「感覚が敏感である」これは、まあ、誉め言葉です。

 

感覚器官、たとえば「目が良い」「耳が良い」「鼻が利く」

人よりも機能が優秀だと、「敏感だ」と言われます。

 

一方、「感覚が過敏である」これは、誉め言葉ではありませんね。

 

過敏と敏感は、感覚器官の優劣で決まるわけではありません。

感覚器官が受け取った情報を、心と体が求めていれば敏感、求めていなければ過敏が起こると思っています。

 

例えば、好きな物を見ると「目を輝かす」と言います。好きな人を見ても「目が輝き」ます。

これは、見たい物、見たい人をもっとよく見るために瞳孔が開くから、外から見ると目が輝いて見えるのです。

人は求める情報は積極的に取り入れようとします。意識も無意識もそうのように働きます。

 

 

逆に、求めていない情報は、避けるように動きます。たとえ小さな音でもかすかな臭いでもキャッチされ、避けようとします。これも意識していようが、いなかろうが、つまり無意識でも回避行動は起こります。

 

情報をより多く集めようとしての「敏感」はオーケーです。

問題は「過敏」です。

 

なぜなら、その情報を体中が避けようとするからです。

そして、避けようとして起こす体の反応が、問題を引き起こすのです。

 

嫌な臭いを嗅ぐと、無意識に呼吸が浅くなります。浅い呼吸の方が臭いが入りにくいからです。

これが続くと呼吸不足による問題が発生します。

 

聞きたくない音には、聴覚を絞ってなるべく入らないようにします。

聞きたくない音が騒音とは限りません。上司の文句、友達の悪口、姑の小言もあります。

いや、むしろそっちの方が多いかもしれません。

 

聞きたくない音のために、疑似難聴状態が起こります。

疑似難聴は左右同時に起こることは少なく、聴覚に左右差ができます。

この左右差が体を捻る元になることがあります。

 

 

過敏によって起こる問題は、各感覚器によって異なりますが、共通しているのは、どの感覚も過敏が起こると、次は「鈍り」が起こると言うことです。

嫌な情報を遮断できなければ、感覚を鈍らせて感じないようにする。

まぁ、当然の反応ですね。

 

しかし、感覚器官は生きるために必要なあらゆる情報の窓口です。

特に皮膚感覚が鈍ると、全身の問題になります。

皮膚感覚を鈍らせる一番の犯人は、有害電磁波だと考えています。