少し前に
司馬遼太郎と井上ひさしの対談
『国家・宗教・日本人』
1999年
を読み

井上ひさしはほんの少し
読んだことがって
案外好きなのだけど

司馬遼太郎は
なんというんだろ

遠いところのえらい人
そんな感じで

横須賀に住みだしてすぐに
『街道をゆく』シリーズの
三浦半島編を読んだが

そうなんだ

ぐらいでなにがよいのか
よくわからなかったです

なのにですよ
井上との対談

なにか響いてきちゃって

人の美しさ
かな

あああ
うまくいえない

言葉にできないもどかしさ…

それにしても
おふたりとも
物知り
博識ってのね

文学者って
みなさん
こうなのか

しゃべっているわけだからね

机に向かって
資料調べながらではないんだから


明治憲法が発布されたときのこと

天皇機関説のこと

日本とアメリカの戦争の違い

方言の話

戦後のこと

野茂とイチロー

会話だよ
凄いなあ


でもって
このあとやけに
対談本が続きました

『開高健対談集 午後の愉しみ』
1974年

1・釣りと食べ物をめぐって
2・文学的なるものをめぐって
3・戦争と人間をめぐって

これまた恐るべしです

お相手が
一筋縄じゃいかない面々

1・団伊玖磨 吉行淳之介 大庭みな子 井伏鱒二 阿川弘之 
2・辻邦生 清水徹 丸谷才一 小松左京 野坂昭如 佐々木基一 
3・安岡章太郎 武田泰淳 大岡昇平 渡辺一夫

しゃべりがどの程度再現されているのか
わからないけれど

文学者って
半端じゃできない
使命を帯びた人たちなんだろな

苦しかないか

そんな印象


ことばのやりとりは

張り合ったり
なごやかだったり
かみ合わなかったり
淡々だったり

あたしの主観ね

まさかこんなこと
日常的にさらさら話してるのか
この人たち

難解な話もいろいろあって

その場にいたら
頭まっしろだろな

いや
混沌で灰色か

昂揚してばら色か

スリリングで
おかしくて
びっくりして
むずかしくて
かなしくて
あきれて
感心して

ひとことでいえば

凄いなあ


開高健
物知りに加えてその体験

なんてことしてたんだ
ギリギリじゃないか

唖然ともした
読み応えがありすぎ感


このあとが
中島らも『逢う』

野坂昭如 チチ松村 山田風太郎 松尾貴史 ツイ・ハーク 山田詠美  井上陽水 筒井康隆

との対談集です

このまた
凄さ
(「凄」の一言で片付けようとしてるわけじゃないんだけど語彙がすくないもので)

らもの真面目一途ではちゃめちゃなのを
お相手が
受け入れて愉しんでる
そんな感じ

それはらもが
よい表現者であるというバックボーンがあるからよね
なんとか賞をもらってるとは別にしても

らも
水を得た魚のようであったり
のせられて話しちゃったみたいだったり
緊張かくせなかったり


何十年前だろ
『啓蒙かまぼこ新聞』が
『話の特集』だったかに連載されてたの

あのころから好きだったよ

なんで死んじゃったのかと
想っていたけれど
『逢う』を詠んで
ふと
ああそうか
あれでよかったのかもしれない



さて
もう1冊
司馬遼太郎に戻って
『日本語の本質』
もうすぐ詠み終えるが
夢中です

80年前後に行われた

大岡信 丸谷才一 赤尾兜子 大野晋 徳川宗賢 桑原武夫
との対談集

言葉
日本語

さまざまな角度から
あれやこれや

実際に言葉を駆使する
物知りの方々の話

目からうろこが剥げ落ちて

しらなくてもいいのだろうが
もっと早くしりたかった

たとえば『閑吟集』

中世の庶民の歌謡に
ぐぐっともっていかれそうになってます

はあ

またあの字を書きそうだった

この字を禁じてみようか
タイトルにも使ってるけど


対談は
瞬間芸
みたいなところがあるでしょう

ふっと
「地」がでちゃう

時間差というか

間(ま)
一瞬のためらい
目の動き
唾を飲み込む音
身を乗り出す
そっぽを向く
そいうことを
想像して

まったく見当はずれだろうけれど
おもしろいです


これらのあいまに
トーベ・ヤンソンの短編集
がはさまれていた

のだけど
字面にいくら目を凝らしても
頭に届いてくれず

遠くのほうのきれいらしい景色を
ぼんやり眺めている感覚で
今じゃないとやめました

むちゃだわね


あらら

長くなってるね

読み返さないけど
たぶんしょうもないこと

誤字脱字もきっと

すみませぬ

ややや
お日様高くなってる


ごきげんよろしゅう