歴史地理学部の同級生のハムちゃんは身体能力抜群でサッカーがめちゃめちゃうまく、ついに朝鮮民主主義人民共和国サッカーナショナルチーム代表に選ばれた。
朝鮮が参加する国際大会の度にハムちゃんは召集され、当時、在日朝鮮人がめったに行けなかった海外を朝鮮代表として飛び回っていたのだ。
小平の塀の中の懲りない我々は代表から朝大に戻ったハムちゃんの朝鮮代表海外見聞録をとても楽しみにしていたものだ。
1982年12月、
我々はハムちゃんの帰りを首を長くして待った、
ハムちゃんも召集された1982年ニューデリーアジア競技大会サッカー準決勝で朝鮮は中東のクウェートと対戦した。
ゲームは一進一退だったが朝鮮代表側はタイの主審判定が再三クウェートに有利に思えストレスが溜まる、試合は「中東の笛」疑惑を腐食できないまま3ー2でクウェートが勝利した。
朝鮮代表の不満がついに爆発しタイの主審はフルボッコにされ、結果朝鮮代表は1年間の対外試合禁止の厳しい処分を受けることになった。
当時、新聞でも大きく載ったこの事件、この1年間の対外試合禁止以降サッカー朝鮮代表は低迷期に入ったのではないかと私には思える。
ハムちゃんによると
当時の朝鮮代表はみんなかなり気性が激しくゲーム中でさえ味方のパスミスに対し朝鮮中央放送顔負けの、しかも絶対に放送できない言葉で激しく罵声しあうのが通常であったらしい。
ゲーム終了後に誰かが主審に向かってペットボトルを投げたのを朝大で録画を観た記憶がある、録画はそこで終わった、その後が1番見たかったのに、
「乱闘のときハムちゃん、おまえ何してたん?」と誰かが聞くと
「ベンチで見てた」と帰ってきた、
「参加せなあかんやん!」
と問い詰められると
「共和国の海外公民として恥ずかしくない行動を常に心がけてますけど何か?」
と返すハムちゃん、
そんなハムちゃんが語るサッカー朝鮮代表選手達の話は日本での朝鮮のイメージとは大部違っていてとても人間的で我々に爽やかな新風を吹き込んでくれた。
ハムちゃんが一番最初に受けた朝鮮代表選手からの質問は
「야 너 니노지 해봤나?」
(おまえニノジした事あるか?)
この意味がわかったらD P R K 検定1級レベル!
니노지とは女性器という朝鮮語を分解した隠語で、ここまで書けばこれ以上の説明は不要でしょう。
世界中どこでも若者達の関心事は同じと言う事の証でしょう。
ハムちゃん見聞録によって我々は朝鮮民主主義人民共和国にも我々同様、男女の恋愛があり、日々の生活があり、その中で喜びや悲しみがあるんだなぁ、つねられれば痛みを感じる同じ人間なんだなあと思ったものである。
1982年アジア競技大会で朝鮮はメダル獲得数で中国、日本、韓国についで4位という好成績、一方で韓国はグループリーグで日本に破れてグループリーグ敗退、
あれから35年、
兵役免除を掛けてのアジアンゲームサッカー決勝の日韓戦、
なんかソン・フンミンの兵役免除まで邪魔する日本みたいになってるよね、
おそらく今日は店がヒマだろう、
ブラジルVSアルゼンチン
イングランドVSスコットランド
イタリアVSドイツ
タイVSベトナム
そして日韓戦、
私は密かに世界5大宿敵対決と呼んでいる、
でもさあ、
土日祝日のゴールデンタイムだけは是非とも避けて欲しいと思うのは私だけでしょうか?
そういう意味では酷暑の東京オリンピックの早朝開始は👍