私たち人類は二足歩行を獲得して、脳を発達させることできました。
でも同時に二本足でのむずかしいバランスのために、腰や肩に負担をかける起立姿勢となりました。
「立つこと」
「歩くこと」
日常の当たり前の動作に、私たちの体は実は翻弄されています。
体は「骨」という部品が積み重なってできています。足の骨も背骨も一本の棒ではありません。
いわば積み木が積み上げられて出来ているようなものです。
動かない人形ならば、重なっている積み木に問題はなにも起こりません。人は動くために、積み木と積み木を筋肉と靱帯でつなげました。
筋肉と靱帯がなければ、傾くままに積み木は崩れます。
積み木を崩さないために、傾いた側の筋肉に緊張が起こります。つまり、力を入れて体(積み木)を支えるわけです。
ざっくりと単純に言えば、いつも緊張を起こしている部分に負担がきます。疲れてきます。
そして限界が来ると痛みを起こして、「もう我慢できない」と訴え始めます。
動かない人形ならば、問題は起こらない。
引力に対してまっすぐ立っているだけなら、特定の筋肉に過度の負担が起こることはないはずだからです。
動く体には個性があります。
力を出そうとするとき、各自得意なやり方があります。
前方へ向けてエネルギーを燃焼させることでより力が出せる人、これを前方型と呼びます。
同じように後方型、開型、閉型と基本的には4種類のタイプがあります。
動かし方の個性は、特定の筋肉に偏った負荷をかけることになります。
しかし、この個性は先天的なもので逃れることができない特徴です。
では、その個性による偏りをどのように対処すればいいのか。
大事なことは2つ
その1
「なにもしない時」「動かない時」の姿勢を正すこと。
つまり、起立姿勢を正すことです。
ただ立っている時は積み木の人形と同じです。正しく積み木が重なっていれば、筋肉に余分な力は不要です。
この状態を「軸が整っている状態」と言います。
その2
体の各関節が、自在に動くようにしておくこと。こわばりのない状態にしておくこと。
偏った力が加わり、部分的に負荷がかかったとしても、もとに戻す力があれば問題は起こりません。
体はこわばることによって、もとに戻らなくなります。
関節が自在に動くためには、こわばりを緩める必要があります。
残念なことにこわばった状態を自覚するのは、とてもむずかしいことです。
こわばりは「鈍り」に通じます。「鈍り」は感覚の鈍磨です。
鈍感になってしまった体は自己修復力も発揮されません。
「体を緩める」
「自己修復力を回復させる」
これが私の仕事です。