サリアからサンティアゴ・デ・コンポステーラまで、記憶と日記をたよりに、9月上旬に歩いた経験を書いています。

 

いびきと喧騒と鐘の音、足の匂いでよく眠れないまま、6時前起床、7時から歩いてサンティアゴの駅へ向かいました。

 

列車は2回乗り換え、途中、1時間、待ち時間があり、カフェに入ったけれど、「歯磨きのタイミングが難」と日記に書いています。

 

 

11時半にサリアに到着。

駅前に何もなく(案内所的なものがあると思っていた)、雨も降り出し、道も分からず、誰も歩いてないので、しょうがなしに帆立マークを辿ります。

 

アルベルゲを見つけて、やさしそうな女性に、ハンコ(セジョと言うらしいですが、当時知らず、仕草とポルファボールで通じたのか?)とサリアの地図を頼みました。

 

女性はハンコを押すと、私のリュックを見て、「ボルサ!」とあわてて奥から、黒いゴミ袋を持ってきて、リュックを包んでくれました。優しい。。そのとき、二人の若い女性が、困った様子で入ってきました。私のつたないスペイン語で通訳し、彼女たちもスタンプをゲット。サリアから歩く場合は、サリアで1つスタンプをもらい、1日2つセジョがないと証明書がもらえないそうです。

 

二人はドイツ人で、英語でやりとりして、一緒に歩くことに。彼女たちもサリアから出発で、すでにサンティアゴから帰りの便を予約していると言っていました。

 

大きめの町を入るときと出るときは、やや手強いです。

サリアを抜けるときに、線路のそばを歩いたり、高架橋が見えたり、想像してた巡礼路と違ったうえ、落書きのような黄色い矢印があります。ドイツペアが、その矢印をみて、これだ!書いてあったとおりだわと喜んでいたので、そこで初めて、基本中の基本、巡礼の道は、モホン(道標)や黄色い矢印を辿ると知りました(はい、だから、私のブログ上の名前が「向こう見ず」です)。

 

それからすぐに、バケツをひっくり返したような大雨になりました傘波

やっと、雨宿りができそうな場所があり、三人でお菓子交換。

二人は、長ズボンでもどうせ濡れるからと言って、半ズボンに着替えました。私は着替えず、ちなみに、上はゴアテックスで下はジーパン、(ザックカバーは持ってなかったくせに)ゲーターをつけて、傘をさして歩いていました。

 

雨は止まず、歩き続け、私の目的地候補、Ferreirosに着きました。

ドイツペアはポルトマリンまで行くと決めていたので、ここでお別れです、ドイツペア、ありがとう。

 

 

アルベルゲもすぐに見つかり、入れました。

頭の先から足先、靴の中、下着までずぶ濡れでした。ボルサのおかげで、リュックの中は濡れてなく、ほんと、優しい女性のおかげです。

速攻で、温かいシャワーを浴び、なぜか体からは泥水が流れ、虫刺されもたくさんありました、足首の数カ所の虫刺されが水膨れになっていました。

(アンダルシア地方ですでに蚊かなにかに刺されていたのかも)。

 

洗濯をし、アルベルゲのレストランで、ペリグリーノメヌーを食べて、ベッドへ。寝袋を持ってないので、(確か使い捨ての)シーツと毛布をかぶりました。