気に喜ぶ長男の姿に何とも言えない気持ちになりました。

徐々に体調が戻ってくると、早く三男に会いたい気持ちが大きくなってきて、涙しながら搾乳をすることもありました。でも、人には絶対弱みを見せたくなかったので、明るく振る舞っていました。

振る舞っていたというより、気を張っていた…かな。

出産直後に三男の病気が発覚して転院したこともあり、医師も助産師さんも頻繁に様子を見に来て、私の精神面を気にしていた気がします。

ある助産師さんは「何事もなく無事に出産できたのに、赤ちゃんと同室になるのが怖い…なんてお母さんもいるから、本当に贅沢な話よね」と涙ぐみながら私に話してくれました。

私の出産を担当してくれた助産師さんも私の精神的なところを心配してくれていましたが、私が前向きに話すのを聞いて、「何だかこちらが元気をいただいてしまいました」と涙ぐんでいました。

この頃の三男は順調に点滴が少なくなっていて、人工呼吸器もはずれていました。

だから私もそこまで不安にならずにいられたのかもしれません。ただ体が回復し動けるようになると、三男に会えないもどかしい気持ちが出てきました。

同室のお母さんたちは午後になるとNICUに面会に行くのに、私は会いに行けない…

でも、私はこんなことでクヨクヨしている訳にはいかない。
早く退院したい!
その思いでいっぱいでした。

そんな中、私にはストレスがありました。

それは同室の妊婦さん。
切迫早産で入院していたようですが、つわりで思うように食事がとれないようでした。

正期産までまだ日にちがあり、退院なんてできない状態にも関わらず、「正期産まで入院せなあかんのやったら死んだ方がマシや!もう無理!」と大きな声で助産師さんや医師に訴えていました。

毎日、毎日、病室内で大きな声で旦那さんに電話をしたり、助産師さんに訴えたり…

3人目の妊娠で、まだ小さな子どもさんを実家に預けている心配もあるかもしれない。長期の入院の中で食べれらない辛さも分かる。

でも、この人はお腹の赤ちゃんの心配なんて全く言わず、自分のことばっかり訴えていて、会話が聞こえてくる度に私は心底イライラしていました。

結局、その人は半ば無理矢理退院していったのですが、その日の夜に陣痛が来たらしく自然分娩で出産。

そして、他の病室が満床だったため、また同じ病室に戻ってきました。

そしたら次はハイテンション…

「小さく生まれたから、お産が楽で良かった~!」
「もっと小さく生まれたかと思ったけど、2000gあったなんて…」
「ごはんが美味しい~!」(嬉し泣き)
「妊娠中はほんと死ぬかと思ったよ~」

周りの迷惑も顧みず、大きな声で。

このお母さん、3人とも男の子らしいのですが、3人目の赤ちゃんの性別は医師から聞かされていなかったそうです。その理由を医師は「3人目も男の子だとあなたが知ったら、堕ろすと言いかねないから」と本人に言っていました。

何でこんな人が普通に出産できて、赤ちゃんも元気なん?
赤ちゃんに罪はないけれど…
本当に世の中理不尽だと感じました。

そんなストレスの中、帝王切開から1週間後の採血でヘモグロビンが9を越えたので、その翌日に私は退院。

この時はまだ三男の壮絶な闘病が始まることを私は知りませんでした。