早産になった訳 | 心筋緻密化障害の兄弟の奇跡☆

心筋緻密化障害の兄弟の奇跡☆

3人の母です。

次男と三男は心筋緻密化障害(心筋症)をもって生まれてきました。

次男と三男の闘病記録と、亡くなった後の私の日々の気持ちを書いています。


過去の記事にも書いていますが、三男の出産は前置胎盤がきっかけでした。


私は妊娠28週(8ヵ月)で前置胎盤が判明しました。
前置胎盤の中でもまだ軽い方(部分前置胎盤)だと言われていたので、ある程度安静にしていれば出血することもないだろうと甘く考えていました。


当初は32週から管理入院、帝王切開時の出血に備えて輸血のための自己貯血をしていき、36週か37週で帝王切開の予定でした。


お腹の張りがあるという自覚はなかったのですが、前置胎盤が判明してから意識するようになると、立っているだけでお腹がカチカチになっていることに気付きました。でも、横になるとお腹はすぐやわらかくなっていたので大丈夫なのだと思い込んでいました。


そのことを医師に話すと「休めば良くなるとかじゃなく、前置胎盤はお腹が張ること自体があかんのやで」と言われ、予定より1週間早く、31週から入院になりました。


管理入院の生活は、24時間張り止めの点滴をし、トイレと週3回のシャワー以外はベッド上で横になって過ごしました。


そして、入院5日目。
夕方、横になってウトウトしているとお尻が生温かい違和感で目が覚めました。寝ぼけていたので一瞬「お漏らし!?」と思いましたが、すぐにまさか…と確認をしたところ出血でした。


ナースコールをすると、すぐに助産師さんや看護師さんが慌てて走ってきました。助産師さんが出血を確認した時に「わ…あかん」と言っていたのを覚えています。私はあまりの出血に怖くて手足の震えが止まりませんでした。


一瞬でベッドの上は血の海に。
血が止まらないので私はこのまま意識がなくなるのかな…なんてことも頭をよぎりました。


バタバタと個室に移動し、医師の診察を受ける頃には出血は止まりましたが、本当に怖かったです。
その日出勤だった助産師さん看護師さんが全員いるんじゃないかと思うくらい部屋に集まって、処置や転院の準備をしていただきました。
(後で聞いた話によると本当に全員集合していたらしいです。)


本当に怖かったし、痛い処置もたくさん受けました。
でも、今思うと自分が痛い思いをするくらい、どうってことありません。


結果、母子ともに無事に出産できたし、何よりお腹の中で心不全を起こしていた三男の早期治療ができました。きっと37週まで何もなければ三男はお腹の中で心不全を起こし、原因不明という形で死産していたかもしれません。医師にその可能性は高かったでしょうと言われました。


管理入院していた病院ではお腹にいた三男の心不全は分かりませんでしたが、医師が早めの管理入院を指示してくれていたおかげで、スムーズに次の病院に転院することができました。


もし家で長男と2人でいるときに出血していたら…
長男にも怖い思いをさせていたと思います。


私が三男と会えることができたのは、前置胎盤で出血したおかげです。(旦那や家族にはたくさん心配をかけてしまいましたが。)
ドタバタの展開だったし、目まぐるしく環境が変化していったので大変は大変だったけれど、そうなっていて良かった…


三男が無事に生まれてきてくれて本当に良かったと思います。


帝王切開の傷は三男が生まれてきてくれた証です。







ただ、ひとつ疑問に思っていることがあります。


心筋緻密化障害は、胎児期のスポンジ状になっている心臓が本来ならば成長と共に緻密になっていくはずが緻密になれず、スカスカの状態のままになっていることだと聞きました。


敦希は38週で生まれたのでその経過も分かるのですが、三男が心不全を起こしたのはまだ31週。


そんな早くに心不全を起こすものなのでしょうか?
心臓がいつ緻密になっていくものなのか…
もっと早い段階で緻密になっているものなのかな?
ネットで調べても、よく分かりません。


また半年後くらいに病院に行かなければいけないので、その時に先生に聞いてみようと思っています。


心筋緻密化障害は心不全が発症する年齢が早ければ早いほど予後が悪いと言われています。
極低出生体重児で心筋緻密化障害の最重症は国内でもほぼ例がないと聞きました。裏を返せば胎児期に心筋緻密化障害で心不全を発症すれば無事に出産までたどり着かないということ…


今は三男を亡くして悲しいし苦しいし辛いけれど、こうやって文にして書いていくと、改めて三男の出産や2ヵ月生きていてくれたことは奇跡なのかもしれない、とも思いました。