今やってること
さてリンクスや、
また少し語りたいチラ裏な話があるので
また聞き手になってもらえんかね?
ご主人のくだらねぇタワゴトに付き合ってる暇なんてねえ!
現在、ラグナロクオンラインを久々に堪能中です。
というのも先週から
ラグナロクオンライン史上最大の報酬経験値が得られるチャレンジイベント
「DimensionDiver 2nd~地獄からの招待状~」(原文ママ)
http://ragnarokonline.gungho.jp/special/dimensiondiver2/
というイベントをやっておりまして、
先日遅ればせながら慌てて参加してところ、
ふざけた単位の経験値を頂きましたもので、
味をしめてガっついてる次第であります。
ソロ志向ののんびりバッシブ型のシャドウチェイサーのリンクスが
たまに接続して氷Dあたりでタイタン狩ってコツコツ積み上げる経験値。
その経験値の一年分のさらに10倍程の量を
30分足らずでゲット出来てしまうのは確かに嬉しいです。
そんなクエストを何度もやり続ければ
そりゃレベルもブリブリ上がりますわー
小細工を凝らして難敵に挑む、寂しいソロ戦士の図。
でもいいんですかねぇ?
そんなに経験値安売りして・・・。
いや、くれるもんは有難く頂きますが、
その後の反動が強いんじゃないでしょうかね。
日々の狩りが無意味に思えてきそうです。
実際、去年も同じイベントありましたけど、
私なんて終了後、半年間RO接続しませんでしたもの。
今年もどうなるかなー、
なんだかんだで次のDDまで一年間休止しちゃったりして。
チラ裏話「魔法少女まどか☆マギカ」おしまい
さて、それじゃ
「魔法少女=戦うのが普通」という認識が
いつの間に世の中のアニメファンに定着しちゃったのか?
このあたりについて考えてみよう。
まず特徴的なのが90年代から現在に至るまで続く、
魔法少女パロディネタの乱発だ。
95年にアニメ化された「魔法少女プリティサミー」は人気アニメのドラマCDネタからスタートした作品だけど、他にもこの手の
「作品のキャラクターの一人に魔法少女っぽい事をさせるお遊び企画」は
アニメにならなかったものも含めれば、もうホント山のようにある。
それらはお遊びのパロディ企画として、原典の[従来の魔法少女もの]から
スタッフやファンの喜ぶような要素だけを取捨されて描かれていたわけだけど、
様々な作品で何度も何度も似たようなネタが繰り返されたあげく、
とうとうパロディ自体がスタンダード化してしまった。
その結果その「スタンダード化したパロディ」を観た若い世代がそれをもとにパロディを作って・・・という悪循環が起こっているんじゃないかなと思うわけよ。
パロディのやり過ぎによるキャラクターイメージの錯誤がおこるわけやね、戦隊ヒーローの黄色みたいに。
もうひとつ注目すべき点は、現在でもプリキュアシリーズなどで女児人気を集める[変身ヒロインもの]とは区別して考えた場合、変身して戦うタイプの魔法少女ものは、その中間的な作品「カードキャプターさくら」以降
従来の[(戦わない)魔法少女もの]と分派して、
常に深夜アニメやゲーム媒体で展開してきたという事実だ。
(あと青少年向けマンガぐらいかな)
これは身もフタもない言い方をすれば10年以上の間、
オタク層のみによって支えられてきたジャンルである、
とも言えるんじゃないだろか。
本来子供達の物だったのに、今ではマニアな大人たちの方が愛着を持っているとか、まるであの紺色の体操服みたいな言いぐさじゃないか。
Wikiなんかでは大抵纏めて一緒に語られてるけど、
「戦う魔法少女」の原点にあるのは、
「幻夢戦記レダ」とか「戦えイクサー1」とか「ガルフォース」とか
80年代に中高生から成年に至るアニメファン層に支持されていた「美少女アニメ(18禁じゃなくて)」だと思う。
それを母体に旧来の魔法少女の容姿イメージや変身ヒロインの作品設定をいいとこ取りで付け加えた形で90年代中期に成立した「戦う魔法少女」はその後、格ゲーブーム&ギャルゲーブームをきっかけにゲーム媒体で盛んに題材にされて熟成された。
その為、この期間に男性視点の強いジャンルに徐々に変化しようとしてるフシがある。
たとえば94年にゲーセンで人気を博した格闘ゲーム「豪血寺一族2」には格ゲー初の魔法少女「花小路クララ」が登場する。
クララは必殺技を使うことで成長した姿「スーパークララ」に変身。すごいね。
もちろんゲーム自体がネタゲーである「豪血寺一族」においては、変身キャラ自体は珍しいものじゃなかったんだけど、
まだこの時代では、たとえパロディであっても
魔法少女のフォーマットとして「変身=成長」という認識が充分あった事が、そこから窺えるね。
その後、98年に18禁パソコンゲーム「まじかるカナン」が発売されるけど、
「変身=成長」を魔法少女の基本フォーマットとして扱ったのはおそらくこのエロゲーが最後のようで、
以降は「可愛い女の子が容姿はそのままで可愛いコスチュームに変身する」というパターンが定着してしまう。
確かに実際の女児にとっては、自分自身が投影される主人公が美人のお姉さんに変身するっていうシチュエーションは憧れるものだけど、
男性からすればそりゃ余計なお世話、せっかくお気に入りの女の子キャラがいるのにそれが別人になっちゃ興醒めだものね。
アレで喜ぶのは明らかに大きい男の子達だけだろうし。
一概に「戦う魔法少女」が男性向けだけに特化したとは言い切れないかもしれない、
女性のアニメファンでも充分に楽しめる作品もある(現にまどマギがそう)。
だけど、少なくとも本来の「(戦わない)魔法少女」や「変身ヒロイン」が基本的に子供向けコンテンツである以上は、一見近そうであっても、実はそれらとは大きく離れた系統にある流れだ。
それが現在いかにも[魔法少女ものの王道]かのように認識されてる原因としては
上でも挙げたパロディネタによる刷り込みという面もあるけど、
やはりアニメファンならではの錯覚が・・・うーん、錯覚と言っていいのかな・・・?
例えば2005年あたりの作品を並べてみてだね、
「リリカルなのは」・「ふたりはプリキュア」・「ふしぎ星のふたご姫」
さあ、仲間外れはどれ!?と聞いてみる。
ほらみろ。
まぁ、そういうこと。
年齢じゃ分けられねぇだろ!?
フリフリか?服のフリフリで区分するのか!?
そうか!プリキュアとふたご姫は二人組なのが共通ってことか!?
外面的なパーツで判断するんじゃなくて、
誰向けの作品なのかってことに注目してくれって事だよ!!
そんなんだから、平気で「魔女の宅急便」の下に
「魔法少女アイ」とか「魔法少女イスカ」が並ぶような作品一覧ページになっちゃうんだよ!
あえてどこのWikiとは言わんけど。
しかしまぁそういう世論になっちゃったのであれば、それはそれで仕方ない。
確かに「まどマギ」は立派な作品だし、
どんな層をメインターゲットにした作品であっても、
傑作が生まれるのは良い事だと思う。
でも「まどマギ」(に限った事じゃないけど)への評価などを聞くたびに、
もう今後[魔法少女もの]は「子供向けファンタジー作品」としてではなく
「中高生以上のアニメファンの為の定番ネタ」としてしか見なされなくなっていくんじゃないのかな、というちょっとしたやるせなさを感じるのは確かなんだよね。
単純にお話やキャラをそのまま楽しむつもりのファンの人達はともかく、
作品の主題や演出を論評するぐらいのファンであれば
萌える為の部品を使った上辺だけのフォーマットに惑わされず、
娯楽作品としての本質や方向性でもって
各作品を比較・関連付けるような見方をして欲しいなって思いますよ。
今後誰かが「魔法少女もの」を作ろうとした場合に、
上辺だけのフォーマットってヤツに惑わされない為には
一体どんな過去作品を参考にすればいいと思っているんだよ?
そうだな・・・うん、「スプーンおばさん」だ。
チラ裏話「魔法少女まどか☆マギカ」そのに
さてリンクスよ、「まどか☆マギカ」において使われている
[魔法少女もののフォーマット]をいくつか挙げてみ?
ずばり、女の子が魔物と戦う!
それは「美少女戦士セーラームーン」で定着したフォーマットだよ。
それまでの[魔法少女もの]では、エピソードによっては悪役と対決したり、
アクションを披露することはあったとしても、
シリーズ通しての戦闘をメインテーマとする作品は存在しない。
「セーラームーン」以前の作品では男児向けヒーローものや、
それを元ネタにした美少女ビデオアニメにしかなかった、そういう要素だ。
超能力を行使する前提として専用コスチュームに変身するのも、
やはり「美少女戦士セーラームーン」で定着したフォーマットだ。
※一応、同時期の「花の魔法使いマリーベル」でもドレスチェンジはあったけど、
コンセプトとして定着したのは「セーラームーン効果」によるものだと思う。
それ以前の[魔法少女もの]のアニメで出てくる"変身"とは
「婦警のお姉さんになる」とか「男の子になる」等の"変身そのもの"を目的とした魔法だよ。
「セーラームーン」より少し前に
「美少女仮面ポワトリン」等の実写特撮作品での前例はあるものの、
その源流は戦隊ヒーローや仮面ライダー等の変身ヒーローものにあるのは明らか。
あれはステージ衣装だろ。
主人公が「アイドルマジシャン」に変身する魔法を使用した結果であって、
別にあのコスチュームに必ずならなくちゃいけないって訳じゃないよ。
主人公達に能力を与えて、一緒に戦うパートナー動物!
それも「美少女戦士セーラームーン」で定着したフォーマットだ。
確かに[魔法少女もの]では単なるペットやお目付け役としての小動物キャラは定番だけど、
「まどマギ」で描かれる「キュゥべえ」のような、
主人公に対して「超能力の付与」とともに「使命を依頼」し、その後も「司令塔的な位置づけ」となる扱いのマスコットキャラは「セーラームーン」の「ルナ」から始まるぞ。
それ以前の作品で前記の条件すべてにあてはまるキャラは
「電子戦隊デンジマン」のデンジ犬アイシーぐらいじゃないか?
結局のところ
「まどマギという作品は魔法少女ものをモチーフにしている」
というのが世間一般に語られる共通の認識のようだけど、
実際には全てセーラームーンで成立した「おやくそく」を基準にしていて、
そこから一歩も踏み出してないんだよ。
確かにセーラームーンだって魔法少女ジャンルの一作品ではあるし、
後続の作品に与えた影響は大きいけど、
基本的には少女アニメに戦隊ヒーローの要素を取り入れた、
「変身ヒロイン(スーパーヒロイン)もの」としての功績者であり大立者なんだ。
つまりまどマギはジャンルとしてはスーパーヒロインものだって事を言いたいのか。
「まどマギ」はストーリー構成上、
序盤の展開において「普通の魔法少女もののフリ」をして視聴者のミスリードを誘っていた。
なのに、その際に劇中で描写されたのは単なる「変身ヒロインもののフォーマット」だったと言ってもいい。
これじゃ別に美少女戦士まどかでもプリキュアまどかでも、
あるいは仮面ライダーまどかだって大して変わらない、
便宜上の[変身ヒロイン]の名称のひとつとして魔法少女の名を選んだようにも思える。
※一応、作中で「魔法少女→魔女」という言葉遊び的な理屈付けはあったものの、
そもそも味方キャラの悪堕ち自体、「セーラームーン」によって定番化したネタだしね。
今のアニメファンにとってはね、
変身して戦う魔法少女こそが「普通の魔法少女もの」なんだよ。
さあ、もう一つ気になっているのはそこだ。
別に魔法少女の定義についてアレコレ断じるつもりはないけど、
私には「セーラームーンから発展した変身ヒロインもの」としか思えないモノが、
現在では世間のアニメファンにとって[普通の魔法少女]として当然のように認知されている。
その事実は事実として「どうしてそうなったか」、その変遷を考えてみるのはとても面白い。
だってさ、「戦う魔法少女」って、
様々なマンガやアニメでのパロディネタとしては頻繁に使われるけど、
実際のところ、アニメファンの皆は小さい頃、
「まどマギ」劇中における主人公「まどか」のように
(変身ヒロインじゃなくて)戦う魔法少女にそんなに憧れてたかい?
むしろ、子供の頃に(変身ヒロインではなく)戦う魔法少女アニメというモノを実際に観たことある人はどれだけいるの?
ってところで続きはまた気が向いたら近いうちに・・・。
・・・逃げやがった!
チラ裏話「魔法少女まどか☆マギカ」そのいち
どうも今回は一人語りが嫌なので
聞き手役としてROでの使用キャラ・リンクスに登場願うことにします。
でも条件がひとつあるぞ、ご主人。
一年放置してるROに復帰して、さっさとアタシに狩りさせるんだ。
仕方ないな。
で、今回ちょっと語りたいのは魔法少女まどか☆マギカ だ。
去年2011年のアニメを代表する大ヒット作と世間では認識されてる。
このネット世界にはまどマギの為ならば命も捨てる猛者がゴロゴロいるんだゾ!
死にたいのかご主人は?
そんなことわかってるよ。
私だって天下のまどマギ様にヘタに手を出して、夜道で襲撃されたくないよ。
この作品が方々で絶賛されてる事は百も承知だし、
実際に友人Cからも友人Gからも強く薦められてね。
ちょうどスカパーでやってたから、しっかり観ることにしたんだよ。
でね、友人達の評価は「感動の大傑作」とか
「魔法少女ものの集大成」とかベタホメだったんだけど、
逆にこの褒め言葉が引っ掛かって、
ちょっとモヤモヤした何かが胸の内に生まれてしまったんで
今ここでコソコソっと書いて鬱憤晴らすことにしたんだ。
んー、言いにくいけど正直に言うよ。
結構のめり込んで観たし、興味深い内容だったし、グッとくる場面も確かにあった。
でも、観ていてあまり楽しくはなかったし、二度三度観たいとは思わなかった。
我ながらちょっと嫌な言い方かも知れないけど、
女の子が泣いたり、困ったり、怯えたり、キレたりする様子を
延々と観続ける事を「面白い」とは思わないんだな、私は。
たとえばご主人のお友達Cなんて、
女の子が精神的に追い詰められていく展開とかスゲぇ大好物じゃないか。
そう、あくまで個人的な好き嫌いだね。
例え出来が良くても、陰湿で暗澹冥濛な流れの作品はあまり好きじゃない。
そういう部分では昔、「エヴァンゲリオン」にも似た印象を抱いた事がある。
企画・構成・脚本・演出、打つ手打つ手がうまい具合にハマった作品だと思う。
これらは、決して全てが斬新な発想だとは思わないけど、
既にパソゲー等の別の媒体で研鑽され、熟成していた幾つかの要素を
良いタイミングと良い手法で「テレビアニメ」という分野に持ち込んだ事で
多くの人間に驚きと感銘を与える事に成功したと言えるね。
ハッキリ言って見事だよ。
去年、ネタバレ無しで観ていたら私も大騒ぎしたかも知れない。
しょうがないじゃない、
第三話放送時の反響があんだけ大きかったんだから。
観る気がなくても、気になるとついつい細かく調べてしまうのは私の悪癖だもの。
でも逆に第三話の超展開という「お楽しみ」を知っていたからこそ、
今回は最後まで興味を持って視聴できた・・・とも言える。
先程「ネタバレ無しで観ていたら」と言ったけど
もし本当にまっさらの状態から視聴開始したら、
私はそのまま第三話までちゃんと視聴していたかどうか。
正直言って、第一話を観たとき私は
話の良し悪しや好き嫌いとは別に、
なんというかモヤモヤっとした「居心地の悪さ」を感じたんだ。
第1~2話は別に陰惨なお話じゃないし、
普通の魔法少女ものアニメとしても中々の評価じゃんか。
そう、それそれ。
その[普通の魔法少女ものアニメ]という括りが引っ掛かったんだ。
確かにこの作品、序盤における展開は
[従来の、正統的な魔法少女路線に沿ったもの]として丁寧に作られた上で、
それを第三話でひっくり返して、強力なサプライズとして機能させた。
が、私はそこがなんだか気になった。
もっと乱暴に言えばなんとなく気に食わなかったんだな。
そっから少しアレコレ考えてみたんだよ。
タイトルに[魔法少女]とついてるからには仕方ない部分はあるけど、
製作者側も、そして視聴者側も、「まどマギ」をとりまく全ての人間が
この作品を[魔法少女もの]、あるいは[魔法少女ものをモチーフにしたダークファンタジー]として扱っている。
しかし「まどか☆マギカ」でモチーフにされているものは
本当に魔法少女もののフォーマットなのかねぇ?
ってところで以下は次回にってことで
YAKSAへの挑戦・おしまい
随分時間が経ってしまいましたが、
YAKSAについてのまとめをば。
「YAKSA」の魅力とは
当時としては非常に作りこまれたオープニングシーンと
洗練されたサウンドによって盛り上がる期待感、
そしてそれを見事にぶち壊しにするゲームとしての劣悪さ、
さらに
アクションゲームとして最大のウリである「ボスキャラ」が未完成なので、
代わりに全部のボスステージをザコ敵で誤魔化すという
見事な詐欺っぷりもさることながら、
説明書においてのなにやら自慢げなウザいコメント等も含めた、
ため息が出るほどの「うんざり感」であると申せます。
間違いなく、プレイにかなりの苦労(精神的にも体力的にも)を伴うゲームですが、
ツッコミどころが多いので決して「退屈なゲーム」ではない・・・と思います。
マップがアホなくらい広いので
流石に全てノーヒントでは無理な気がしないでもないですが、
とても有用な攻略サイトさんがありますので
http://re9801.blog.shinobi.jp/Page/3/
こちらを参考にすれば
パラメータをいじくったり、アイテム無限使用技等を使わなくても
充分にクリアは可能です。
攻略以前の初歩的なポイントとしては
●空中で攻撃のできない最空では、正攻法でのクリアは絶望的。序盤以外では放置の方向で。
●必ず伊織は最初に筑前へ。「ユダの十字架」を手に入れること。
ゲーム中で使う飛び道具は、前半は「ユダの十字架」、後半は「黒王の聖書」だけでいい。
●敵が無限に湧くので、プレイスタイルは
攻撃を連射しながらチョッピリずつジリジリ進むか、
敵を二体引き連れて、振り切らないように延々逃げ続けるのどちらか。
「アクションゲーム」ではなく「作業」と考えること。
●ジャンプで上に昇る時は位置に注意。目の前から突然敵が降ってくる。
●斜め上ないし下から敵に当たると引っ掛かったままゴリゴリ体力を削られる。
敵の前では斜めジャンプをなるべく控え、それでもやっちまったらあきらめる。
何度でも言いますが、苦行同然のひどいゲームです。
もし時間と精神に充分な余裕のある方がおられましたら、
ぜひ挑戦してしてみてください。
次は「斬 夜叉円舞曲」の予定。