当番弁護25年~西日本新聞の記事より | 向原総合法律事務所/福岡の家電弁護士のブログ

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当番弁護士25年 冤罪防止に大きな役割 「熱意薄れた」危惧も
2015年12月03日19時35分 (更新 12月03日 19時45分)

西日本新聞記者の手による渾身の記事です。
とてもいい記事だと思います。

当番弁護制度は、要するに、「弁護の空白期間」を、いうなれば弁護士の手弁当で埋めているという制度です。

当番弁護制度の意義、理念は今も色褪せることはありません。いわば「光」の部分です。

しかし、当番弁護はいわゆる「手弁当」であるにもかかわらず、弁護士の義務感で支えられてきたという事実もあります。ところが、この「手弁当」を支える前提が崩壊しつつある(いわば「陰」の部分)ことに対し、警鐘を鳴らしているように読み取れます。
要するに、当番弁護制度が曲がり角に来ていて、このまま支え続けられるか?
もし支えられない場合どうなるのか?
この記事には、そうした問題意識が含まれているように思います。

私が「とてもいい記事」と評したのは、これまでとかく褒めちぎられるしかなかった当番弁護の「光」の部分だけではなく、「陰」の部分について言及した点にあります。

記者は、司法制度について、決して過度に批判的なわけではなく、ただ、現場を足で歩いて、様々な弁護士と接して、肌で感じた「弁護士の本音」を交えつつ、上記問題意識に至ったのではないかと思われます。

そうだとすると、我々弁護士は、都合の良い「光」の部分だけではなく、もはや外部にも伝わっていながらどこかで「ないこと」にしてきた「陰」の部分を、もはや無視するべきではない、もっといえば「理想論」だけで突き進むことは許されない時代になりつつあるのかな、という気がしています。
「理想論」だけで「手弁当」を引き受けても、もし「もう無理」となったときに、世間は、それまでの功績を称えることなく、「非難する」「叩く」ということになるのは目に見えています(JR北海道などを見ているとそう思います)。
そうなる前に、シビアに考える必要がある。
私は、この記事に埋め込まれた問題意識から、そういう発想も必要なのではないか、と考えるようになりつつあります。