ようやく合意がなりました
歌劇団、遺族、ファン三方一両損
なのかどうなのか
損失ばかりの結論にも思いましたが。
「人は自分の見方でしかものをみない」という事を改めて感じています。
X界隈で宙組擁護の方々の見方と過激なブロガーさんの見方は対極的で、それぞれの思いで語られるコメントは大変興味深いものでした。
ご遺族の見方
法人としての阪急の見方
劇団の見方
そして様々なファンの見方
確かに宝塚は治外法権ではないのですが、私が生きてきた社会はありとあらゆるハラスメントとのサバイバルだった様に思うからか、自死絶対否定派のせいか劇団や上級生をひたすら罵倒する一部のコメントには同調できませんでした。
もし、◯◯さんに会ったら
「ヒトゴロシと言ってやりたい」とか宙組観劇中にブーイングしたいとか…
パワハラを否定する人が面罵したいとか舞台壊したいとか言ってるのが理解出来ないんですよ
劇団や阪急を責めるのは理解しますが…
私は自死は本人の最大にして最後の過失だと考えています。道は他にもあったはずで、よく「人ひとりの命が」といわれますし、それしか考えられない位追い詰められたんだとは思いますが、事件事故での死とは線引すべきだと思ってます。
又、所謂未成年者の自死と大人の自死は違うとも思う。中高生はまだ死なない様に教育を受ける年代で大人はそれをわきまえている(はずの)年代だからです。
そう言うと冷たいとか命の重さを感じてないとか彼女の親の立場になって考えてみろと言われますが、逆にパワハラしたといわれる上級生の親だったら?とも考えてみて良いのではないか?ただ良い舞台にしたかったとか伝統だと思ってたとか…それでも絶対謝罪は必要ですが、第三者であるなら両方の視点も必要かと…思ったしだいです。
で、結論なんですが
私は多分これまでも、今も辛い思いをした劇団員は居ただろうし居るからむしろ「死なずに逃げた」人を褒めてあげたい。名前も知られず消えた人を讃えてあげたいと思っています。
生きててなんぼですわ
よく頑張ったね