4月なので、新たに大学生になったみなさんのために
大学生活を楽しむためにはどうしたらいいか?という記事を書こうと
本当は3月中には書こうと思っていたのですが・・・
だいぶ遅れてしまいました
もう大学生活始まって1週間は経っちゃってるよね。
まあいいかこのブログにそんな影響力ないし、それにまだ遅くない。
俺はもともと大学生で、大学生活はかなり楽しかったのですが
悔いがなかったわけではないし、あの時ああしていればもっともっと楽しかっただろうな
というのはいっぱいあります。
でもあの頃が人生で一番楽しい時期だったんだろうなと思います。
大学1年生というのは本当に貴重で重要な期間です。
この1年間をどう過ごすかで
大学4年間を棒に振ってつまらなくダラダラと終えてしまうか、
やりたいことやって満足に卒業できるか
もしくは途中でやめてしまうか決まってくるわけです。
大学で一番大事なものは間違いなく、交友関係だと思います。
これは色んな言い方に変えられますね。友達、人脈、交流・・・これらを増やさないと
大学ではやっていけません。
何がつらいって、講義を一人で受けるってのはマジでつらいです。
それが「この講義一緒に取ろう」っていう友達がいるだけで、なんだろうこの違い。
宿題を教えてもらえるとか休んだ時にノート見せてもらえるとかももちろんありますが
それだけじゃないんです。
別に講義中に友達と私語をするとかじゃないし、そういうことはしちゃダメなんですが
「友達といる」ってだけで安心感がすごいんです。
実際、どこのグループにも入れずいつも独りでいる人は
俺が見た限りだいたい大学やめてました。
それは、いつも一人でいる人は講義をサボりがちで単位が取れなかったからっていうのが
大きいからだと俺は推測しております。
大学辞めちゃう人、ほんと予想以上に多いです。
では友達を作るためにはどうすればいいのか?
やはり一番手っ取り早いのはサークルに入ることでしょう。
俺が大学で最も推奨したいのは「サークルに入ること」です。
大学ってのは入学した途端、いきなり知らない人だらけのところに放り出されるわけですから
最初はみんな「友達できるかな」って不安だし
そこから、知らない人に話しかけてみるのってすごく勇気がいることです。
そうやって友達を作る人もいますが、これはほんとに
そういう積極性のあるコミュニケーションが図れる者だけができる芸当です。
そんな勇気がなくても大丈夫なのがサークルです。
サークルは、どんなやつでも最初は受け入れられます。たぶん。
そして同じ枠の中にいるから、簡単に人と話せる空気ができるわけです。
入るサークルはどこでもいいです。自分が得意としてたり趣味としているもののサークルを覗きましょう
好きなものがなければ、もうなんでもいいから覗いてみましょう。
ひとつに絞らず色んなところをまわってみるのも手です。
俺の場合は、入学前からもともと軽音部に入ることを決めていて
そこが期待以上に理想的な場所だったので
すぐ、ここに骨を埋めようという決心ができました。
俺の大学生活の9割は軽音だったってぐらい、いいサークルでした。
やっぱりサークルってのは大学の「醍醐味」だと思います。
中学高校の部活とは違うんですよね。
話せばどんどん長くなってしまうのでとりあえずこのへんで
結論としては友達を作ろうっていうごく当たり前のことです。
大学にまつわる話ならいくらでもあるので、今後またこの続きを書くかもしれません。
俺は今年の目標を「寛大になる」に設定しました。
人を嫌いになるのはよくないなあ、と痛感することが多かったので。
しかしこれはなかなか一筋縄では達成できない目標です。
誰もが経験したことがあると思いますが
昨日まで普通に仲良く喋っていた友達が急に冷たくなって
自分のことを露骨に避けたり、口をきいてくれなくなったりすることってありますよね。
ブラックビスケッツの「タイミング」の歌詞にもありましたけど。
なんでなんでなんで?ってやつです。
あれほど辛く、どうしようもなく悲しいことはありません。
何か悪いことをしたのか、と思っても向こうは何も言ってくれないしこっちも聞けない。
俺はそれが中学、高校の時けっこうあったので
それから人のことを信じなくなりました。
それは人が嫌いになったわけでなく、人に嫌われるのが怖いからこその人間不信です。
卑屈になって、ちょっとしたことで「俺嫌われてるのかな」って疑うようになっちゃいました。
何度もあったもんだから、俺って自分でも気付かないうちに人を傷付けてるんだろうかって
ひどく自己嫌悪に陥りました。
でもその人たちを俺は責めることはできません。
なぜなら、俺も同じことをやったことがあるからです。
人の嫌な部分って、実はほとんど自分にもあてはまる事なんですよね。
だからちょっとしたことで人を嫌いになったり、態度を変えたりするのはやめようと思ったのです。
とくに集団意識って怖いんですよね。
たとえば誰かがその人の悪い噂を流して、それが広まって
それから皆のその人に対する態度が変わったり。
俺は、「直接その人に嫌なことされたんじゃないんだから、いいじゃん」と思うわけです。
急に冷たくしなくたっていいじゃん、と。
普段そいつが面白ければいいじゃん、と思います。面白かったら全部許せます。
殺人鬼も聖者も凡人も面白かったら全部許せます。
人ってすぐ影響されるものだから、意識がそっちの方に行ってしまうわけですね。
「あの人性格悪いよ」と忠告されると、その人が何をやってもやな奴に見えてしまうんです。
逆に「あの人こわいけど本当は心優しきお方なんだぜ」と言えば、その人が般若みたいな顔しててもめっちゃいい奴に見えるんです。
まあだから、ちょっとむかついたりなんだりしても
「あいつああいうところはむかつくけど、なんだかんだでいい奴だからな」と
自分に言い聞かせて邪心を取り払わなければなと思う次第です。
これがなかなか難しいことでもあるんですが。
実際のところ、心から嫌いな人なんてほとんどいないんですね。
いるとすれば、自分のことを心から嫌ってる人はこっちも嫌いかもしれません。
人を嫌いになるのはよくないなあ、と痛感することが多かったので。
しかしこれはなかなか一筋縄では達成できない目標です。
誰もが経験したことがあると思いますが
昨日まで普通に仲良く喋っていた友達が急に冷たくなって
自分のことを露骨に避けたり、口をきいてくれなくなったりすることってありますよね。
ブラックビスケッツの「タイミング」の歌詞にもありましたけど。
なんでなんでなんで?ってやつです。
あれほど辛く、どうしようもなく悲しいことはありません。
何か悪いことをしたのか、と思っても向こうは何も言ってくれないしこっちも聞けない。
俺はそれが中学、高校の時けっこうあったので
それから人のことを信じなくなりました。
それは人が嫌いになったわけでなく、人に嫌われるのが怖いからこその人間不信です。
卑屈になって、ちょっとしたことで「俺嫌われてるのかな」って疑うようになっちゃいました。
何度もあったもんだから、俺って自分でも気付かないうちに人を傷付けてるんだろうかって
ひどく自己嫌悪に陥りました。
でもその人たちを俺は責めることはできません。
なぜなら、俺も同じことをやったことがあるからです。
人の嫌な部分って、実はほとんど自分にもあてはまる事なんですよね。
だからちょっとしたことで人を嫌いになったり、態度を変えたりするのはやめようと思ったのです。
とくに集団意識って怖いんですよね。
たとえば誰かがその人の悪い噂を流して、それが広まって
それから皆のその人に対する態度が変わったり。
俺は、「直接その人に嫌なことされたんじゃないんだから、いいじゃん」と思うわけです。
急に冷たくしなくたっていいじゃん、と。
普段そいつが面白ければいいじゃん、と思います。面白かったら全部許せます。
殺人鬼も聖者も凡人も面白かったら全部許せます。
人ってすぐ影響されるものだから、意識がそっちの方に行ってしまうわけですね。
「あの人性格悪いよ」と忠告されると、その人が何をやってもやな奴に見えてしまうんです。
逆に「あの人こわいけど本当は心優しきお方なんだぜ」と言えば、その人が般若みたいな顔しててもめっちゃいい奴に見えるんです。
まあだから、ちょっとむかついたりなんだりしても
「あいつああいうところはむかつくけど、なんだかんだでいい奴だからな」と
自分に言い聞かせて邪心を取り払わなければなと思う次第です。
これがなかなか難しいことでもあるんですが。
実際のところ、心から嫌いな人なんてほとんどいないんですね。
いるとすれば、自分のことを心から嫌ってる人はこっちも嫌いかもしれません。
俺は音楽を聴く際に詞を非常に重視します。
重視するというよりは、歌詞というのは自然に入ってくるもので
歌詞の一番の役割は「その曲の印象を強くする」ことだと思います。
インパクトの強い歌詞は聴くだけで強烈に耳に残ります。
歌詞は曲に乗るもので
たとえばメロディーが平凡だとしても歌詞が印象強いものであれば
そのメロディーも良く聞こえるし
陳腐な歌詞であればどんなにいいメロディーも台無しになってしまう
いわば諸刃の剣でありとても繊細な要素なのです。
作詞が上手いと思うミュージシャンを挙げようとすると沢山出てきますが
俺が真っ先に思い浮かぶのはthe pillowsの山中さわおさんです。
この人のように、何気なく書いたような詞なのに聴いた後ずっと頭や胸に残るようなフレーズを創り出せる人こそ最も作詞が上手いと思います。
ピロウズの曲を流し聴きしてると、言葉が急にグッと入ってきたりして
思わず作業を一瞬止めてしまうことがあるほどです。
ピロウズの代表曲「ストレンジ カメレオン」の歌詞なんかはすごいです。
サビの"君といるのが好きで あとはほとんど嫌いで 周りの色に馴染めない出来損ないのカメレオン"っていう歌詞は素晴らしい。
君といること以外はほとんど嫌いってはっきりと言えるからこそのリアルな感情ですね。
自分自身を色を変えられないカメレオンに喩えているのも面白い。
こんな詞はさわおさんにしか書けない、っていうのがいっぱいあります。
メジャーどころで言えばミスチルの桜井さんの詞も上手いなと思います。
サビの言葉のチョイスは天才的だと思う。
"あるがままの心で~"とか"殺人鬼も聖者も凡人も共存していくしかないんですね"とか語感や語呂のいいフレーズをスッポリ入れるのがすごく上手いんです。
あと巧みなのがキリンジ。この人達はめちゃくちゃ頭が良いです。
詞はとても文学的だったりひねくれていてシニカルだったり、それでいてメロディーはきれいだったり、そのギャップがたまりません。
このようにいい詞を書ける人というのは感性がしっかりしててユーモアもあるので
やはりいい曲を作ります。
作詞において、というか音楽においてユーモアは必要不可欠です。
面白いことが言えない、できないミュージシャンの曲ってやっぱりつまらないから。
よく「歌詞なんて必要ない」「メロディーがよけりゃいい、歌詞なんて記号だろ」
とおっしゃられる方もいますが(主に洋楽ファンに多い)
その人達の言い分もわからなくはないです。
とくに洋楽を聴いても全部英語だから歌詞はぜんぜん意味わかんないし
いちいち翻訳したものを見るのもめんどくさいです。
でも、そういった歌詞を重要視しないという人達も
無意識のうちにメロディーだけでなく詞も「聴いている」はずなのです。
洋楽の歌詞の意味がわからなくても、歌があるということが重要なのです。
歌詞なんていらねえよと言いつつインストしか聴かない人なんて結局殆どいないわけで。
意味がわからなくても語感がよければ強い印象として残ります。
ポリシックスの曲なんかそうですね。
ハヤシの詞はたぶんほとんど意味が無いと思うんですが、あれは「意味が無いことに意味がある」のだと思います。
ここにこのフレーズを入れるとハマる、というのを狙ってやっているでしょうから。
結論としては、詞ってのは音楽における極上のスパイスだと思います。
重視するというよりは、歌詞というのは自然に入ってくるもので
歌詞の一番の役割は「その曲の印象を強くする」ことだと思います。
インパクトの強い歌詞は聴くだけで強烈に耳に残ります。
歌詞は曲に乗るもので
たとえばメロディーが平凡だとしても歌詞が印象強いものであれば
そのメロディーも良く聞こえるし
陳腐な歌詞であればどんなにいいメロディーも台無しになってしまう
いわば諸刃の剣でありとても繊細な要素なのです。
作詞が上手いと思うミュージシャンを挙げようとすると沢山出てきますが
俺が真っ先に思い浮かぶのはthe pillowsの山中さわおさんです。
この人のように、何気なく書いたような詞なのに聴いた後ずっと頭や胸に残るようなフレーズを創り出せる人こそ最も作詞が上手いと思います。
ピロウズの曲を流し聴きしてると、言葉が急にグッと入ってきたりして
思わず作業を一瞬止めてしまうことがあるほどです。
ピロウズの代表曲「ストレンジ カメレオン」の歌詞なんかはすごいです。
サビの"君といるのが好きで あとはほとんど嫌いで 周りの色に馴染めない出来損ないのカメレオン"っていう歌詞は素晴らしい。
君といること以外はほとんど嫌いってはっきりと言えるからこそのリアルな感情ですね。
自分自身を色を変えられないカメレオンに喩えているのも面白い。
こんな詞はさわおさんにしか書けない、っていうのがいっぱいあります。
メジャーどころで言えばミスチルの桜井さんの詞も上手いなと思います。
サビの言葉のチョイスは天才的だと思う。
"あるがままの心で~"とか"殺人鬼も聖者も凡人も共存していくしかないんですね"とか語感や語呂のいいフレーズをスッポリ入れるのがすごく上手いんです。
あと巧みなのがキリンジ。この人達はめちゃくちゃ頭が良いです。
詞はとても文学的だったりひねくれていてシニカルだったり、それでいてメロディーはきれいだったり、そのギャップがたまりません。
このようにいい詞を書ける人というのは感性がしっかりしててユーモアもあるので
やはりいい曲を作ります。
作詞において、というか音楽においてユーモアは必要不可欠です。
面白いことが言えない、できないミュージシャンの曲ってやっぱりつまらないから。
よく「歌詞なんて必要ない」「メロディーがよけりゃいい、歌詞なんて記号だろ」
とおっしゃられる方もいますが(主に洋楽ファンに多い)
その人達の言い分もわからなくはないです。
とくに洋楽を聴いても全部英語だから歌詞はぜんぜん意味わかんないし
いちいち翻訳したものを見るのもめんどくさいです。
でも、そういった歌詞を重要視しないという人達も
無意識のうちにメロディーだけでなく詞も「聴いている」はずなのです。
洋楽の歌詞の意味がわからなくても、歌があるということが重要なのです。
歌詞なんていらねえよと言いつつインストしか聴かない人なんて結局殆どいないわけで。
意味がわからなくても語感がよければ強い印象として残ります。
ポリシックスの曲なんかそうですね。
ハヤシの詞はたぶんほとんど意味が無いと思うんですが、あれは「意味が無いことに意味がある」のだと思います。
ここにこのフレーズを入れるとハマる、というのを狙ってやっているでしょうから。
結論としては、詞ってのは音楽における極上のスパイスだと思います。
「なんでも聴くよ」←J-popしか聴かない
「漫画よく読むよー」←ワンピースしか読んでない
「テストやべえwwぜんぜん勉強してねーわwww」←95点
「おれ変態だから」←普通の人
「おれオタクだから」←リア充
「おれエロゲーとか全然やんないし萌えとか興味ないから」←非リア充
「行けたら行くわ」←来ない
「よろしく言っておいてね」←言わない
「○○ちゃん可愛いじゃーん大丈夫だよ~」←私のほうが可愛い
「綾瀬はるかに似てるってたまに言われる~」←ブス
「ぜんぜん辛くねえじゃんこのカレー」←汗だく
「おれ謙虚だから」←自分で謙虚と言ってる時点で謙虚じゃない
「あいつ実際可愛いよな。けっこう面白いし、昨日も話弾んじゃったよ。え、好きなのかって?馬鹿かお前は別にあんなやつ興味ねえよ、ただ話してて面白いなーって思っただけだし恋愛感情とかはねえっつーの、うんまあもし告られらたら付き合うかもしんないけど??俺からは告んねえなあー」←大好 き
「明日からがんばる」←明日はやって来ない
「え、うち遊びにくるの?俺の部屋つまんないよ、何もないし」←本当に何もない
「漫画よく読むよー」←ワンピースしか読んでない
「テストやべえwwぜんぜん勉強してねーわwww」←95点
「おれ変態だから」←普通の人
「おれオタクだから」←リア充
「おれエロゲーとか全然やんないし萌えとか興味ないから」←非リア充
「行けたら行くわ」←来ない
「よろしく言っておいてね」←言わない
「○○ちゃん可愛いじゃーん大丈夫だよ~」←私のほうが可愛い
「綾瀬はるかに似てるってたまに言われる~」←ブス
「ぜんぜん辛くねえじゃんこのカレー」←汗だく
「おれ謙虚だから」←自分で謙虚と言ってる時点で謙虚じゃない
「あいつ実際可愛いよな。けっこう面白いし、昨日も話弾んじゃったよ。え、好きなのかって?馬鹿かお前は別にあんなやつ興味ねえよ、ただ話してて面白いなーって思っただけだし恋愛感情とかはねえっつーの、うんまあもし告られらたら付き合うかもしんないけど??俺からは告んねえなあー」←大好 き
「明日からがんばる」←明日はやって来ない
「え、うち遊びにくるの?俺の部屋つまんないよ、何もないし」←本当に何もない
この1年、ものすごい早さで進んだので
今日が東日本大震災からちょうど1年という実感が湧かず
あの時の記憶は手に取るように思い出せます。
俺は去年の3月11日、大学の後輩たちとみんなでゲームをやっていました。
前もって1週間前にゲーム好きなメンバーで「ゲーム大会をしよう!」ってなってて
その日がちょうど3月11日だったんですね。
11日は金曜日だったのも覚えていて、その日は仕事だったので
震災が起き始めた時、俺は職場にいたのですが
3時ごろに職場がざわつきはじめて、震度3~4ぐらいの地震が起こって
みんなパニックになっていました。
ニュースを見たら東日本が大変なことになっている。
このとき皆、何が起こっていたのかまったくわからなかったと思うし
俺も逆に危機感が湧いて来ませんでした。
しかしその後も何度も地震が起こり、生まれて初めての縦揺れも体験し
職場は混乱して仕事どころじゃありませんでした。
北海道なので被災地に比べたら震度も低く
たいした事なかっただろと思うかもしれませんが
充分、めちゃくちゃ怖かったです。いつここだって大きな揺れがくるかわからないし
こんなに立て続けに地震が起こるなんて初めてですから。
そして何より、気がかりになったのは後輩たちの安否。
この時、電波は繋がらず携帯が使えなくなったのでなおさら不安で
たとえ大きな揺れが来てなくても、やはり心配でした。
無事だとしても、精神的に大きなダメージを負っているのではないかという可能性もあったので。
仕事を終わって帰ってきて、夜に後輩からお迎えが来る予定だったのですが
携帯が繋がらないので連絡が取れず部屋の中で一人落ち着かない状態がしばらく続きました。
が、30分ぐらい経って奇跡的に向こうから電話がつながり、なんとか集合できました。
後輩たちはみんな無事で、元気でした。
その安堵感で俺は胸が満たされました。もうそれだけでよかったって感じになりました。
話題はもちろん、ゲームのことより本日起こった震災の話で持ちきり。
ニュースを見るとずっと東日本の惨状が流れている。
俺たちはみんな、現実感がまったくわかずに
「今、日本やばいことになってるよな・・・」みたいなことをつぶやいてました。
ただ、みんなこの時の気持ちは同じだったと思います。
誰も暗い気持ちになることなく、みんなで鍋を食ってゲームを楽しみました。
ひたすら純粋に楽しみました。
このときはじめてキョロちゃんランドというトラウマゲーをやってそれすらも楽しみました。
俺たちが今できることは無い、ならば生きていることの喜びを噛み締めて
今こうやって集まってみんなでゲームをしている時間を楽しむべきだと。
大好きな後輩たちが無事でいること、それが何よりの喜びでした。
不謹慎とか、よくわかりません。
この時、ツイッターなどでも日本は色んな想いが錯綜して
助け合って傷つけ合って批判し合って
何が正しいのか誰が間違っているのか、よくわからないような
そんな状況になっていたと思います。
俺も、震災から一週間ぐらいはずっと鬱々しい気持ちでいっぱいでした。
でも誰が正しいなんてなくて
生きている人は生きていることを素直に喜ぶ
友達が生きていることを嬉しく思う
それだけでいいんじゃねえかなーと。
今日が東日本大震災からちょうど1年という実感が湧かず
あの時の記憶は手に取るように思い出せます。
俺は去年の3月11日、大学の後輩たちとみんなでゲームをやっていました。
前もって1週間前にゲーム好きなメンバーで「ゲーム大会をしよう!」ってなってて
その日がちょうど3月11日だったんですね。
11日は金曜日だったのも覚えていて、その日は仕事だったので
震災が起き始めた時、俺は職場にいたのですが
3時ごろに職場がざわつきはじめて、震度3~4ぐらいの地震が起こって
みんなパニックになっていました。
ニュースを見たら東日本が大変なことになっている。
このとき皆、何が起こっていたのかまったくわからなかったと思うし
俺も逆に危機感が湧いて来ませんでした。
しかしその後も何度も地震が起こり、生まれて初めての縦揺れも体験し
職場は混乱して仕事どころじゃありませんでした。
北海道なので被災地に比べたら震度も低く
たいした事なかっただろと思うかもしれませんが
充分、めちゃくちゃ怖かったです。いつここだって大きな揺れがくるかわからないし
こんなに立て続けに地震が起こるなんて初めてですから。
そして何より、気がかりになったのは後輩たちの安否。
この時、電波は繋がらず携帯が使えなくなったのでなおさら不安で
たとえ大きな揺れが来てなくても、やはり心配でした。
無事だとしても、精神的に大きなダメージを負っているのではないかという可能性もあったので。
仕事を終わって帰ってきて、夜に後輩からお迎えが来る予定だったのですが
携帯が繋がらないので連絡が取れず部屋の中で一人落ち着かない状態がしばらく続きました。
が、30分ぐらい経って奇跡的に向こうから電話がつながり、なんとか集合できました。
後輩たちはみんな無事で、元気でした。
その安堵感で俺は胸が満たされました。もうそれだけでよかったって感じになりました。
話題はもちろん、ゲームのことより本日起こった震災の話で持ちきり。
ニュースを見るとずっと東日本の惨状が流れている。
俺たちはみんな、現実感がまったくわかずに
「今、日本やばいことになってるよな・・・」みたいなことをつぶやいてました。
ただ、みんなこの時の気持ちは同じだったと思います。
誰も暗い気持ちになることなく、みんなで鍋を食ってゲームを楽しみました。
ひたすら純粋に楽しみました。
このときはじめてキョロちゃんランドというトラウマゲーをやってそれすらも楽しみました。
俺たちが今できることは無い、ならば生きていることの喜びを噛み締めて
今こうやって集まってみんなでゲームをしている時間を楽しむべきだと。
大好きな後輩たちが無事でいること、それが何よりの喜びでした。
不謹慎とか、よくわかりません。
この時、ツイッターなどでも日本は色んな想いが錯綜して
助け合って傷つけ合って批判し合って
何が正しいのか誰が間違っているのか、よくわからないような
そんな状況になっていたと思います。
俺も、震災から一週間ぐらいはずっと鬱々しい気持ちでいっぱいでした。
でも誰が正しいなんてなくて
生きている人は生きていることを素直に喜ぶ
友達が生きていることを嬉しく思う
それだけでいいんじゃねえかなーと。
後編では、ライブアライブというゲームのどこが面白くて魅力的なのかを挙げていきます。
・マルチシナリオシステム
ライブアライブの最大の特徴、マルチシナリオ。
これがこのゲームの面白さ、ストーリーの本筋に深く結びついてくる最重要要素である。
どのシナリオから攻略するかも自由、途中でやり直すのも自由。
シナリオによって時代背景、人物、物語など全く異なる内容となっている。
そしてその「あらゆる時代」の主人公たちが最後に集結するところが一番の醍醐味。
原始人、西洋人、日本人、忍者などどう考えても違和感ありまくりな組み合わせの人達が
仲良く戦ってる光景はなぜか感動してしまう。
・心に残るストーリーと台詞
ただマルチなだけではない。一つ一つが非常に練り込まれた味のあるシナリオになっている。
そのストーリーを盛り上げるのが、なんといっても印象的な台詞の数々。
「心じゃよッ!!」「そうだろ 松ッ!!」「あの世で俺にわび続けろ(ry)」
「この船は最悪だ!」「それは 気の毒に・・・」「お前のいれたコーヒーが飲みたいな」
「ハートも強くなりてえんだッ!!」などなど・・・
はっきり言って実際にやってその場面を見ないとこの台詞たちがグッとくるわけないと思うが
とにかくこれだけじゃ全然足りない、挙げてもキリが無いってほど名言が多すぎるのである。
名言というのは、変に飾らない、直感で出たようなフレーズなのに
強烈に印象に残り、誰もが使いたくなるからこそ名言なのである。
現に、ライブアライブファンはよくネットなどでもこれらの台詞を用いることが多い。
そして感情にこれでもかというほど訴えてくる物語の素晴らしさ。
ベタあり、笑いあり、感動あり、とんでもないどんでん返しありの
賛辞を呈するべき卓越した脚本と演出。
なぜ人がライブアライブの虜になるのか、一番の要因はそこにあるのだろう。
・ゲーム自体の面白さ
ライブアライブは戦闘も特徴的で、「チェッカーバトル」という戦闘システムが適用されている。
技の攻撃範囲などが決まっており、シミュレーションゲームに近い戦略性の高いバトルが展開される。
だからといって難しくはなく、ライトユーザーでもとっつきやすいシステムになっている。
また、ライブアライブは普通にプレイしていると気付かないが実はとても隠し要素などが豊富である。
一度クリアした後に攻略サイトなどを見てみることをオススメする。
やりこみ要素の意外な多さに驚かされるはずだ。
ちなみに俺は最終編で高原日勝は本当にずっと知力25のままなのか?を検証するために
ワールダークや「影」相手にうんざりするぐらい戦ってレベルを99に上げた。
この世に無駄なことなどひとつもない、と思っていたが間違いなくあの時間は無駄だった。
そのころにはワタナベのパンツは99枚になっていた。妙子のパンツは30枚ぐらい。
・巨匠 下村陽子が生んだ名曲の数々
ライブアライブは音楽も高く評価されている。
サウンドを担当したのは、スーパーマリオRPGなどのスクウェア作品を手掛けた下村陽子氏。
まずメインテーマのカッコよさに涙が出るほどの感動を覚える。
そして各シナリオに合った曲がそれぞれ用意されていて、その曲調が絶妙にマッチしている。
どのシナリオにも共通で、メインテーマをアレンジした曲が使われるのがニクい。
そしてある条件を満たすとサウンドテストも出現しちゃんと曲名も表示されるのがうれしすぎる。
最終編のフィールド曲「絶望の都」なんかは、超名曲だと思う。
この曲はイントロ部分はそのタイトル通り不穏な空気で、まさに絶望感の溢れる陰鬱な曲調なのだが
後半から曲調が変わり、明るくなっていくのだ。
これが絶望の中で「まだ希望はある、この世界は蘇る」といったメッセージが込められてような気がして
すごく胸が熱くなるのです。
最終編の魔王に滅ぼされた世界に、これ以上ないピッタリな曲。
下村陽子の類稀なるセンスにはお手上げである。
ほかにも細部をチョイスすればこのゲームの素晴らしいところはいくらでも出てきますが
ちょっと挙げようと思っただけでもこんな量になってしまうので
とにかく俺がどれだけこのゲームが好きで、このゲームが最高であるか
嫌でも伝わったのではないかと思います。
・マルチシナリオシステム
ライブアライブの最大の特徴、マルチシナリオ。
これがこのゲームの面白さ、ストーリーの本筋に深く結びついてくる最重要要素である。
どのシナリオから攻略するかも自由、途中でやり直すのも自由。
シナリオによって時代背景、人物、物語など全く異なる内容となっている。
そしてその「あらゆる時代」の主人公たちが最後に集結するところが一番の醍醐味。
原始人、西洋人、日本人、忍者などどう考えても違和感ありまくりな組み合わせの人達が
仲良く戦ってる光景はなぜか感動してしまう。
・心に残るストーリーと台詞
ただマルチなだけではない。一つ一つが非常に練り込まれた味のあるシナリオになっている。
そのストーリーを盛り上げるのが、なんといっても印象的な台詞の数々。
「心じゃよッ!!」「そうだろ 松ッ!!」「あの世で俺にわび続けろ(ry)」
「この船は最悪だ!」「それは 気の毒に・・・」「お前のいれたコーヒーが飲みたいな」
「ハートも強くなりてえんだッ!!」などなど・・・
はっきり言って実際にやってその場面を見ないとこの台詞たちがグッとくるわけないと思うが
とにかくこれだけじゃ全然足りない、挙げてもキリが無いってほど名言が多すぎるのである。
名言というのは、変に飾らない、直感で出たようなフレーズなのに
強烈に印象に残り、誰もが使いたくなるからこそ名言なのである。
現に、ライブアライブファンはよくネットなどでもこれらの台詞を用いることが多い。
そして感情にこれでもかというほど訴えてくる物語の素晴らしさ。
ベタあり、笑いあり、感動あり、とんでもないどんでん返しありの
賛辞を呈するべき卓越した脚本と演出。
なぜ人がライブアライブの虜になるのか、一番の要因はそこにあるのだろう。
・ゲーム自体の面白さ
ライブアライブは戦闘も特徴的で、「チェッカーバトル」という戦闘システムが適用されている。
技の攻撃範囲などが決まっており、シミュレーションゲームに近い戦略性の高いバトルが展開される。
だからといって難しくはなく、ライトユーザーでもとっつきやすいシステムになっている。
また、ライブアライブは普通にプレイしていると気付かないが実はとても隠し要素などが豊富である。
一度クリアした後に攻略サイトなどを見てみることをオススメする。
やりこみ要素の意外な多さに驚かされるはずだ。
ちなみに俺は最終編で高原日勝は本当にずっと知力25のままなのか?を検証するために
ワールダークや「影」相手にうんざりするぐらい戦ってレベルを99に上げた。
この世に無駄なことなどひとつもない、と思っていたが間違いなくあの時間は無駄だった。
そのころにはワタナベのパンツは99枚になっていた。妙子のパンツは30枚ぐらい。
・巨匠 下村陽子が生んだ名曲の数々
ライブアライブは音楽も高く評価されている。
サウンドを担当したのは、スーパーマリオRPGなどのスクウェア作品を手掛けた下村陽子氏。
まずメインテーマのカッコよさに涙が出るほどの感動を覚える。
そして各シナリオに合った曲がそれぞれ用意されていて、その曲調が絶妙にマッチしている。
どのシナリオにも共通で、メインテーマをアレンジした曲が使われるのがニクい。
そしてある条件を満たすとサウンドテストも出現しちゃんと曲名も表示されるのがうれしすぎる。
最終編のフィールド曲「絶望の都」なんかは、超名曲だと思う。
この曲はイントロ部分はそのタイトル通り不穏な空気で、まさに絶望感の溢れる陰鬱な曲調なのだが
後半から曲調が変わり、明るくなっていくのだ。
これが絶望の中で「まだ希望はある、この世界は蘇る」といったメッセージが込められてような気がして
すごく胸が熱くなるのです。
最終編の魔王に滅ぼされた世界に、これ以上ないピッタリな曲。
下村陽子の類稀なるセンスにはお手上げである。
ほかにも細部をチョイスすればこのゲームの素晴らしいところはいくらでも出てきますが
ちょっと挙げようと思っただけでもこんな量になってしまうので
とにかく俺がどれだけこのゲームが好きで、このゲームが最高であるか
嫌でも伝わったのではないかと思います。
自分にとって異常なまでに思い入れが強いゲームを語るコーナーをはじめました。
第1回のソフトは「ライブアライブ」です。
ちょうど先日、このゲームのサントラが再販されたということで話題性もちょうどありますね。
LIVE A LIVE(ライブアライブ)とは
1994年 スクウェアソフトから発売されたスーパーファミコンのRPGです。
この作品の一番の特徴はマルチシナリオシステム。
原始時代、幕末時代、はては近未来、現代など
様々な時代を舞台にした7つのシナリオを選択し、好きな順番でクリアしていくオムニバス形式のRPG。
戦闘システムなどはどのシナリオも同じデベースはRPGだが
それぞれ非常に個性の強いシナリオになっておりシナリオごとに特色がある。
例えば「原始編」は原始時代が舞台となっており、なんと台詞がひとつもない。
ジェスチャーなどで話が進むという斬新すぎる設定である。
戦闘がほとんどなく次々に巻き起こる事件が展開されていく、RPGというよりアドベンチャーに近い「SF編」
タイムリミットまでに、町にある道具を集めてワナを仕掛けて敵を倒す「西部編」
人の心を読む超能力を駆使して物語を進めていく「近未来編」
敵を避けたり倒したり仕掛けを解いたりしながら攻略していくアクションゲームのような「幕末編」
誰を己の拳法の伝承者にするかを選び、その時によって結末が変わる「功夫編」
一番個性的というか極端なのが、格闘ゲームのノリで敵とのタイマンをこなしていく「現代編」
そして、今更ネタバレも何もないと思うので言及しておくと
これら7つのシナリオをクリアすると隠しシナリオとして「中世編」が現れる。
この中世編が隠しでありながら内容としては最も王道RPGとなっているところがニクい。
さらに、中世編をクリアすると
7つの時代の主人公たちが集結する「最終編」がスタートするのだ。アツいぜ。
これだけ聞いて、おもしろそうと思う人もいれば
そいつぁすげえやと最初の1行だけ読んでやめた人もいるかもしれない。
しかしこのライブアライブというゲーム、非常に根強い熱狂的ファンが多いゲームなのだ。
自分がこのゲームを知ったのは、当時の知る人ぞ知るゲーム雑誌
「勝(マルカツ)スーパーファミコン」を親に買ってもらって、そこでこのライブアライブが
巻頭で数ページに渡って大特集されていたのがきっかけであった。
今思うと、けっこうプッシュされてたんだなあ。
しかし売り上げとしては当時のスクウェアとしてはそれほど芳しくなく
マイナーゲームとして埋もれていく結果となった。
やはりFFのようにネームバリューがあるわけでなくゼロからのスタートだったので
あまり多くの人の目には留まらなかったのであろう。
また俺も、雑誌の特集のおかげで強く印象には残ったが買うまでには至らなかった。
が、発売から約3年経ったある日、兄が中古屋でこのゲームを買ってきたのだった。
3年経ってからもこのゲームのことを覚えていた俺はちょっと心躍った。
そしてプレイ。
このとき、現代編からプレイしなくてよかったと心から思う。
現代編から始めてしまいボスにボコボコにされて「なんだこのクソゲーは」と勘違いして
投げ出してしまったプレイヤーも少なくないとか。
当時ガキだった俺は「おぼっちゃまくんの絵だ!」と小林よしのりのキャラクターデザインに惹かれて
原始編を選択したのだった。
マルカツスーパーファミコンの特集記事の内容を鮮明に覚えていた俺は飲み込みが早かった。
原始編は台詞がまったくないということ知っていた。
それから様々なシナリオをクリアしていくうちに次第にライブアライブの世界にハマっていく。
それはやっていくうちにこのゲームの何もかもが魅力的だということに気付いたからだ。
やたら印象に残るストーリーや台詞・キャラ、耳に残る秀逸なBGM、自由度の高い戦闘システム。
何より醍醐味のマルチシナリオシステムの虜になっていた。
「次のシナリオはどれにしようか迷うのが楽しい」
「このシナリオも楽しいけどあれも早くやりたい」といった感情が自然に生まれていたのだ。
そして、7つのシナリオをクリアしたぞ!とうなるんだ?と言った矢先に現れた謎のシナリオ、中世編。
この演出はガキで愚かだった当時の僕には刺激が強すぎたのである。
え、なんか金髪のおっさんが現れたんだけど?こんなの説明書になかったよ??
と 何が起こったのかわからず気が動転しそうになっていたのです。大げさではなくほんとに。
むしろこの俺の様子をみたらスクウェア大喜びだったかもしれない。
で、もはやネットでは有名だが中世編の衝撃的な結末。
子供の俺にはまたまた刺激が強すぎました。
この時、ガキながらに思ったのである。「このゲームえげつねえ」と。
そして最終編。この、オールスター的な展開に俺は大興奮した。
バラバラだった主人公が一同に介する。これで燃えないやつはこの世にいないだろと。
トゥルーエンディングを見れた時は胸が焼けた。
しばらくしてから兄はこのゲームを売ってしまうのだが
このゲームにどっぷりハマってしまってあまりにも愛着が強くなってしまった俺は
その後中古屋見つけて、自分の手でライブアライブを買った。
ついでに攻略本が売ってたのでそれも買った。NTT出版と小学館から出てるやつ2つとも購入。
するとさらにこのゲームの奥深さを知ることとなるのだった。
なんか自分語りでめちゃくちゃ長くなっちゃった。ごめんなさい。
後編でこのゲームのどこが素晴らしいのかをもっと具体的に語っていきます。続く
第1回のソフトは「ライブアライブ」です。
ちょうど先日、このゲームのサントラが再販されたということで話題性もちょうどありますね。
LIVE A LIVE(ライブアライブ)とは
1994年 スクウェアソフトから発売されたスーパーファミコンのRPGです。
この作品の一番の特徴はマルチシナリオシステム。
原始時代、幕末時代、はては近未来、現代など
様々な時代を舞台にした7つのシナリオを選択し、好きな順番でクリアしていくオムニバス形式のRPG。
戦闘システムなどはどのシナリオも同じデベースはRPGだが
それぞれ非常に個性の強いシナリオになっておりシナリオごとに特色がある。
例えば「原始編」は原始時代が舞台となっており、なんと台詞がひとつもない。
ジェスチャーなどで話が進むという斬新すぎる設定である。
戦闘がほとんどなく次々に巻き起こる事件が展開されていく、RPGというよりアドベンチャーに近い「SF編」
タイムリミットまでに、町にある道具を集めてワナを仕掛けて敵を倒す「西部編」
人の心を読む超能力を駆使して物語を進めていく「近未来編」
敵を避けたり倒したり仕掛けを解いたりしながら攻略していくアクションゲームのような「幕末編」
誰を己の拳法の伝承者にするかを選び、その時によって結末が変わる「功夫編」
一番個性的というか極端なのが、格闘ゲームのノリで敵とのタイマンをこなしていく「現代編」
そして、今更ネタバレも何もないと思うので言及しておくと
これら7つのシナリオをクリアすると隠しシナリオとして「中世編」が現れる。
この中世編が隠しでありながら内容としては最も王道RPGとなっているところがニクい。
さらに、中世編をクリアすると
7つの時代の主人公たちが集結する「最終編」がスタートするのだ。アツいぜ。
これだけ聞いて、おもしろそうと思う人もいれば
そいつぁすげえやと最初の1行だけ読んでやめた人もいるかもしれない。
しかしこのライブアライブというゲーム、非常に根強い熱狂的ファンが多いゲームなのだ。
自分がこのゲームを知ったのは、当時の知る人ぞ知るゲーム雑誌
「勝(マルカツ)スーパーファミコン」を親に買ってもらって、そこでこのライブアライブが
巻頭で数ページに渡って大特集されていたのがきっかけであった。
今思うと、けっこうプッシュされてたんだなあ。
しかし売り上げとしては当時のスクウェアとしてはそれほど芳しくなく
マイナーゲームとして埋もれていく結果となった。
やはりFFのようにネームバリューがあるわけでなくゼロからのスタートだったので
あまり多くの人の目には留まらなかったのであろう。
また俺も、雑誌の特集のおかげで強く印象には残ったが買うまでには至らなかった。
が、発売から約3年経ったある日、兄が中古屋でこのゲームを買ってきたのだった。
3年経ってからもこのゲームのことを覚えていた俺はちょっと心躍った。
そしてプレイ。
このとき、現代編からプレイしなくてよかったと心から思う。
現代編から始めてしまいボスにボコボコにされて「なんだこのクソゲーは」と勘違いして
投げ出してしまったプレイヤーも少なくないとか。
当時ガキだった俺は「おぼっちゃまくんの絵だ!」と小林よしのりのキャラクターデザインに惹かれて
原始編を選択したのだった。
マルカツスーパーファミコンの特集記事の内容を鮮明に覚えていた俺は飲み込みが早かった。
原始編は台詞がまったくないということ知っていた。
それから様々なシナリオをクリアしていくうちに次第にライブアライブの世界にハマっていく。
それはやっていくうちにこのゲームの何もかもが魅力的だということに気付いたからだ。
やたら印象に残るストーリーや台詞・キャラ、耳に残る秀逸なBGM、自由度の高い戦闘システム。
何より醍醐味のマルチシナリオシステムの虜になっていた。
「次のシナリオはどれにしようか迷うのが楽しい」
「このシナリオも楽しいけどあれも早くやりたい」といった感情が自然に生まれていたのだ。
そして、7つのシナリオをクリアしたぞ!とうなるんだ?と言った矢先に現れた謎のシナリオ、中世編。
この演出はガキで愚かだった当時の僕には刺激が強すぎたのである。
え、なんか金髪のおっさんが現れたんだけど?こんなの説明書になかったよ??
と 何が起こったのかわからず気が動転しそうになっていたのです。大げさではなくほんとに。
むしろこの俺の様子をみたらスクウェア大喜びだったかもしれない。
で、もはやネットでは有名だが中世編の衝撃的な結末。
子供の俺にはまたまた刺激が強すぎました。
この時、ガキながらに思ったのである。「このゲームえげつねえ」と。
そして最終編。この、オールスター的な展開に俺は大興奮した。
バラバラだった主人公が一同に介する。これで燃えないやつはこの世にいないだろと。
トゥルーエンディングを見れた時は胸が焼けた。
しばらくしてから兄はこのゲームを売ってしまうのだが
このゲームにどっぷりハマってしまってあまりにも愛着が強くなってしまった俺は
その後中古屋見つけて、自分の手でライブアライブを買った。
ついでに攻略本が売ってたのでそれも買った。NTT出版と小学館から出てるやつ2つとも購入。
するとさらにこのゲームの奥深さを知ることとなるのだった。
なんか自分語りでめちゃくちゃ長くなっちゃった。ごめんなさい。
後編でこのゲームのどこが素晴らしいのかをもっと具体的に語っていきます。続く
僕はtwitterであまり自分からフォローしたりとかはせず
また、フォローされてもあんまりフォロー返しをしません。
しかしこれは決して気まぐれだからというわけではなく
いつからかかなり慎重にフォローするようになったためなのです。
不思議なことに、その人をフォローする前はつぶやきを見てて
「うわあこのひと面白い!よしフォローしよう」って思ってフォローしたのに
なぜかフォローした途端につまらなくなる人がいたりします。
まるで服を買う時のようです。
店で見かけた時は「うわあこの服かっこいい!試着しよう!やっぱかっこいい!」ってなるのに
いざ買って実際にプライベートで着てみると「あれ・・・?」ってなる、あの感覚です。
(まあ、ショップは服をよく見せるのが上手いというのもありますが)
これは完全に自分勝手な感覚なので
本当はその人自体に何か劇的な変化が起きたわけではないのです。
その人にとってはいい迷惑です。
なのになぜフォローした後に「あれ、フォローする前にはあんなに面白く感じたのに・・・」
という感覚に陥ってしまうのか。
たぶんフォローする前のテンションって勢いがあるからちょっと妙なのでしょう。
また、その人のページを開いてその人のつぶやきだけを見るのと
自分のタイムラインにその人のつぶやきが流れてくるのでは
見え方が違うせいもあるかもしれません。
こんなことがしょっちゅうあるから、フォローして後悔したくないので
僕はちゃんと吟味してからフォロー返すか返さないか決めるようになったのです。
ツイッターはお手軽さがウリだと思ってるから、わりとフォローは外したりしますが
やはりフォロー外すのもあまり気分がいいことではないですからね。
だから、誰かにフォローされた時は
その人のつぶやきを遡ってだいたい20~60件ぐらい見ます。
そこで例えば、自分に合う話題がまるでなかったり、リプライやリツイートが多すぎたり、つぶやきが「はらへった」「さむい」「仕事いきたくない」とかばっかりだったら
これは返さなくていいな、となります。
他にもいろいろ事例はありますが。
逆にフォローを返すのはどんな時なのか?
とりあえずその人のつぶやきを見て
まあなんか落ち着いてる感じで自分のタイムラインに乗っても
邪魔にならない感じだったらだいたい返してます。
あ、面白い!って思ったら喜んで返しますが、それでも慎重なので
面白いと思ったらその人のつぶやきログをどんどん見ていきます。
しかし例外はアイコン。
その人のアイコンが僕のツボにハマると、それだけでフォローを返してしまうことがあります。
これがいわゆる「ジャケ買い」です。
ジャケ買いの失敗例は正直、多いです。
俺がフォローした途端アイコン変えないでくれよ!!っていうの、あるあるですよね。
書いてから思ったけど、これ前に書いた記事(↓)とまるかぶりしてるんじゃないか。
http://ameblo.jp/mukadeed/entry-10977109686.html
また、フォローされてもあんまりフォロー返しをしません。
しかしこれは決して気まぐれだからというわけではなく
いつからかかなり慎重にフォローするようになったためなのです。
不思議なことに、その人をフォローする前はつぶやきを見てて
「うわあこのひと面白い!よしフォローしよう」って思ってフォローしたのに
なぜかフォローした途端につまらなくなる人がいたりします。
まるで服を買う時のようです。
店で見かけた時は「うわあこの服かっこいい!試着しよう!やっぱかっこいい!」ってなるのに
いざ買って実際にプライベートで着てみると「あれ・・・?」ってなる、あの感覚です。
(まあ、ショップは服をよく見せるのが上手いというのもありますが)
これは完全に自分勝手な感覚なので
本当はその人自体に何か劇的な変化が起きたわけではないのです。
その人にとってはいい迷惑です。
なのになぜフォローした後に「あれ、フォローする前にはあんなに面白く感じたのに・・・」
という感覚に陥ってしまうのか。
たぶんフォローする前のテンションって勢いがあるからちょっと妙なのでしょう。
また、その人のページを開いてその人のつぶやきだけを見るのと
自分のタイムラインにその人のつぶやきが流れてくるのでは
見え方が違うせいもあるかもしれません。
こんなことがしょっちゅうあるから、フォローして後悔したくないので
僕はちゃんと吟味してからフォロー返すか返さないか決めるようになったのです。
ツイッターはお手軽さがウリだと思ってるから、わりとフォローは外したりしますが
やはりフォロー外すのもあまり気分がいいことではないですからね。
だから、誰かにフォローされた時は
その人のつぶやきを遡ってだいたい20~60件ぐらい見ます。
そこで例えば、自分に合う話題がまるでなかったり、リプライやリツイートが多すぎたり、つぶやきが「はらへった」「さむい」「仕事いきたくない」とかばっかりだったら
これは返さなくていいな、となります。
他にもいろいろ事例はありますが。
逆にフォローを返すのはどんな時なのか?
とりあえずその人のつぶやきを見て
まあなんか落ち着いてる感じで自分のタイムラインに乗っても
邪魔にならない感じだったらだいたい返してます。
あ、面白い!って思ったら喜んで返しますが、それでも慎重なので
面白いと思ったらその人のつぶやきログをどんどん見ていきます。
しかし例外はアイコン。
その人のアイコンが僕のツボにハマると、それだけでフォローを返してしまうことがあります。
これがいわゆる「ジャケ買い」です。
ジャケ買いの失敗例は正直、多いです。
俺がフォローした途端アイコン変えないでくれよ!!っていうの、あるあるですよね。
書いてから思ったけど、これ前に書いた記事(↓)とまるかぶりしてるんじゃないか。
http://ameblo.jp/mukadeed/entry-10977109686.html
「普通のことを言う勇気」を持つことがすごく大事だと
かつてくりぃむしちゅーのお二人が言及されていました。
まさしくその通りだと思います。
ウケを狙いすぎちゃいけないんです。
僕がうっとうしいと思う人間トップ5には堂々ランクインするであろう人種
それが「へんなことしたがり」です。
とにかく四六時中、変なことしか言わない。
ズレたことを言いたがる。
みんなが「カラオケ行こう~」っていうノリになったら「そんなことよりマック行こうぜ」とか言っちゃう。
好きなハードは?と聞いたらネオジオポケットとか答えたがる。
ちょっと具体例がわかりにくいかもしれないっていうか俺もうまく挙げられないんだけど。
この人たちは、「変な人」ではなく
「変だと思われたいだけの人」なのです。
だから普通のことを言いたがらない。
タチが悪いのが、自分がすごく面白いことを言ってると思い込んでいるのである。
つまり言っていることすべてが受け狙いなのです。
はっきり言ってぜんぜん面白くない。
はっきり言ってぜんぜん面白くない。
そもそもギャグとかボケって欲張って連発するとどんどんつまらなくなっていくんです。
小出しにしなきゃいけないんです。
だから「変なこと」を言う(「ボケる」と言い換えてもいい)のはいいけど
合間に「普通のこと」を挟まないとまったく機能しなくなってしまいます。
だったらアンタッチャブルのザキヤマなんかは常に変なこと言ってるけど
あれはどうなんだ、と思うかもしれません。
が、ザキヤマはそういう「へんなことしたがり」タイプとはまったく別だと僕は思っています。
ザキヤマは計算された笑いだし、普通のツッコミもできる。空気も読める。
面白い人っていうのは意識しなくしても自然に、普通の会話の中に
面白いことを挟めるのです。
へんなことしたがり、言いたがり、ほんと相手に疲れる。
かつてくりぃむしちゅーのお二人が言及されていました。
まさしくその通りだと思います。
ウケを狙いすぎちゃいけないんです。
僕がうっとうしいと思う人間トップ5には堂々ランクインするであろう人種
それが「へんなことしたがり」です。
とにかく四六時中、変なことしか言わない。
ズレたことを言いたがる。
みんなが「カラオケ行こう~」っていうノリになったら「そんなことよりマック行こうぜ」とか言っちゃう。
好きなハードは?と聞いたらネオジオポケットとか答えたがる。
ちょっと具体例がわかりにくいかもしれないっていうか俺もうまく挙げられないんだけど。
この人たちは、「変な人」ではなく
「変だと思われたいだけの人」なのです。
だから普通のことを言いたがらない。
タチが悪いのが、自分がすごく面白いことを言ってると思い込んでいるのである。
つまり言っていることすべてが受け狙いなのです。
はっきり言ってぜんぜん面白くない。
はっきり言ってぜんぜん面白くない。
そもそもギャグとかボケって欲張って連発するとどんどんつまらなくなっていくんです。
小出しにしなきゃいけないんです。
だから「変なこと」を言う(「ボケる」と言い換えてもいい)のはいいけど
合間に「普通のこと」を挟まないとまったく機能しなくなってしまいます。
だったらアンタッチャブルのザキヤマなんかは常に変なこと言ってるけど
あれはどうなんだ、と思うかもしれません。
が、ザキヤマはそういう「へんなことしたがり」タイプとはまったく別だと僕は思っています。
ザキヤマは計算された笑いだし、普通のツッコミもできる。空気も読める。
面白い人っていうのは意識しなくしても自然に、普通の会話の中に
面白いことを挟めるのです。
へんなことしたがり、言いたがり、ほんと相手に疲れる。
俺は文章を読むのも書くのも大好きなんですが
今まで本を読む習慣がありませんでした。
それは漫画の方が好きだったことと
集中力が皆無なので本当に他にすることが無い時以外、本を読めなかったからです。
昨年から、通勤の電車や仕事の昼休みなど空白の時間が増えたことがきっかけで
本を読むようになりました。
去年の夏ぐらいに村上龍を読み始めてから
村上龍以外の作家の小説が読めなくなりました。
それぐらいの衝撃がありました。
村上龍のすごいところは、「読者のことを考えていなさそうなところ」です。
それだけ自由度が非常に高いのです。
本当に書きたいことを書いて、好きなことを好きなだけやらせてもらってるって感じ。
たとえば『イビサ』っていう作品はとんでもない。
簡潔に言うと、男を捨てた淫靡な女がひたすら旅しまくってその道中でムラムラしたり
超能力使ったりして、とにかく旅するっていうよくわかんない作品。
はっきり言って俺程度の読解力では、この小説の面白さを理解することはできなかった。
なんとか最後まで読んだけどすごく疲れた。
だが、強烈な読後感が残った。
そのインパクトの秘密は、村上龍の圧倒的な描写力にあると思う。
とにかくひとつひとつの挙動が細かく、くまなく、綿密に描かれていて
それも別に、必ず伏線などがあるというわけではない。
しかし気がつけば本の世界に取り込まれて
頭の中に情景が浮かんでくるのである。
この『イビサ』には気味が悪いというか、気持ち悪い表現が沢山出てくる。
そもそも村上龍の作品にはセックスやドラッグを用いた作品が多いわけだが
ここまで生々しい表現を躊躇いも無く読者に怒涛のように浴びせてくる人も
なかなかいないだろう。
あと村上龍には「あざとさ」が無い。俺はそこが好きなわけなんですが
たとえばそのへんの作家だといろいろ露骨なんですよね。
伏線を張り巡らせ過ぎていたり、わざわざ難しい言葉を用いたりして
小説書くのうまいでしょ?っていうアピールをしているような。
そういうあざとい文体が目につくことがあって。
村上龍にはそれがない。
伏線ひとつにしてもさりげなく、うまく入り込んでくる。
何より村上龍にはユーモアがある。
ものを作る人に一番必要なのはユーモアだと俺は思っているので
逆にユーモアが無い作家は話もつまらないと思う。
ユーモアっていうのはただ人を笑わせるとか、そういう能力のことだけでなく
ユーモアがある人は頭がいいからシリアスなものを書かせても上手いわけです。
村上龍の小説は現時点でまだ10冊ほどしか読んでないけど
とにかくどれもそれぞれ色が違って、でも村上龍らしさがあって素晴らしいです。
俺はデビュー作『限りなく透明に近いブルー』から読んだんだけど
これを読んで「もっと村上龍を読みたい!」と思えるかどうかで
その人に村上龍の作品が合ってるかどうか決まると思う。
個人的には『希望の国のエクソダス』が、読んだ中では一番好き。
面白くて内容がわかりやすいのは『最後の家族』。
笑えるのは『69』。
興味があったら読んでみては如何。
ちなみに俺が村上龍を読んでみようと思ったのは
高校の頃、好きだった国語の先生が村上龍の大ファンというか信者で
「村上龍は神様だと思っています」と崇拝していたのが
強く印象に残っていたため。
学校の視聴覚室で映画版『69』の試写会をやってくれたりもしました。
村上龍の作品を実際に手にとってみて、その先生が言ったことが
少しだけわかったような気がします。
今まで本を読む習慣がありませんでした。
それは漫画の方が好きだったことと
集中力が皆無なので本当に他にすることが無い時以外、本を読めなかったからです。
昨年から、通勤の電車や仕事の昼休みなど空白の時間が増えたことがきっかけで
本を読むようになりました。
去年の夏ぐらいに村上龍を読み始めてから
村上龍以外の作家の小説が読めなくなりました。
それぐらいの衝撃がありました。
村上龍のすごいところは、「読者のことを考えていなさそうなところ」です。
それだけ自由度が非常に高いのです。
本当に書きたいことを書いて、好きなことを好きなだけやらせてもらってるって感じ。
たとえば『イビサ』っていう作品はとんでもない。
簡潔に言うと、男を捨てた淫靡な女がひたすら旅しまくってその道中でムラムラしたり
超能力使ったりして、とにかく旅するっていうよくわかんない作品。
はっきり言って俺程度の読解力では、この小説の面白さを理解することはできなかった。
なんとか最後まで読んだけどすごく疲れた。
だが、強烈な読後感が残った。
そのインパクトの秘密は、村上龍の圧倒的な描写力にあると思う。
とにかくひとつひとつの挙動が細かく、くまなく、綿密に描かれていて
それも別に、必ず伏線などがあるというわけではない。
しかし気がつけば本の世界に取り込まれて
頭の中に情景が浮かんでくるのである。
この『イビサ』には気味が悪いというか、気持ち悪い表現が沢山出てくる。
そもそも村上龍の作品にはセックスやドラッグを用いた作品が多いわけだが
ここまで生々しい表現を躊躇いも無く読者に怒涛のように浴びせてくる人も
なかなかいないだろう。
あと村上龍には「あざとさ」が無い。俺はそこが好きなわけなんですが
たとえばそのへんの作家だといろいろ露骨なんですよね。
伏線を張り巡らせ過ぎていたり、わざわざ難しい言葉を用いたりして
小説書くのうまいでしょ?っていうアピールをしているような。
そういうあざとい文体が目につくことがあって。
村上龍にはそれがない。
伏線ひとつにしてもさりげなく、うまく入り込んでくる。
何より村上龍にはユーモアがある。
ものを作る人に一番必要なのはユーモアだと俺は思っているので
逆にユーモアが無い作家は話もつまらないと思う。
ユーモアっていうのはただ人を笑わせるとか、そういう能力のことだけでなく
ユーモアがある人は頭がいいからシリアスなものを書かせても上手いわけです。
村上龍の小説は現時点でまだ10冊ほどしか読んでないけど
とにかくどれもそれぞれ色が違って、でも村上龍らしさがあって素晴らしいです。
俺はデビュー作『限りなく透明に近いブルー』から読んだんだけど
これを読んで「もっと村上龍を読みたい!」と思えるかどうかで
その人に村上龍の作品が合ってるかどうか決まると思う。
個人的には『希望の国のエクソダス』が、読んだ中では一番好き。
面白くて内容がわかりやすいのは『最後の家族』。
笑えるのは『69』。
興味があったら読んでみては如何。
ちなみに俺が村上龍を読んでみようと思ったのは
高校の頃、好きだった国語の先生が村上龍の大ファンというか信者で
「村上龍は神様だと思っています」と崇拝していたのが
強く印象に残っていたため。
学校の視聴覚室で映画版『69』の試写会をやってくれたりもしました。
村上龍の作品を実際に手にとってみて、その先生が言ったことが
少しだけわかったような気がします。