2016年7月8日まで

昨今の日本社会の好戦的な傾向に若者が嫌悪をあまり示さない一因に、テレビゲームや戦隊ものTV番組の格好いい戦いの姿や、相手を殺したり抹殺するシーンがふんだんにあることを指摘できるのではないか。月光仮面はどんな悪人でも一人も殺していない。

民主的な選挙というものから日本の選挙は程遠い。一方的な候補者政党のしゃべくりか対立政党への批判ぐらいしかない。支持団体の幹部との対話はあっても一般国民と候補者政党との対話がない。選挙法の戸別訪問禁止など、インチキな選挙制度がまかり通る。

普通に日本が戦争できる法律を作った狙いは、自衛隊日本人をアメリカ軍の下部組織として名実ともにアメリカが使えるようにするためである。かつて、アメリカの情報収集艦が北朝鮮に拿捕された時、アメリカ軍と共に自衛隊も臨戦態勢に移行した。自衛隊の最高司令官である佐藤総理も知らないうちに。

神風特攻隊の国家としての推進は日本人集団社会の狂気が人類史の狂気の最高形態の一つであることをしめしている。ナチスや原爆投下の残虐性を上回る狂気である。現在もこの狂気の根は深く存在しているのは安倍君の「美しい日本」発言に現れている。


パワーバランスの均衡を求めて投票することも必要。自分の意見にぴったりの政党や候補者がいなくてもこの原則で投票を考えましょう。一方的に有力な政党ができるのは今までの独裁的な日本政治からして民主主義から外れる。

日本の公選法の選挙がインチキの民主主義を育てている

日本の政治は阿呆に支配されている。もちろん独裁制国家の名実ともに目指す連中にとっては有能で正しい人たちなのだろう。

現在ある制度や政治の流れを理性と歴史的考察を持った分析しないと、これらの制度が物理法則のように自明な正しいものと思って変えようもないもののように思ってしまう。支配階級の常に洗脳は日々行われているといえるので自己の思考や感性を常に検討すべき。私有財産制の絶対化がその主なものだ。

いちどすべてをつぶすほどの事をしないとだめ。それの揺り戻しで正常に戻すのを期待するのみ。そうでない今までのやり方では、日本国民の先の大戦を上回る犠牲はさけられないだろう。

NHKの記者の質問はなにか安倍の言い訳をアピールする前座に聞こえてしまう。

ビジネス界で活躍している人間のサイコパス度は刑務所に入っている連中より高い。ただ前者は自己コントロールの能力が後者より高い。

自分が20代のころ、これほど日本が格差社会になることや戦後の経済の民主化政策で行われた労働者保護(派遣業務などは禁止)、財閥解体(持ち株会社の禁止)が崩壊するなど予想はする人は少なかった。国公立大学の授業料値上げからこの傾向はなんとなく感じてはいた。

政治家が自分たちの保身と権威、ぜいたくな生活に、都合が悪くなる法律を作るという事はまずありえない。例外的な人はいるだろうが、政治家を縛る憲法はその憲法ができる前の政治担当者によって作られたのではない。

心理操作されている宗教団体の若者が御釈迦さまより偉いかたの宗教を宣伝している。議論すべきではない。井の中の蛙はレディメイドの真理に飛びつき信ずる。思考する必要はなく、というか思考の習慣が自分にないことにきずかず、自尊心を満足させてくれるから。どんな思索をしたか事細かく聞けばよい

日本は偽装民主国家である。その本質は封建制的な全体主義体制社会である。選挙制度の不平等・反民主的規定、メデイアの記者クラブ制依存・官僚の取材拒否による行政のコントロール、電波法の反民主的解釈、政治家とやくざの癒着、文科省の教育統制、憲法無視の法解釈そして保証人制度等で証明される

2016年2月21日まで

あなたは望みを実現できる。ただし、理性と愛が働く望みであれば。

話題を思いつかなければ、天気の話からでもいいのでは。

一見安倍一党批判のものを見かけるがこれの意図するところはどうも単純ではない。本当に理性と愛や人権を重視したもの、安倍一党に対しては本心から批判しているが、理性を無視して自己の感情におぼれて結局安倍一党の信用を相対的に高めているもの、意図的に安倍一党の信用を高めるためのもの。
二番目と三番目が圧倒的に多くの人の耳目を集める。この二者は時に国民をばかにすることで安倍一党に貢献している。

べトナム戦争について、当時、盛んにマスメデイアは報道している。特にアメリカのメデイアは先鋭的であって、アメリカ軍はベトナムでアメリカメデイアに敗北したとさえ言われていた。

他人は皆、傲慢人、詐欺師や強盗や欲求不満の解消や劣等感払しょくのための攻撃衝動の塊のように見える時もあるが、良き行動をする人、時として良き行動をする人もいる、と考えよう。あなたがその良き人の一人でしょうから。

弱者を見捨て自己責任論を強調することで弱肉強食の世界を肯定する方が現在の日本では売れ筋なのだろう。この種の主張の人の大半は自己が恵まれた生活環境にあったことや偶然の極めて少ない幸運に出会ったことを無視している。

いくら政権批判をしても国民一般を馬鹿にした様な発言をすれば、政権に有利なことは明白なのにこれをやっている人がいる。人は感情的に反応する人が大半であり、「非合理な言動をする。」アメリカの行動経済学者が言っていることだが、情緒に流されやすい日本人にはもっとひどいであろう。

「アーナンダよ、そうではない、サンガにあつまる友を得たことこそ悟りの全部でもある」(釈迦)

国民に産軍複合体に注意を向けるように演説したアメリカ大統領は、戦後すぐ大統領になったアイゼンハワーである。このようなところがアメリカの希望でもある。日本では考えられぬだろう。元最高幹部の軍人がこのような演説をするのは。

希望を持つこと。どんな状態でもしっかり生きていくという希望がないとだめです。ナチの強制収容所を生き抜いた臨床心理学者のフランクルは、収容所にいた時は、解放された後の自分の人生をいつも想像していたと語っています。解放されて大学で講義する自分を想像していた。

40年以上前にも北欧の男女平等社会、福祉、社会保障制度やその思想が紹介されていた。日本も福祉国家を目指すべきだという言葉が政治家の決まり文句のようになっていた。しかし、見せ掛けだけのその場限りの政策以外はなされなかった。日本社会は退化している。

植木等さんの父親も亡くなる直前は周りの人に「ありがとう」といっていたと、植木さんは述べています。この方も生前は波乱万丈の人生だったようですが。

「私の今の知見ではこの方法が最良と思うが、人によって違うかもしれないし、私はあなたのすべてを知っているわけではないので絶対という事は申しません。どうなさいますか?」これが本来の人間として科学者としての医者の態度であろう。

最悪期以外は自己治癒力を信じることによって多くの病は改善している。特に明確に原因がわかっていない病は多い。病の原因を本などで詳しく調べてみるとその記述を見ることは珍しくない。加えて医者の大半は(病院経営者を含めて)金儲けのために医者をやっていることを忘れないようにしよう。

何も知らなくても誰でも今の政治家のやっている政治はできるということ。ただし政治家になるには、口先人間で、人脈があってお金集めがうまくないとなれないという事だろう。

失敗を失敗と認識しない回路の持ち主が日銀には多いという事だろう。政府も似たようなものだが。

根拠のない楽観主義は必ず幼少より一人以上の大人の信頼する支援者がいる人に見られる。(オックスフォード大学教授エレーヌ・フォックス)

褒めることしかできないスポーツ番組のタレント芸人MC。

ささくれ立つ精神がいいとは思わぬが、さりとて自ら愛を経験していない人には、怒り憎悪罵倒が何より美味しいのだ。この人間の性癖を改善することは社会的にも個人的にもやろうと社会全体が気にするようになればできる。ただし、分断して支配するには不都合なので富者や権力者、有力者はこれを妨げる

アルゼンチンは大戦後2回破産しているが、国家として存在し国民が大量飢え死にしたとも聞かない。国家は国際社会に援助と借金の棒引きを求め、国民は暴動を起こし略奪を行う。金持ちはもともと資産の大半を外国の民主主義国に預けている。人権と民主主義を守る勤勉な国に頼っているのだ。

分断して支配せよ を実践している側に協力している人は誰ですか?

身体が弱り孤独になれば信仰に救いを求めるのが日本人の特徴の一つ。ただしそれはキリスト教系仏教系の特定のものになる必然性はない。どちらも非理性的だから。キリスト教系の人は信仰を理性的だと言い張るのでもはや話にはならない。ただ、文学的に話すしかない。これは恐ろしく難しい。

「イワシの頭も信心」という言葉の意味を解説せよ!

一人の死は悲劇でも、100万人の死は統計上の数字に過ぎない」(スターリン)

貴重な人生の一日が終わるがこれを意義あるものとする行為が残っている。今日を創作するのだ頭の中で。>^_^<

困難と思われる仕事や家事、課題、人間関係のことなどの処理に夢中になると失敗や後悔の元を作るのは止もう得ないが、そのことを終えると困難さを忘れプロセスの記録を残さないと、同じ困難なことが生じた時また同じ努力や不安、焦りを繰り返すこととなる。

観念と習慣のドレになり易いのが人間でもある。人の過ちは避けがたいし、自分の権威や利益のために他人を利用した嘘や詐欺行為はなくならない。しかしこれをその都度修正する力を作ることも人間や社会はできる。その力を育てることに完全に失敗したのが日本の戦前社会。

自分の行動に自責の念を持つ人と持たない人の差が大きすぎるのではないか。最近の神経症のクライエントには「誰それのせいで自分はこうなった」という訴えをする人が多いと聞く。

人生の不易なものと流行なもの両方なさねばならぬ。それが人生。両方しないと常に不安が大きくなる。ただ刹那の快に忘れるという手はある。しかし、ツケは老後に必ずまわってくる。

「南の島にみぞれが降る」という芝居やミュージカルがつくれないかな。安倍君が作った体制によって日本は国土や気候がおかしくなって・・・という時代背景で。

いいことあるかい。71歳から絵をかきはじめて画家としてそれなりに成功し、100歳以上生きたアメリカ女性がいる。71歳までは平凡な農家の奥様。サクセスエイジングの事例か?

どのように生きるか?はどのように死にたいのか、死に向かうかの逆算から考えることもできる。考えないでやりたいことをやって生きていければ問題はないのだが。

作家の故城山三郎氏は若き日、海軍特攻隊に志願した経験の持ち主だが、兵営にあるときの頭には「死か勝利」しかなかったと述べています。

みんなで死ねば怖くない。「一億総玉砕」

政治経済において理性的になるとは、自然科学ほどでない実証性と蓋然性のお大きい論理性を持つこと。合理論と経験論を組み合わせること。なぜアジアやアフリカで自然科学や社会科学が発展しなかったか、なぜヨーロッパで自然科学や社会科学が発展したのかを考えれば自ずと実証性というものはわかる。

田舎の人が自民党を支持するのは情報操作だけではなく具体的に地方に現金をもたらすからである。もうこれは言い古されたことでみんなそれを知っているものと思っていたが、ネッとをやっている人でも知らない人が多いようだ。面倒な議論より目の前の現金です。

力者側は情報を握って基本的に優位であるし情報操作できる。被支配者側は一族郎党の利益を優先させるから被支配者側での団結は不可能となる。権力者側は被権力者を収奪する事では利害が一致しているので団結する。警察と軍隊を握っている。


日本の歴史の中にも地域的ではあるが「百姓のもちたる国」を作ったこともあるし、著しく不十分とはいえ大正デモクラシーの運動もあったのだから、民主的な芽はどこかに残っているはず。こういったものを地道に大きく育てることであろう。

いい夢を見るには、寝る前に美しい写真、絵をじっと見ることです。みなさん、おやすみなさいませ。

アメリカは揺れの多い国だ。禁酒法ができてそして廃止された国である。(2015,0916)

ナチス政権下でも軍の最高幹部の間ではヒトラー暗殺計画がすすめられたし、ヒトラーが最後に全ドイツの破壊を命じてもヒトラーの親衛隊すらこの命令を無視している。そのような伝統は旧軍の伝統を受け継ぐ自衛隊にも日本社会にもない。

民主革命を成功させたことが一度もない民衆に政治家は恐れてはいないだろう。

シールズの人たちは参院選のことも考えているようだが、田舎の自民党基盤が非常に強固であることを知って対策を練らねばならない。フジサンケイ系、日本放送、読売系とNHKのみが大メデイアである地方の人は、また、議員定数の不平等により都会より何倍も参政権がある。

田舎に行って、一人一人を説得する。リベリアのボランテイアの人達がエボラ熱の正しい知識を地方地方に出かけて広め、この病気の拡大を防ぎ、終息宣言させるまでにしたように。地方は地縁血縁義理人情優先で、封建的伝統が残っているところも少なくない。慎重さが必要でもある。

占領状態が終わったとき、ほとんどの人はそれを言い出さなかった。民衆は軍国主義教育によって民主主義をバカにしてきたし、その経験もない。当時の支配階級は絶対に国民の意志によって、国民投票によって国家体制を決めるなど悪夢以外でしかない。

ウクライナでは選挙で選ばれた大統領が、政策を急変させたので、国民によって国を追い出され、新しい体制ができた。

民主主義をバカにする子供たちは成人して暴力と権威、金にしたがう社会をつくる。なんのことはない、14年戦時中の日本の社会に戻る。

ベリア抑留者の中にはソ連の手先になって他の抑留者に対して尊大な態度をしていた日本人グループがいたようで、彼らを自民党は避難しておったが、今自民党はこの連中と同じことをやっている。日本人の哲学のない手前勝手なご都合主義しか持たない日本人の弱点だろう。

安倍君一党は日本人を「家畜人ヤプー」にして、自分たちは家畜管理人になりたいのだろう。家畜は管理人やオーナー(アメリカだろうがひょっとすると中国、ロシアかも)のために存在するから、なんでもできる。

平和のために009達も戦ったのだが。戦いが平和のためには必要というパラドックス。マンガではあるが。

愛には自己犠牲を含まないものもある。自己の為の愛をある程度認めないと人生は窮屈なものになり人間性を損なうことになろう。エロスとアガペーの2種を「愛」と訳す人もいる。

札で賛否を表明するのはかつての仏教教団内部の民主的な議決の名残らしい。日本でも、仏教教団内部ではあるが重要事項では平等な発言権をもつ寺全体の直接民主制集会が開かれていた。戦国末期のことであるが。江戸時代にかけてこれらは行われなくなった。

日本史はある意味民主主義敗北の歴史ともいえる。しかし、この民主的動きは常に日本の各時代に頭をもたげてくる。マンガのサイボーグ009が圧倒的武力を持つ敵サイボーグに対して最後に言う言葉は「あと残っているのは希望」ということば。009は結局敵に勝利する。

みなさんおつかれさま。しばし休んだら列車に乗りましょう。希望という名の列車が来ますので、それに載って次の駅に向かいましょう。旅はこれからが本番です。日本人自身による民主政治の1からの出直しの旅です。

対案を出せとの主張は阿呆としか言いようがない。憲法違反に対案はない。法学部出身なのに、憲法改正を主張しているのに憲法を知らない安倍君レベル。法学の何たるかを知らぬ自民党と同じレベルの発言である。

マンガ「サイボーグ009」で009達が戦った「ブラックゴースト」は世界の紛争と戦争を煽る武器商人でもあった。世界の平和のために言論ではなく武力で009達は戦う。最終話でゴーストの親玉は009に破壊されそうになって「人類が存在する限りゴーストは存在する」とうそぶく

それでも009は人類が存在するかぎり、平和のために戦う人が出てくるといってゴーストの親玉を破壊して、地球に向かって落ちていく。(最終シーンは大気圏外のゴーストの親玉のメカのなか)平和のための武力というものは存在するがどこかで制限することが必要と解釈すべき。その制限は情報公開による

地方議員が国会議員を支えております。地方の人は、都会に行くと人間がダメになる、都会人はずるがしこいと思っている人がかなり多い。そのように教育している地方のボスがいるようだ。彼は地方に金と現金収入の仕事を持ってくる。

どうも感情的なツウィートが出てくる。安倍君レベルで安倍君や政府を批判している可能性がある。自尊心を傷つけられていると思っているのかも。この感情的な傾向を日本政治にあることは政治学者の良く指摘するところだが、「感情的」を英語でこれを表現する。なぜだろう?

政治に無関心な国民は、政治に関心ある人、自由と平等を求める人達をも支配しようとする政治家のたくらみに間接的に協力しているともいえる。

自由をしからずんば死を」の意味は、自由のために死を賭して戦う事、自由を求めて戦うことなくしては生きているとは言えないという事を意味しているとおもう。
(2015、9、21)