買い物に向かう車中、突然長男が話した。
あっくんに会いたいなぁ
あっくんと遊びたいなぁ
あっくん帰ってこないかなぁ
滅多に敦希のことを話さない長男の本音なのか。
敦希が元気だった頃、長男は毎日敦希にベッタリで頭をヨシヨシしたり、ホッペや手を触るのが大好きだった。
甘えん坊で常にかーちゃんにベッタリだったが、可愛い可愛い弟のためにかーちゃんを譲った。
かーちゃんはあっくん
長男はパパ
役割分担していた。
最初は「パパはあっくん抱っこあかん。かーちゃんだけ」と言っていたが、いつしかパパも譲るようになった。
私と長男と敦希の3人で子育て広場に行った時には、嬉しそうにお兄ちゃんをアピールしたりしていた。
他に何人も赤ちゃんがいたのに敦希の泣く声を聞き分け、すかさず敦希のもとへ行き「ヨシヨシ~」と頭をなでていた。
家でも敦希が泣いていると「あっくん大丈夫、大丈夫~!」とヨシヨシしていた。
長男と敦希の名前の平仮名を覚えた長男は敦希に「あっくん見て!あつきの“あ”やで!」と教えることもあった。
微笑ましい可愛い兄弟の姿
私はとっても幸せだった。
そんな大好きな弟が入院になった。
かーちゃんも付き添いで会えなくなった。
面会に行ってもかーちゃんには会えたが敦希には会えなかった。
長男は制止するパパやかーちゃんの手を振り払いって廊下を走っていき、敦希のいる病室に入ろうとした。
敦希に会いたかった。
次の面会では「あっくんに会いたい!かーちゃん嫌や!」とICUの入り口で泣き叫んだ。
ドアを何度も叩いて「開けて~!」と訴えた。
やっと、やっと会えた時には敦希は危篤の状態だった。
見るからに怖い機械に囲まれて、口には見たこともない機械、たくさんの管とつながれている目を覚まさない弟の姿。
それでも長男は敦希に会えてすごく喜んだ。「あっくん目開けて~」と言い続けては敦希のホッペや手にたくさん触れた。
あっくんに会えて満足した長男「あっくんまたね~!」と笑顔で帰っていった。
それが最期の兄弟の姿だった…
敦希が闘いを終えて帰宅してからも、敦希から離れず「あっくん目開けて~」と言い続けた。
弔問に来てくれたかーちゃんの友達には
「あっくんは注射いっぱい頑張ったからかっこいい」と話した。
葬儀の時、無邪気に走り回っては敦希の側にいたがお経が始まると「あっち行く~!」と嫌がり泣いた。
出棺前には大人たちに混ざって棺を運び、
火葬前にはお別れを察知したのか泣き叫んだ。
「あっくんあかん~!嫌や~!嫌や~!!」
私と旦那で長男を制止し抱き締めた。
一緒にたくさんたくさん泣いて見送った。
骨になった敦希を長男だけには見せたくなかった。
積雪の関係で私と旦那だけで行った。
帰ってきた敦希を理解できなくて、外を飛び出して探す長男に「骨壺が敦希だよ」と教えた。
「あっくんは天国にいる。たくさん頑張ったから。でもずっとずっと長男と一緒にいるからね」と私は話した。
その日の夜中、長男は久々に夜泣きをした。
うなされるように泣き出し、ベビーベッドを見て「あっくーん!」と探していた。
「あっくん、あっくん」と言いながら再び眠りについた。
毎日朝晩は敦希に手を合わせるようになった。
毎週かーちゃんと敦希のためにお花を買いに行くようになり、花が大好きになった。可愛いお花を選ぶようになった。
時には買ってきたばかりのジュースやお菓子を、時には自分のおもちゃを敦希に「どーぞ」した。
敦希が亡くなってしばらくは、私が他の赤ちゃんに近づかないように気を張った。
近づくと「かーちゃんは来たらあかん」と追い払った。
でも違うも寂しそうな顔で赤ちゃんを見ていた。
当時2歳、今もまだまだ3歳。
死についてはどこまで理解しているかは分からない。けれど少なからず敦希にもう会えないことは分かっている。
いつの間にか「死ぬ」と言う言葉も知っていた。私は長男に教えていない。
長男が時々話す敦希のこと。
あっくん注射いっぱい頑張ったんや
天国行ったんや
あっくん可愛い~
あっくん好き!
私は最愛の息子を、
長男は最愛の弟を失った。
長男はまだ3歳だ。
こんな酷なことはない。
全てを理解できなくとも、ちゃんと分かっている。
でも長男は私を支えてくれている。
私も長男を全力で守らなきゃいけない。
ただ今思うことは
お兄ちゃん、本当に本当にありがとう。
怒ってばかりのかーちゃんでごめんね。
敦希の分まで元気に生きてね。
何があってもかーちゃんは長男の味方だよ。
あっくんもお兄ちゃんの側で見守ってくれてるからね。
たった2人の兄弟
これからもずっとずっと一緒だよ。