敦希を亡くした時は毎日毎日泣いていたのに、今は涙が出ません。
あまりに現実が酷すぎて、現実逃避をしています。
考えないように、考えないように…
じゃないと自分がもたないと分かっているから。
今の状況と向き合っていたら、卑屈にしかなれない…
そんなこともあってなのか、環境がそうさせているのか、自分でも自分が不思議なくらい、日々淡々と過ごしています。
私はもう一度自分の赤ちゃんを長男と共に育てたかっただけやのにな
病気でも元気な姿を見ることができるのなら、私は時間がかかっても、何年でも病院に通うつもりやったのに…
何で私だけ悪いことばっかりあたるんやろ
それでも「私は一人じゃない。家族がいる」って前向きに前向きに考えて生きていかなきゃいけない
そうやって生きていくしかないことは分かっていますが、敦希と三男のことを考えると時々意味が分からなくなります。
だってみーんな当たり前みたいに子どもに恵まれて育ってるやん
あくまで私の周りの人ですが。
何で私は2人も子どもを亡くさなあかんのやろ
遺伝子なんてそんな理屈いらない
ぶつけようのない腹立たしさと悔しさがあるけど、どうしようもありません。
耐えて、耐えて、踏ん張って、生きてきたのにな。
私は誰にも甘えることもすがることもできない性格です。
家族や友達に泣いて話せたらどんなに気持ちが楽になるんやろう…少しは楽になれるんかな?
でも、私はできないし、しない。
ふと、こういう人のために宗教やスピリチュアルな考え方があるのかな?と思いました。
信じることができるって救いになると思うから。
でも、残念ながら私には救いになりません。
「素直な人はすぐ実行する」って言われたことがあるけれど、じゃあ私は頑固だから、はまらないのかな?
私にはよく分からない世界ですが…
それでも敦希と三男はきっと、きっと、私のそばにいるって信じたいです。
三男の写真が見れなくて、今は敦希の写真ばかり見ています。三男は敦希にそっくりだっだから、きっと成長していたらこんな感じだったのかな?
三男は小さな小さな赤ちゃんだったから、もう想像もできませんが、ますます可愛くなってたんやろなぁ。
長男と敦希の写真を見ていたら「私にもこんな幸せな時があったんやなぁ」と感じました。
もう4年以上も昔の話。
泣きたいのに泣けないのもしんどいな…