小学校を上がる時くらいから、

「あー人生、女の世界になってくなーと」と漠然と思っていた。




俺は女の世界と男の世界と呼んでいる。
女は決まりきったことが好き。全部決めつけた提示の仕方などがそう。女性の作品の好み方。好きな作品傾向を見れば一目瞭然だろう。
でもワンピースは別にしておきたい。なぜなら確固たる設定はバックグラウンドに作られているけれどもそれの提示の仕方に男の世界を感じるから。

男はどうなるかわからないものが好き。
どちらにも一長一短あるけれども、僕は断然男の世界が好き。
大人の社会(現実的に力を持っている者たち)は女の世界の論理で動いているけれども、創作者たる者は、というか男の世界が好きな俺は、
全然適応的ではないけれども、バカ扱い承知でいうけれども、そちらに信念を置いている。少し擁護的なことを言わしてもらえば、
その時代で新しいことを始めてきた者たちはいつだって男の世界から出てきてるんだからね。
そりゃ、そうでしょ。新しい価値とかってのは今ここの価値観ではまだわからないものなんだから。
そんなものが女の世界から出てくるわけはなく。むしろ今わからない。バカにされている方にこそ可能性が潜在していることは必定だろう。

まーどちらも無くてはいけないんだろーけどね。


僕は最近、表現としてものを見ようと思う。

それで一番自分の身になるのは本だと思う。

本は言葉のみによって語られている。

言葉のみゆえに自分でも再現可能にするのが一番近いのだ。

これがいわゆる文書を身体化していくこと。

僕はこの文も他人にどう見られているかってことを完全に気にしないで書いているが

それでは駄目な文だと思う。

相手の意識を包み込んで書けるような文が理想。

気遣いができるというか。


最近僕には集中力がないということを自覚させられた。

これは僕に言わせると体質と同意だと思う。

脳がそうではなく体質(体)から来ている影響の性でないと言っていい。

これでいいこともある。

色んなことに食いついて色んなインプットを収集できるということ。

でも集中力が使えないのは問題だ。

当面の目標は小説を読む集中力を自然体で身につけること。

自分が集中していると思わないでできることが理想。今のネットサーフィンがそうであるように。

ネットサーフィンと読書は対極のような行為だからある種、真逆の性癖になることだと思う。


集中力とは他を捨てること。他を捨てて目の前のことに没頭すること。その一点から誘発されて内面から色々なものを開拓するようなものであろうか。