長男の記憶 | 心筋緻密化障害の兄弟の奇跡☆

心筋緻密化障害の兄弟の奇跡☆

3人の母です。

次男と三男は心筋緻密化障害(心筋症)をもって生まれてきました。

次男と三男の闘病記録と、亡くなった後の私の日々の気持ちを書いています。


私は時々、長男の記憶力に驚かされる。


親戚の葬儀で長男も一緒に火葬場に行った時のこと。


建物を見た瞬間、
「あっ!あっくんのところや!天国行ったところや!」


そう言った。


私も旦那も正直驚いた。


長男がここに来たのは敦希の時の1度だけ。(骨上げは連れて行かなかったから)


中に入ってからも長男は周りを見ては「あっくん、あっくん」と言ってた。


敦希が亡くなった時、


「まだ○○(長男)は2歳(2歳10ヵ月)、敦希のことは忘れてしまうわ」


そんなことを言われて私はすごく傷ついた。


例えそうだとしても、敦希が亡くなって間もない私に対してそんなひどい言葉、言ってほしくなかった。


敦希と自宅で過ごした4ヵ月
(最初の1ヵ月は入院)


私だけじゃなく、長男にとってもすごくすごく楽しい4ヵ月だったと思う。


可愛い弟の存在が嬉しかったと思う。


ずーっとベッタリやったもんなぁ。


こんなに弟想いのお兄ちゃん、他にはいないよって自慢できるくらい。


長男の気持ちを考えると、本当に本当に涙が止まらなくなる。


そして、月日は流れて早9ヵ月。


長男は敦希の分まで頑張るかのように朝から晩まで走り回り、昼寝もせず、ますますやんちゃで元気な男の子になった。


普段から「あっくんあっくん」と言っている訳ではないが、ふと何か思うのか、敦希にお経をあげたり、敦希の写真と一緒に布団に入ったり「会いたいなぁ」と言ったり…。


先日は「抱っこできるんや、したいんや」とも言っていた。


私が敦希を健康に生んであげられていたら、今頃は長男と敦希は一緒に走り回っていたに違いない。


病気でも生きることができていたなら、一緒に走り回ることはできなくても、一緒に寝転んで遊んでいたんやろなぁ。


想像することしかできない現実が悲しいけど、いっぱいいっぱい想像してみる。


私が当たり前のように思い描いていた家族4人での生活は叶わなかった。


敦希と共に過ごせたことは、今となっては奇跡であって、遠い遠い記憶になってきた。


私は思ったことや感じたことはすぐブログに書き留めるようにしている。


だから同じことを何度も書いたり、矛盾したことも書いているかもしれない。


それでもこれからも敦希とのことや、敦希への想いを書いていきたいな。


そして長男の記憶の中にいつまでも可愛い敦希がいてくれると嬉しいな。そう思う。







敦希のためにメリーを出してきたり、オモチャを持たせたりしていたお兄ちゃん。

こうやって一緒に寝転ぶ時には必ず手をつないでた。

この思い出が長男の中でも生き続けるといいな、と思う。