セッションが始まって
脚を丁寧に揺らしてもらっているうちに
みぞおちの辺りが“モヤモヤ”ってしてきて・・・
ん~~、「気持ち悪い」の三歩手前くらいの モヤモヤ感

なんか動いている感じ・・・・・って俯瞰してた
それから、
ぐぅ~~んぐぅ~~んと脚を回してもらったり、
手を揺らしてもらったり、
肩を揺らしてもらったり回してもらったり、
腰を揺らしてもらって、ユラユラユラ。
時々 考えそうになるけど、
それはどけておいて・・・って ぼぉ~~ってしてみる。
何よりも動かしてもらっている←この表現もちょっと違うんだけど。。。
“からだ”を感じていたいから

心地よさを感じていたいから

足の指の一本一本に触れられて 揺らされて・・・
どんどんと私の身体が息を吹き返していく。。。
『身体が人格を取り戻す』そんな感じ。
ペラペラだった身体が、ぷるんと膨らんでいった。
そして、ずっと首の緊張感が取れずにいた私
(母の入院中の付き添いの緊張感もあってね)
首を“なんて自由に動かせるの???”っていうくらい
ぐるぐるしてもらったり、ユラユラユラと揺らされたり。
そのうちに“悲しい”気持ちがふんわりとやってきた。
涙がスーッと頬を伝った。
「あ~~、これだったんだ」
動き始めてた“モヤモヤ”の正体
首を動かすたびに、静かに涙がこぼれる。
そして、後頭部のあるポイントに関野さんの指が“ポン”とハマったその瞬間

“カクカクカク”と首が揺れて
「えっ?」っと思ったそのまた瞬間
「うぅうっうっうぅ』と嗚咽



それからはしばらく声が出るくらいに泣いちゃいました。
閉じ込めてた“悲しさ”と“切なさ”が溢れました。
それは、この一か月、母の看病をしながら
向き合ってきた母への気持ち。
やりきれなさと苛立ちと、もっと深くに追いやっていた怒りがあった。
そして、その時に涙と一緒に溢れたのは、
その後に出てくる“悲しみ”と“切なさ”でした。
『我慢しないで 出してね』と関野さんに促されて
しばし





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人生のドラマの中で、
残しておいた感情があると
それは“過去”のことなのに いつもまでもドラマは終わらない。
終わらないドラマをいつまでもいつまでも演じ続けるのはしんどいね。
怒りの後の悲しさと切なさに気付かないまま
怒りの中に押し込めていた私

涙と一緒に流しました。

たとえば、トレガーアプローチのセッションを受けて、
その人が内在する安堵感(平和)に繋がり
本来の波動にもどっていくと
そこにある・・・・・ドラマで演じた役割や感情は違和感となり
離れていこうとする。 出ていこうとする。
そうして、その結果、
持ち合わせた感情に翻弄されていた演者は舞台を降り
ピュアなその人にもどっていく
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今日、母と会いました。
この前会った時、わたし・・・随分イライラしていたから、
ちょっとドキドキしながら、ドアを開けました。
しばらく 介護保険のことや、あれやこれや話した。
なんでしょう? この穏やかさは

もうドラマは終わったのかな
