首都圏の穀倉地帯、
世界への窓口成田空港、
世界のディズニーランドがある千葉県唯一のウリハッキョ。
しかし40年前東京ベイエリアに位置する千葉ウリハッキョは「東京ではない」という1点だけでウリハッキョの東京大会と名の付くスポーツイベントからは悉く排除されていた。
奇しくもその後に建設された成田空港が「新東京国際空港」、ディズニーランドが「東京ディズニーランド」と呼称され千葉県民の胸の内がどれほど傷ついた事か?!植民地扱いする首都に対する理不尽さと羨望、そして自然に表出してしまう卑屈な態度に身悶えしながら日々を過ごしていたものである。
更に追い討ちをかけるようにNHKが天気予報の東京、神奈川、千葉、埼玉の順番を東京、神奈川、埼玉、千葉の順番に変更したのだ、民主的手続きを経ずに‼️
海の無い埼玉の後塵を被る事になった千葉県民、関東AクラスからBクラスに降格した千葉県民、これほど首都に尽くしてきたのに「都合の良い女」のような扱いに千葉県民は泣いた。
※ちなみに我々の一つ下の年代のサッカー部は「東大阪」「東京第2」全盛の時代に中央大会で優勝してますから!
なのに東京大会から排除されてましたから!
そして木更津、
むかし明石家さんまと大竹しのぶが主演した「男女7人夏物語」の舞台、木更津。
木更津は十条の民族学校(わかるよね?どこか?)に通える千葉県内の南限なのだ。
(例えば青森県のニホンザルが猿生息の北限のようなものである)
十条まで片道2時間はゆうににかかる。
しかも快速東京行きの始点なのだ。
木更津以南の生徒達はほとんどが寄宿舎のある茨城(いばらき、「き」!「ぎ」じゃないくて「き」ですから‼️朝ドラの「ひよっこ」のお母さんも泣きながら訴えてた)
わたしは今でもつくづく思う、
住居が木更津でなくてよかったと、両親に感謝したものである。
当時、木更津の高1は始発の快速の一番前の車両を占拠し蘇我や千葉から乗ってくる先輩達のために席を確保するという不文律があったのだ。
あの超絶ラッシュアワーで1両丸ごと(実際には3分の一くらいの席を確保)。
連結部分に必ず一人配置され何人も遠さない、徳川幕府の関所よりも厳しいのだ。
絶対に休めない、
休んだら全体責任で東京駅の地下奥深くにある内房線行きのホームの一番後ろの、直ぐそこが暗黒のトンネル、まるでその先に地獄があるのでは?と容易に想像出来るその場所で(ああ、ここが地獄の入り口かあ、みたいな)今は絶滅した「ヤキ」というイベントがはじまるのだ。
わたしは当時すでに東京に越してたのに、帰る方向が真逆なのに!そういうイベントの時だけたまにお誘いが来て恐怖に震えたものである、すでに私は「東京」に帰化していたのにも関わらず‼️
当時の木更津の朝高生を思い出すたびに
チュヒョンミの「涙のブルース」が頭の中を流れるわけで、
🎵아아 부르스 부르스 부르스연주자여
이음악을 멈추지말아요〜
🎵ああ、ブルース ブルース ブルース奏者よ
この曲をずっと続けて〜