三男が亡くなり、小さくなって帰宅した時、
家には敦希と三男と2人の遺影。骨壺が2人分。
「もう・・・何なんこの状況は」
酷すぎる現実に愕然としました。
2人だから、命日も1年に2回あります。
4年前に敦希が亡くなった後、
「まだ0歳の赤ちゃんやのに命日って何なん」
と、よく思っていましたが、それが今では2人分。
三男が危篤になり、医師に「難しいです」と言われた時、
私はまた同じことを…
また同じ思いを繰り返すことになるのか…
本当に、本当に、何とも言えない気持ちになりました。
2人とも私の判断で心臓マッサージを止めてもらったのですが、まさか2度も同じ光景を我が子で見ることになるなんて…
敦希が亡くなった後、「あの時、本当に心臓マッサージを止めて良かったのか?」
何度も何度も考えては苦しんだけれど、結局私はまた同じ道を選びました。
諦めたくなんかなかったけれど、「ゆっくり休ませてあげたい。もう十二分に頑張った」
敦希にも三男にも、その思いだけでいっぱいでした。
月命日にはお花とお菓子を買います。
お菓子は「取り合いにならないように仲良く食べてね」と2個ずつ。
別に喧嘩してもいいんですけどね。兄弟だし。
兄弟喧嘩も見たかったな…
私はもう亡くなった兄弟たちに直接してあげられることはありません。
兄弟たちの周りにはお花やお菓子、ぬいぐるみ、写真などを飾り、賑やかに可愛くしています。
今できる精一杯の兄弟たちへの愛情をこめて。自己満足なのかもしれませんが、きっと兄弟たちも笑顔でいてくれていると信じています。
誰に言われなくとも、亡くなった兄弟たちだけでなく、そばにいる長男にもたっぷり愛情を注いでいます。ここに書かないだけ。
だってここは兄弟たちの頑張りを書くところだから。私の弱音を吐く場所にもなっていますが、それは同時に子どもたちへの想いでもあります。
何も知らないのに、あーだこーだ、分かっているかのように他人に言われたくないし、いちいち嫌味たっぷりな嫌がらせをしてくるなんて、よほど心が貧しい人なんだなーと思います。
遺伝子疾患の何を知っているんでしょうね?特にこの病気はまだまだ未知な部分も多く、専門の医師ですら分からないところもあったりするのに。
無知な人ほど知ったように色々言ってきますが、中身なんてまるでゼロ。無知丸出し。
世の中にはいろんな人がいるけれど、私はいくら世の中が理不尽だと感じても、憎くても、周りの人たちに対して妬ましく思っても、一方的な自分の思いだけで故意に言葉や文字で人を傷つけるようなことは絶対にしません。
嫌いな人にまで優しくはしませんが、関わろうとはしないだけで、礼儀は一応わきまえます。
たくさん言葉に傷ついてきました。
だからこそ…
まだまだ自分がいっぱいいっぱいなのに、無理をしてまで人に親切はできないかもしれませんが、それでも何だかんだ言いながらもなげやりにはなっていないし、きちんとすべきことはしている自分がいます。
あっくん、○○ちゃん(三男)
これでいいんだよね。
私はどんなにどん底になっても、自分だけは見失わないようにしたいです。