オリンピックでは、表に出ても出なくても、数えきれないほどのドラマがあってそれが人々の感動を生むのだと思うのですが、中でも今日(昨日)のカナダのフィギュアスケーター、ロシェット選手はすごかったです。

何と本番の2日前にお母さんが急死されたという想像を絶する過酷な状況の中、リンクに立っているだけでも辛かったでしょうに、素晴らしい滑りを演じ切った心の強い選手です。滑り終わると同時に涙が溢れていましたが、まさにお母さんに捧げる演技、いえお母さんと一緒に滑り切ったのだなぁと感じました。

そんな様子を見ながら、私も亡き母のことを思い出してしまいました。

私は思春期の頃、結構難しい子供で、時々母や学校の先生に反抗する事がありました。
感受性と自立心がうまく折り合わなかったのでしょう。
成長期にはよくあることといえども、自分の中のジレンマを刃物のようなキツい言葉で母や教師に振りかざし、沢山傷つけてしまったことと思います。
でもいつでも母のことは大好きだったのです。

そんな中学生のある日。
季節はちょうど今頃だったのかもしれません。
ちょっと重い風邪をひいて学校を休みました。

風邪をひいて熱を出した私は、反抗することもなく大人しく、まるで小さい子供のように可愛かったのかもしれません。母はアレコレ優しく看病してくれたのでしょう。
2日学校を休んだ時点で大分回復したのですが、3日目の朝、今日は学校行けるかな~?という時に

「行けると思うけど、休んじゃいたい気もする」

という私に、母は

「休んじゃえ、休んじゃえ!もう1日お母さんと一緒にいよう」

と言ったのです。

私はその言葉がとても嬉しくて、もう1日、「ほぼずる休み」をしました。




何日か前、ある本を読んでいて、これまでの人生の中で一番幸せだった日をあげてみましょう。
というフレーズがありました。

その時、海外での貴重な体験とか、結婚した時とか、いくつか幸せな場面は思い出しましたが、一番てどれかな~、、なんて思い巡らしていました。

でも、今日何だか思ったのです。

私にとって一番幸せな日って、あの中学生の時の、母と過ごした最後のずる休みの1日ではなかったかと・・。
それはまるで、もう一度母の子宮に戻ったように安全で幸せで、それでいて世界は希望に満ちていると完璧に信じられ、でも今はそのために休息をしてもいい日。そんな一日だったように思うのです。

母の愛って偉大だな~と思います。

その頃はまさか自分が20代でこの母を亡くすとは夢にも思っていませんでした。

でも沢山沢山愛を注いでくれたあの母がいなければ、そして、その存在を通して生命と癒しの何たるかを教えてくれたあの母なしでは、私は今こんな仕事をしていることもなかったことでしょう。


いろんな親子関係があり、そのそれぞれに素晴らしい学びがあり、今生だけではやりきれない事も沢山あると思う。
でも、全ての人は必ずこの母性、その愛から生まれ出ていて、だからこそ人間としての命を持たされているのだと思います。

そして気づきの本質へと立ち戻る、その入り口と出口には必ず(宇宙の)母性たる愛がある、それが命なのではないだろうか。
そんな風に思ってしまうのです。


ロシェット選手の素晴らしい姿から、母への愛と感謝をもう一度深く感じた日でした。