冬季オリンピックと私 | ヨンさまブログ

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とある焼肉屋のおやじです。

寒い日、
とんこつラーメンの替え玉を見るたびに
嫁の替え玉をしたい、
と、思うのは私だけはないはずだ、、、

焼肉ぱんがスカイツリー店のヨン様です、
皆さんはいかがお過ごしでしょうか?

ソチ冬季オリンピックが開幕しましたねえ、

開幕式なかなか、みどころ満載でした、
ドイツ選手団の虹色ユニフォーム、
同性愛者の人権の為の抗議、
抗議のやり方がセンスある、

五つの輪のうちの一つが開かない!
実にロシアらしい、

あと、プーチン大統領、
話、長すぎ!

、、、、、

冬季オリンピックと言えば、
思い出すのは
1972年の札幌オリンピック、

私は民族学校の小学3年生、

当時、北朝鮮代表選手団は7名
その中に、
女子スピードスケートのメダル候補と期待された
ハン・ピルファ選手がいた、
学校では彼女の話題で盛り上がったものだ、

が、誰も知らない、知るよしもない話であるが、
その、北朝鮮のエースと最後まで代表を争った選手がいたのだ、
名前はピョ・スニ選手、
私の従妹(いとこ)である、

当時、北朝鮮に帰国したイモ(叔母)から手紙が来た、
「スニがもしかしたら札幌に行くかも知れない、
スケートの大会で好成績を残した」と、

うちの家族は大興奮、
当時は日本と北朝鮮間の往来は一切出来なかったのだ、
うちのハンメは孫に会えるかも知れないと、
「アイゴ、スニが来たら、どんな服を買ってあげようか、、、」
と、そんな心配ばかりを楽しそうにしていたものである、

が、結局、代表はハン選手に決まる、
家族全員意気消沈したものである、
ハンメは
「アイゴ、スニは来ないのか?」
と毎日のようにため息をついていたのを思い出す、

それでも、うちの家族は全員、
スニねえさんと最後まで争った、
ハン選手をテレビにかじりつきながら応援したものだ、
札幌プレオリンピックでは好タイムを出したものの
本番での調子は今ひとつで
メダルには届かなかったハン・ピルファ選手、
でも、今でもハッキリ記憶に残っている、

その13年後
私はピョンヤンでスニねえさんと会うことになるのである、


宿泊先のホテルに訪ねてきた従兄さんと従姉さん
弟一声が
「アイゴ、あなた、ネズミちゃんみたいね!」
じぇじぇ!
他に、もっと、感動的な言葉があるでしょ!
ちなみに、従兄さんは当時、現役の人民軍兵士、
握手をした時の握力の強さが忘れられない、

、、、、、

そんな、オリンピックの悲喜こもごもを
焼肉を囲みながら語らいませんか?


ぱんがのカルビは和牛のリブロースを使ってます!
だから、とってもお得なんです!
さあ、早く、ぱんがに集合!

、、、、、

オリンピック競技を観て思う、

50を過ぎたら賞が欲しい、
自薦式ではダメ、絶対、他薦式、

が、そもそも賞と言うのは、
遠くで見てる人が
「おっ、これは!」と思って
推薦してくれるものではないのだ、
賞を獲りたいと思う者が
「こういうのがあるけど、是非みてください!
賞が獲りたいんです!」と、
ガツガツしながら獲るものなのだ、

よく芸能人が言うでしょ、
「うちのおばさんが応募したら、
たまたま、うかっちゃった」論、
あれ、うそですから!
私、絶対信じませんから!
きっと、きっと、必死に応募したにちがいないですから!