両面宿儺(りょうめんすくな)は上古、仁徳天皇の時代に飛騨に現れたとされる異形の人。
魏石鬼 八面大王 (ぎしき はちめんだいおう)は、長野県の安曇野に伝わる伝説上の人物。
どちらにも共通するのは時の大和朝廷によって征伐されたということ。
また、どちらとも頭や腕が複数ある怪人の姿で描かれていることである。
この姿、わたしには仏教で言う阿修羅やインド・ペルシャの火の神アグニとかぶるのです。
もしかすると古代飛騨や信州の地域にインドやペルシャからの渡来人が住み着いていたのではと思えるのです。
(アグニ)
この伝承だけをもとにすると心もとないのですが、飛騨で有名な御祭の際に引き回す山車ですが、
この山車はヒマラヤ山脈周辺の遺跡などにも石に彫られていることが確認されています。
宗教や文化の伝播としてはインドからの影響が多大にあったことは間違いのないことですが、
日本書紀や古事記の伝承として大和朝廷が征服する以前の飛騨地域や信州にインド圏の影響をうけた
人たちが住んでいたといたとすればどうやってやってきたのか?
シルクロード経由か?海路をやってきたのか?
いづれにしてもとんでもない長い旅をしてきたことは間違いありません。
ですが、この小生のとんでも説を補強するものとして日本列島のお隣の朝鮮半島の最南端に古代に存在した国である金官加羅国という国を建国した首露王の王妃「許黄玉(ホファンオッ)」は、インドアユタヤから
西暦48年、王女16歳のとき、船に乗り、伽耶の国へ首露王王妃として嫁ぎ、189年になくなったと言われています。
現在でも、首露王の金海金氏と首露王妃の許氏の結婚は禁じられているそうです。
また、首露王妃陵は1641年に改築されて今の形になり、境内には内三門、外三門、紅箭門などの建物や王妃陵を見て右側に婆娑石塔(パサソッタッ)というものがあります。
(プサンナビより抜粋)
西暦47年といえば日本では第11代垂仁天皇の時代、ようやく神話世界から一歩踏み出した頃にお隣の朝鮮にはインドから王妃までとついで来ていたことを考えると日本にインドからの渡来集団が飛騨や信州に国をつくっていたとしてもなんらの不思議もないようにも思えます。
最近思うのですが、なんの言われも関係もないところに煙はたたないというか、、、
やはり伝承や風俗習慣、文化は人の移動なくしてはないということなのでしょうね。