全く実感が無い…コレが今の心境。時折、思い出すと涙が出る。 

夕食と風呂を終えて、寝ようかと思っていた時に父から電話が。「お母さんが亡くなった」。

余りにも思いにもよらない言葉に、恐らく殆どの人が何を言っているのか?分からないだろうし自分もそうだった。 
とりあえず、病院に向かうも今は22時半。着の身着のままで埼玉から福島に近い栃木に向かった。コロナで深夜の東北道はトラックのみ。乗用車は数台しか見かけない状態。空いているのに、これ程時間が長く感じた事はない。

 2時間半掛かって病院に到着。夜勤の人に案内され霊安室。目の前に紛れもなく亡くなった母…寝てんじゃ無いかと思う程の感覚。

 既に姉と父がいて葬儀屋に連絡していて葬儀屋の到着待ち。因みに霊安室の控室には葬儀屋の一覧表がパウチして置いてある…みんなココで電話するんだろうな。あまりの用意の周到さにビックリ。その間にこの先の事を話し合った。何でこんなに冷静なのか?介護の職業柄?普通だったら葬儀屋に言われないと答えられない事まで決まった。

 深夜1時に葬儀屋が来て、家に運ぶ事とした。家に着いて葬儀屋さんは母を安置して、線香やら祭壇やらを手際よくセットする。最後に明日再度来て葬儀の打ち合わせに来るとの事。葬儀屋さんもこんな深夜に大変と思う。自分だったら出来るだろうか?なんて考えてしまう余裕すらあるが、何しろ実感が無いんだから。 

葬儀屋が帰ったのが深夜の2時半。明日の打ち合わせに葬儀の方法を話し合った。葬儀屋さんが明日来るまでに決めておく事柄があっだが、割とすんなり。コロナもあって兄弟だけで通夜も告別もせず、火葬のみって事で。時間も3時半になったので、とりあえず寝る事にした。

 朝になってしまった。寝たんだかよく分からない。葬儀屋が来て、深夜の話し合いの通り火葬のみ。この地域は地区によって午前の火葬が習わしだそうだが、午後にしてもらった。料金の説明を受けて終了。 

近所の人が用もないのにヒョッコリ顔出すのが田舎らしいが、来る人来る人みんなビックリ仰天です!そりゃそうだよ、昨日元気だった人が死んでいるんだから。 

関係者の電話連絡やらやって、一旦埼玉に帰った。そりゃ着の身着のままで来たし、自分の家族も連れて来なきゃ。東北道のサービスエリアも店が閉まっていてトイレしか使えない。埼玉に帰って来たのは夕方。殆ど寝てないので、家では寝てた。明日また行かなくてはいけませんから。 

翌日。今日は火葬なので朝出発して福島に近い栃木へ。コロナで不要不急の自粛強化されており、東北道もゴールデンウィークとは思えない程のガラガラ。午後一で葬儀屋が来るまで、普段合わない親戚と喋りました。これも母が会わせてくれた…この時を大切にって位喋った! 

葬儀屋が来て母を棺桶へ。花を散りばめてお別れです…ありがとうお母さん!火葬場ではお坊さんも居ないので、あっという間に火葬となってしまった。 

因みに待合室ではコロナの影響で、飲食がダメでした。大丈夫なのは場内の自販機のみ。更にクラスタに備えて全員の住所や氏名を記入しなければならなかった。 

1時間半で骨になり、壺に納めます。火葬場の人曰く、骨が多数カタチとして残っているので普段病気もせず丈夫な人と分かるらしいです。全て終わって家に戻って終了。お父さんが心配でとりあえず一泊して帰ってきました。 

なんかドタバタで、実感なく終わってしまったが、この事を忘れたくないし、ブログ記事にするのも考えたが、自分への日記として。

読んで頂いた方ありがとうございます。