2008年アメリカの映画。
監督は「真実の行方」のグレゴリー・ホブリット。FBI特別捜査官ジェニファー役はダイアン・レイン。
ブラックサイト [DVD]
殺人の様子をリアルタイムにインターネットで配信。PV数の上昇に応じてジリジリ殺される被害者。
なーんか観なくてもだいたい想像できるし、特に目新しさは無いよなー・・・
と思いつつ観たら意外とおもしろかった。
インターネットを取り巻く、人間の下衆な好奇への問題提起っぽいけど、そんなにメッセージ性は強く無いような。物語を作るためにとりあえずもっともらしい感じにしとこっか、みたいな。
「お前らだっておもしろがったんだから同罪!」みたいな言い分は良くある。
でも心情的には理解できるものの、本心からそう思って言ってるのかは疑ってしまう。語りやすい切り口だから言ってるにすぎないように思えなくも無い。
「ブラックサイト」ではもう一歩進めていて、犯人が運営する殺人ライブ配信サイトのアクセス数と連動して被害者の命が縮む。これは悪意としておもしろい。
殺人の様子をパソコン越しに見ている一般人のお気軽な行いは殺人幇助みたいなもんだよ、と明確。
ただそうは言っても、直接アクセスしないことで殺人に加担しない方法だとか、FBIもFBIでアクセス数を減らすための具体的な策を講じない。偉い人が記者会見で「アクセスしないように」と呼びかけるだけで、「見るなよ!絶対見るなよ!」状態な、いわゆるダチョウ倶楽部。ここで頭脳戦を見せてくれたら良かったんだけど、そうはならずに最後も結局肉弾戦。
なのでたいした問題提起にはなっていないし、人々の無神経な好奇心を完全には否定しきれていない。
でも題材もありきたりなのに、そこにまたステレオタイプのお説教をくどくど説かれるくらいだったら、こんくらいでいいです。
あとやっぱりダイアン・レインのジェニファーがとてもいい。
シングルマザーをやたらと強調することもなく、ごく普通に描かれている。
ボックス刑事と安易にロマンスに発展しないところも良い。
犯罪と対峙しているFBIの捜査官が、いちいち正義を大声で叫んだり、職場で目新しい異性と出会うたびに恋を芽生えさせていたら仕事にならない。なるかもしれないけど。
肩肘張らずに自分の身は自分で守り、犯人を仕留める。そういう抑えたトーンで描かれるジェニファーはとてもかっこよかった。
ラストシーンも結構好き。
パソコンの前で釘付けになっていた人々は大いに盛り上がったろうなー。
あの後はジェニファーのファンサイトが乱立したであろう。
でも実際にこういう殺人ライブ配信があったとして、見る人はいるだろうけど、誰もが食い付くかというとそうでもないと思うな。
本当に人が殺されてる映像なんて見てられないんじゃないかな。
残酷で堪えられない人も多いだろうし生理的な嫌悪や倫理的な拒絶反応もあるだろうけど、固定カメラの無編集映像を見続けるのは結構しんどいんじゃないかな。
映画に出てくるコンピューターやインターネットって、素人目にも「えぇ~」ってことがありまして、これもご多分に漏れずです。
まあ気にしない気にしない。
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今回はフォートナイトの考察をしたいと思います。
最近エイリアンコラボが始まりましたが、なんとロード画面にエイリアンとともにピーリーの骨が映っていました。
なぜかエイリアンのいる宇宙船の中にピーリーの骨が埋まっているんです。
この宇宙船はエイリアンの世界のものとなっており登場するはずのないピーリーがなぜいるのか…
そしてこのピーリーがマイダスやエージェントジョーンズの組織に対してスパイ行為を行っていたという証拠も見つけました。
続きはフォートナイトちゃんねるの考察掲示板に書いたので気になる方は見に来てください。
このテーマでは窓際OL会社はいつもてんやわんやはおすすめ。
なんといっても対象レンジが広い。
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となりのまちに自転車で探検に行ってみた。
となりのまちと言う表現がいかにも田舎っぽい。
まあ、さておき、となりのまちといっても実はそのまち、海の向こう側なのである。
と言うのも、住んでいるのは田舎の海峡の街なので、海峡の向こうは近くて遠いとなりのまちに当たる。
となりのまち、最近はアルバイトでよく駅近くのホームセンターに行くが(駅の近くにホームセンターがあるのが、またいかにも郊外型というか田舎だ。大都会ではまずありえない)ごく一部の場所を除けば、その他の地区は生まれてこのかた、数えるほどしか行ったことない。
5年ほど前に自転車で探検に出向いたときには、何か道路に飛び出た細い杭みたいのに指をぶつけて骨折、あえなく即帰還&病院行きしてしまった事もある。
正直、道は悪い。
狭くて斜めに交差した視界の悪い道や、行き止まりも多いし、歩道が無いなんて多々ある。
そして何より、(あまり大きな声で言いたかないが)その地区のナンバーの車は運転マナーが悪いので有名だ。
右左折でウインカーを出さなかったり、はみ出し運転、変な進路どりなど平気でする。
こちらの街ではもちろんだし、アルバイトに行くときもやはりそういう車を良く見る。
そもそも道がそんなだから、マナーと言うか、技術がないのかもしれない。
自転車は原則車道を走れるが、あのまちではまずムリダナ…。
ともかく自転車でうろつくにはかなりの注意がいる。
青信号でも轢かれるかもと考えたほうがいい(実際右左折の車がウインカーをつけずに急に猛スピードで曲がってきて轢かれかけたことが三度ほどある)
少々大げさ(いやかなり)だが、魔境を旅する覚悟である。
今回は駅の裏手の地区と、橋で結ばれた島を目的地に設定したが、島のほうは道が一手足りずにいくことができなかった。
『〇島 1km』と見つけたので、その坂道を登れば島へと続く橋に行けると分かっていたが、坂がかなり続いていたので、島へいくのはやめ、一歩手前の道に入ったら案の定、島には行けず、漁村で道が切れたので陽が沈むぎりぎりで引き返した。
還り道ならまだしも、日が暮れたそのまちの知らない道を、自転車で深追い走りするのは絶対に嫌だった。
ちなみに島へと続く橋は、現時点で自転車が通れるかどうかが不明。
あぁ、でも今、駅の裏にもう一本、電車が駅に入るときに見える別の橋があったなと思い出した。
そっちは確か人が通るやつだったはず。
地図を使えばルートアップは楽勝だが、それでは面白くない。
夕暮れまでのタイム制限付で(安全の確保と陽で方位計測するため)、車に注意して、カンを頼りに果たして島にたどり着けるのか?
それくらいのハードルがあったほうが自転車興行は楽しい。
繰り返しという言葉は、繰り返し使われる。
繰り返し繰り返し…。
それは、その言葉の本質が反復というところにあるからだ。
今日という日は、今日にあてはめられ使われる。
毎日毎日…
それも、その概念の本質が現在というところにあるからだ。
今日という日は、一瞬しか無い今を連続させた、明確な時間幅を持っている。
すなわちそれは24時間である。
では、23時59分59.000000…9秒から、24時になる瞬間を厳密に言うとどうなるか?
それは今日が2度連続する事になる。
しかし、これを回避するために我々は、今日の前の日を、昨日と定義した。
また、予備されている今日を、明日とも定義付けた。
概念上、繰り返し今日を過ごす事を拒んだ。
呼び名が違う以上、昨日や明日が今日と全く同じであってはならない。
もし、同じままの今日を繰り返し生き続けているものがあれば、それは死んでしまったものと同義なのかもしれない。
しかしどうだろう、死に続けているものなんて無いはずだ。
今を生きると言う動作は何度も繰り返せても、死ぬと言う動作は一度しか出来ないのだから。
それ故、本来、生きる事は現在形もしくは現在進行形で、死ぬ事は過去形なのだ。
同じく反復し、少しずつ変化していく。
ゼクエンツ。
つまり、それこそが生きていく上で最も優れた自然な形態だと考える。
繰り返し繰り返し、少しずつ変化していくのだ。
結晶が一定の法則を守りながら、その形を美しく成長させていくように。