東京で「禅蔵」と名乗っていた頃
いくつかのバンドでパンクだのブルースだのに中原中也だのギンズバーグだの一休さんだのにかぶれた詩を乗せて時代とミスマッチな歌を歌っていた
誰ひとり禅蔵の本名を知らないと思いこんでいた

物心ついてからの世界への違和感は
ライブハウスで大暴れしようが
放蕩しようが女に溺れようが
抗鬱薬を酒で流しこもうが
夜の校舎窓ガラス壊して回ろうが
インドを放浪しようが
ごまかすことはできなかった
躁と鬱のエンドレスループ
何度か死に損なってまだ死なせてはもらえないのはなんとなくわかっていた

友だちのバンドがフジロックに出たり
インディーズでちょっとした人氣者になっても
時代錯誤のスタイルを変えようとはさらさら思わなかった
時代がきっと追いついてくる
ブコウスキーのように図太くもなれず
カートコバーンほどには繊細にもなれず
禅寺に坐禅に通ったかと思えば飲んだくれ
中上健次に憧れて小説書いたと思えば
神秘学や人智学にかぶれ
ブルースバーでひとりパンクをやったと思えば
人付き合いが煩わしいバンドがやっぱりやめられないでいた

その夜のライブハウスのステージはやたら高かった
客席までの距離も十分遠かった
氣がついたらダイブ
スローモーション
ギターをかばって腰から床に落ちた
結構痛いなあとは思ったが
アドレナリンのせいか大丈夫な感じだった
最後までライブやって
打ち上げでしこたま飲んで電車で帰った

翌朝激痛で立ち上がれず仕事休んだ
氣合いで立ち上がり壁づたいに歩いて病院行った
大腿骨頸部骨折
這ってトイレに行く生活が始まった
実は色男だったがたまたま彼女がいなかった
友だちが煮干しを差し入れに来てくれた
ヤフオクでCDや楽器や機材を売りまくり松葉杖で発送に行って食いつないだ
今ならまだ生き延びる氣力があるなと思った 
東京にいたら今度こそ死にきれるかもしれないと思った

できるだけ遠くへ
ネットで住み込みの仕事を探した
友だちが深夜のファミレスで行くなと説得してくれた
西表島の民宿が拾ってくれた
いまだに何の恩返しもできてないがお父さんお母さんと恥ずかしげもなく呼べるこの世で唯一の人たち
西表で生まれて初めて本物の自然に触れた氣がした
自然の中で「自分」という幻想を捨てて生きていこうと思った

1年後沖縄本島やんばるへ
農家でのバイトに違和感しか感じていなかった頃
福岡正信の「わら一本の革命」という本に出逢った

つづく🤗💗