今日の夕御飯は、そろそろ使わないと行けない食材をせっせと使った。
結果、野菜のみの胃にひっからなそうな消化に良さそうな物ばかりになってしまった。
この手のメニューだと、我が家の認知症は満足せず2回目のご飯に走るのだが、最近はあまり食べないので行けるかな?と朝に奴が残したご飯と、お昼に作った味噌味の焼きおにぎりを出した。
結果、おかずは全部食べたがご飯は残した。
……出来るなら、おかずじゃなくってご飯でお腹を満たしてくれないかしら。お野菜高いのよねぇ。
我が家では、食べすぎてもいいようにご飯に玄米を混ぜている。
我が家の認知症は、少し前までは玄米を認識していたけど、最近ちょっと怪しくて「ご飯が硬い」と言い始めた。
私は玄米、雑穀米が混ざっていたほうが嬉しいのだが、認知症は昔の人間、かつ農家の娘なので白米信仰がある。
戦時中、お米が無くて麦やすいとんを食べた経験がない祖父(召集された先ではあるかもしれない)曰く、白米以外は貧しい食事なのだそう。
自身が米農家で、白米をふんだんに食べられただけに、雑穀に拒否反応が出るのかもしれない。もしくは召集先での思い出したくない記憶からくるトラウマか。
何にせよ贅沢な話には変わりない。
そんな祖父の元に育った母も、白米にだけは困らなかったので、麦ごはんなど1度も食べたことが無かったとの事。母の時代は給食も無かったし、カレーと麦ごはんというゴールデンコンビを食したことがないのだろう。
しかし、昨今雑穀米や玄米が注目を集め、飲食店でも白米か雑穀米か選べるようになった。母の中でも、雑穀、玄米は体に良いし、意識高い、みたいな認識はあったのだろう。認知症になる前は、積極的に雑穀米を食べていた。
だが認知症を患い、最近の記憶を失って、白米のみを食べていた娘時代に逆行したことにより、玄米の歯ごたえに不信感を覚え出した。
玄米が体に良い事だけは覚えてるのだが。
私は玄米も、麦も雑穀も、食感も好きだし、美味しいと思う。
しかしそれは食を選択できる豊かな時代の感覚で、母年代は存外抵抗心があるのかもしれない、とちょっと思った。
まあ、残したご飯はしつこく明日、食べきるまで認知症の食卓に上がるわけだが。お残しは許しませんよ。