こんにちは。


あんまり資料も残されてないみたいなので、亡くなった祖母から聞いた話を残しておきます。


投稿しようか迷いましたが、法には恐らく触れないと思います。


以前の投稿でも、祖母が女学生時代に兵器を作っていたと記しました。



場所は知っています。

本人が指差してましたから。




終戦前まで、祖母が毎日行っていた工場では…




毒ガス




製造されていました。



今となっては資料が殆ど無いそうです。

日本が極秘で作っていたみたいです。

だから情報漏れないように、現場でも作業員には知らされず。



祖母はコロナ肺炎ではなく、原因不明の肺炎で入院1ヶ月で亡くなりました。

病院側から遺体を解剖したいと申し出もありました。

でも、私の親世代が断りました。

私は原因調べて欲しかったです。

謎の死でした。



明日は、本来ならば78年前に小倉に投下されていたのにと、投下を免れた側から感じる原子爆弾とは。


命は助かったという気持ちと申し訳ないという気持ちと、すっごく複雑です。



やっぱり、よくわからん武器はすかんです。

どうせ戦うなら、槍とか素手とか。

原始的に戦う方が、まだ被害が少なくて済むと思うのです。

どうしても戦うなら、国のトップ同士が素手ボクシングとかなら良いのに。