去年は、病後のリハビリとして、単発の仕事を転々としていました。
今年もその延長ではありますが、安定してきました。
夏から始めた短時間のパートは、今の体調に無理のないもの。春に辞めたパート先からは、先日声がかかり、再度始めることになりました。
どちらも、しばらくお世話になりそうな予感。ありがたいことです。
生活にメリハリが出てきました。
あと今年の小さな変化は……
手帳をバーチカル式に変えました。
庭いじりは放棄。
ずっと財テクに拒否感があったのですが、それは変えなければいけない、と考えるように。
ゼブラのクリップオンマルチ(4色ボールペン+シャープペンシル)は見ると買ってしまう。
勉強はサボリ中。
そんな1年でした。
社会的には、政治を身近に感じるようになりました。
政策と生活は連動していること。国際問題も、長い目で見ていくと、いずれ自分たちの生活にかかわってくるのだろうこと。
他人事ではいけないと、強く思うようになりました。
12月16日の衆議院議員総選挙は印象的でした。
ゆるやかに、今年が過ぎ去っていこうとしています。
船が大きく迂回するように、自分も社会も、どこかへ静かに針路を変えていった気がする2012年。
来年はどんな年になるのでしょう。どうかよい方向に行きますように……。
12月24日。
日本中が、1億総“にわかクリスチャン”になる日です。
うちの男達は、夕飯は何にする? というわたしの問いに、
「普通のごはんでOK。フライドチキンなんか無くてもいい」
とものうげに答えていましたが、じゃあケーキもいらない? とたずねると、とたんに背筋をのばし、目を輝かせながら、
「24日にケーキは必須!」
口々に主張を始めました。ああ、ここにもにわかクリスチャンが。
そんなわけで、夕飯後に、クリスマスケーキを作ることになりました。
去年に続いて、栗栖さんとの合作です。
スポンジは市販のもの。
まずシロップを作ります。水少々に、砂糖をとかし、洋酒を入れてアルコールを飛ばします。
そこにインスタントコーヒーを加え、やや苦めの味付けに。
火を止め、冷めたところで、スポンジの上下に塗って染みこませます。
バナナをスライスし、生クリームを泡立てます。
スポンジの間にバナナと生クリームをはさみ、全体にも生クリームをまんべんなく塗ります。
(左官屋さんの腕の見せどころです)
上にバナナの残りを並べ、ココアをふりかけて、できあがり。
シンプルなバナナのショートケーキです。

ケーキ屋でワンホール3,500円のケーキを買った日には、6等分にきっちり分ける我が家。ナイフを持つ手は、均等に切り分けられるか厳しい視線が注がれます。皿に分けられた後も、他人のピースのほうが大きいかもしれないという疑惑を捨てきれないまま、自分の割り当て分をかきこみます。
もう1ピースも食べる? 大切に明日までとっておく? 非常に悩ましいところです。
が、今日の材料費1,000円のケーキは、
「3等分にしていい?」
「いいわよ」
安さで気が大きくなっているのか、即答。
棟梁はヘラをナイフに持ち替えて、ざっくりとケーキを3つに切り分けました。今日は誤差も気になりません。数ミリくらいなら。
3人で、淹れたての紅茶とともにいただきました。
「このクリームを泡立てて塗ったのは栗栖さん、シロップを作ったのはわたし」
「コーヒーを足したのは俺」
「そうそう。味、ちょうど良かったわね」
「だろ?」
わたしたちの会話は耳に入らないようすで、義父はうまい、うまいと言いながらフォークを口に運んでいました。
「で、かかった値段は……。おいしい?」
「うん、うまい」
「そっか」
わたしもケーキを一切れほおばりました。
なめらかな生クリーム。ココアの香り。
コーヒーシロップは、市販の乾いたスポンジをしっとりと変え、そのほろ苦さはバナナの甘さによく合っていました。
今年のクリスマスも、3人でケーキを食べることができました。
実家の両親も今頃、どこかで買ったケーキを食べていることでしょう。
友人や知人もケーキを食べているのでしょうか。
全国的に寒い夜。ホワイトクリスマスになっている所も多いそうです。凍る夜空の下、家の中は明るく、温かく、それだけで幸せな気持ちになります。
ひいらぎ飾ろう ファララララ……
晴れ着に着替えて ファララララ……
キャロルを歌おう ファララララ……
楽しいこのとき ファララララ……
「あ」
栗栖さんがケーキから顔をあげました。
「どうしたの?」
「明日のぶんも食べちゃった」
「あ」
お皿は空でした。
2人で顔を見合わせ、ふくらんだお腹をさすりながら、にやりと笑いました。
「まあ、明日また作ればいいか」
ところが、翌日の25日は、栗栖さんが残業になったため、ケーキを作ることができませんでした。
ごくふつうの夕飯を作って、食べて、終わりました。
そんな2012年のクリスマス。にわかクリスチャンらしく、なんともズレたクリスマスでしたが、楽しいものでした。
25日は過ぎましたが、まだ頭の中で讃美歌が小さく流れています。
晴れわたった青空に、
台風がやって来る。
普通の人はまだ知らず、
なにを言うかと笑っている。
あれはただの薄雲だ、と。
だけど、見ろ。
霞のむこうの、あの厚さを。
霧雨のあとに控えている、あの濃さを。
迫りくる雲が、見えないか。
吹き荒れる嵐が、見えないか。
まやかしの青に隠れて、
黒い影が忍び来る。(いや、それはすでにある)
見ろ、
目に映るものの
その先を。
見ろ、
目を閉じ、口もきけずに 横たわる
人々の 濡れそぼった姿を。
はるかな過去は、
未来にそれをうつすだろう。
顔を 上げろ。
手を 上げろ。
声を 上げろ。
見えない雲を 見ろ。
昨日の台風では車が横転したり、倒木で道路や線路が使えなくなったり、被害にあったところも多かったようです。
今日は台風一過、見事なほどの晴天で、こちらでは夏が戻ってきたというかんじです。冷たい麦茶がおいしいです。
さて、世の中がだんだんきな臭くなってきました。困ったなあと思いつつ、予想していたことでもあるので、まあ仕方ないかなとも思っています。
牙をむきはじめた近隣国、悪法を通そうとする政治、わが身のみを肥やす日銀、ミスリードするマスコミ。
そしてそれらを我関せず、あるいはお人よしすぎて無批判に受け入れるのみの、我々ひとりひとり。
今は風が吹きはじめてきて、不安になってきた状態。ただの通り雨になるかと期待しているところ。
だけど残念ながら、たぶん、これは台風の前触れです。
こちらの台風は、数年かけて大きくなっていく、見えない嵐。
これから暴風雨になるのか、熱帯低気圧に落ち着くのか? コースは日本を直撃するのか、逸れるのか?
予断を許しません。
ひとつ言えることは、自然の台風と違って、この台風は、国民ひとりひとりの気持ちしだいで、変えられるだろうということです。
ええ? 変えられるの? 本当に?
無理じゃない? わたし達になにができるっていうの?
そう、無理かもしれない。分かりません。
ただ、変えようと思わなければ、たぶんこのまま世の中がズルズルとおかしな方向に流れていくのを、ただ見守るだけでしょう。
具体的になにをすればいいのか、まだ答えは出ませんけれども。
できることをしよう。ほんの小さなことでいいから。
5年後の世の中を憂いつつ……。わたしは今日も、日常のしあわせをパソコンにつづり、夕飯の献立をなににしようかと頭を悩ませています。
来年の手帳が店先に並びだすのが、年々早くなってきました。
今年なんか、残暑厳しい9月半ばなのに、もう大手メーカーの手帳がずらりと勢ぞろい。
気の早い人はすでに手に入れて、使い始めているかもしれません。
かくいう私も買ってしまいました。 (^^;)
でも、困るんですよね。私はきっちり1月1日に、真新しい手帳を広げて使いはじめるのが好きなんです。
なのになんで、最近の手帳って、どれもこれも10月から使えるようになってるんでしょう?
なんて言うのかな、今日のごはんを食べているのに、もう明日のごはんが来た、みたいな感じです。
「ちょっと待って、いまこれ食べてるから。残すともったいないし。ああでもどうしよう」
……たとえが変ですか。(笑)
それにしても早くなりました。
昔は、「1月はじまり、12月まで」という、ごくオーソドックスなのがメインだったと思います。
たまに「1月はじまり、翌年3月まで」という親切なのがあり(能率手帳がそうでした)、翌年のスケジュールが書きこめて便利でした。
発売日が早まるにつれて、手帳の中身も「前年12月はじまり、本年12月まで」→「11月はじまり」→「10月はじまり」と、どんどん開始日が早まってきて。
もう主流なのは「10月はじまり」で、「1月はじまり」などは数えるほどしかありません。
今年はついに、「9月はじまり」にお目にかかりました。アメリカの2期制に合わせているそうですが、それって本当にニーズがあるの?
なんかもう、手帳メーカー達も、意地になっているような気がするんですが…… (^^;)
いっそのこと、もっとずーっと前倒しして、「前年4月はじまり、本年12月まで」てのを出せば、なんとなく切りもいいし、1年半も使えるし、みんな喜んで買うんじゃない?
一体、この「前倒し」の風潮って、なんなんでしょう。(カレンダーはそんなことないのに)
今年はミスドの福袋が、前年12月下旬から発売になっていましたし。
洋服のサマーセールも、夏が来る前から始まっていたような……。
うーん。
わたしは、12月31日に除夜の鐘がゴーンと鳴った時点で、カレンダーの表紙を破り、手帳を新年のものに変えたい。だから、まだ来年の手帳は使わないでおきます。
おせちも、お正月になってから食べますよ!(まだ先の話ですけが。栗栖さんの故郷では暮れからつまんでいたそうですが、却下です)
(写真は フリー素材集ぱくたそ より)
ご無沙汰しております。前回書いたのが4月下旬なので、5ヶ月ぶりの書きこみですね。書くネタがなかったわけではないのですが、なんとなくネットから遠ざかっておりました。
この5ヶ月は、なんとなーく方向が定まらなくて、試行錯誤していた時期でした。
年齢的なこともありますし、そろそろしっかり道を決めないと、なにもできない中年~老人になってしまうぞと、危機感だけはつのってきて。
でも具体的に、何をしたらいいのだろう?
分からずに、悶々としていました。
夏に、新しいパートの仕事が決まったのをきっかけに、少しずつ、なにかが動いてきたように思います。
と同時に、世の中も、政治や経済が動きはじめてきました。去年の地震・放射能問題は、自分の命を見直すきっかけになりましたが、今年の竹島・尖閣問題は、自分の国民性を見直すきっかけにもなったと思います。
まあ、あまり難しいことは分かりませんけども。
でも、その「難しいことは分からない~」と逃げていたツケが、ドカッと回ってきた気がしてなりません。
政治・経済を人任せにしていた結果が、今のグダグダの政治なんじゃないかな。違うかな。どうなんでしょう。
ちょっとこれから、政治や経済にも敏感になっていこうと思っています。
「風が吹いたら桶屋がもうかる」ではないですが、政治や経済や国際関係って、巡り巡って自分たちの生活にもかかわってくるみたい? と理解しはじめました。
遅いですか。すみません。社会人として当然のことを1から勉強するようにします。
そんなこんなで。
またひっそりと文章カキコ(死語?)を再開します。
大地震がいつ来てもおかしくない日が続いています。
地磁気が爆縮したり、太陽のフレアが大きくなったり。バヌアツが揺れたり、茨城や千葉が揺れたり。
条件はそろった。
なのに来ない……なぜ?
来てほしいわけではありません。
でも、来るはずなのに来ないと、「もしかして、ためている?」とドキドキしてしまいます。
ためられると、それだけ巨大地震につながりますからね。
こまめに分散してほしいなあ。
さて。
「雨の日は地震が少ない」
と言われています。
なぜかは分かりませんが、水は、たまった磁気を、一時的に落ち着かせる作用があるみたいです。
あと、雨雲も、太陽からの電磁波をさえぎってくれるのでしょうね。
ここ数日、雨が続いていますけれど、
「ありがたいなあ」
と思います。
外出して足が濡れるのはイヤなんですが。それでも、地震が遠のくのはありがたいです。
“神雨”という新語を作りたくなりますよ、ホント。
だから、雨の降っている日の夕飯は。
天ぷらとか、から揚げとか、トンカツとか。
「これ作っているときに地震が来たら困るわ」と、ふだん控えていた献立が並びます(笑)。
安心して油を使えるので、つい揚げ物が多くなりますね。
今日も雨。
なので(?)、夕飯は魚のフライかな。
オーロラソースにするか、おろしソースにするか、悩みどころであります。
今年は寒かったせいか、冬の花がまだ咲いています。
河津桜は終わりましたが、椿、水仙はまだ現役です。沈丁花が最後の香りを送っています。ムスカリはやっと咲き始めました。長距離ランナー、パンジー&ビオラ組はまだいけそうです。ノースボール、クリスマスローズも衰えを見せません。
それにともない、春の花が、軒並み遅いスタートとなりました。
ハナモモ、ボケ、レンギョウ、サクラソウ。
蘇芳(すおう)の枝が、濃いピンクに彩られています。
海棠が愛らしい花をたくさん付けています。(苗が欲しい!)
白木蓮は盛りをちょっと過ぎたところ。
ルピナスが店先で顔を見せるようになりました。
ああ、桜。
桜が先週末、やっと満開になりました。
待ちに待った、というかんじです。
それまでの強風や暴風雨で、木は大丈夫かとハラハラしましたが、花も先まで咲きほこり、枝もそれほど折れていなくて、青空や川面にゆったりと枝を広げていました。どうだ、と胸をはっているようです。
先週末、栗栖さんと近所を散歩しました。
いっぺんに咲くなんて、今年は季節感がないわと言ったら、北国ではこれがふつうだと言われました。(アジサイも咲くそうです)
冬の花、春の花、桜――
鉢植えで、地植えで。
軒先に、道路ぞいに、遠くのどこかに。
色とりどりの花、花、花……
ふだんの街が、この週だけはおめかししているような――なんだか別の、美しい街に迷い込んでしまったような気分になります。
おとぎの国みたいです。
プレゼント JITTERIN' JINN
家事をしていたら、なんとなく頭の中を、昔はやった歌が流れてきました。
♪あなたが私にくれたもの キリンがさかだちしたピアス
あなたが私にくれたもの フラッグチェックのハンチング
あなたが私にくれたもの ユニオンジャックのランニング
……
わあ、これは楽しい。BGMにぴったりだわ。
曲は、ジッタリンジン(JITTERIN' JINN)というグループの『プレゼント』。延々ともらったものを並べていって、最後に「でももうサヨナラ」という歌です。メロディは単純ですが、それゆえに一度はまると脳内をぐるぐる回って出ていかない。
♪あなたが私にくれたもの お菓子のつまった赤い靴
あなたが私にくれたもの テディベアーのぬいぐるみ
あなたが私にくれたもの アンデルセンの童話の本
あなたが私にくれたもの 夢にまでみた淡い夢……
いろいろもらったのよね、この子。すごいな。イヤリング、シャツ、指環、傘、コートまで。
手を動かしながら、歌を口ずさみ、思わず笑ってしまいました。
ふと、昔を思い出しました。
そういえば、わたしの両親も、いろいろ物をくれたっけ……。
ぬいぐるみ、服、バッグ。高い惣菜。
「あ、これいい」とつぶやくと、すぐ「買ってあげようか?」と財布を出してきた母。
そんな気前の良すぎる母と、断りつつ結局買ってもらってしまう自分が、嫌でした。
あなたが私にくれたもの バーバリーのトレンチコート
よく反発しました。
「私になんでもくれないでよ。自分がダメになる」
「だってお母さんができることは、このくらいだから」
あなたが私にくれたもの ディオール エルメス サンローラン
これは、物がたくさんあることが良しとされた高度成長世代の悪弊である。子供に物を与え続けるのは、愛情の代わりだ、と責めたこともあります。母は「違う」と否定しましたが。
あなたが私にくれたもの ヨシノヤの靴
あなたが私にくれた 物、物、物――息がつまる。
違う。
ガンと頭をなぐられたようでした。
そうだ、「違う」。
物だけではない。
ほほえみもくれた……。
あふれるばかりの物の後ろに、それは隠れかけてはいたけれど。
行為にしか表れない想いは、しかし、表情に出るのではないでしょうか。
何十年ものあいだ。物と物のあいだで。ずっと、通奏低音のようにあったもの。
ほほえみや、気遣わしげな表情や、見守る目。
愛情。
思わず涙がこぼれました。
私は間違っていた……
――おかしくて、やがて哀しき「プレゼント」――。
今の家をふり返ってみました。
栗栖さんは、それほど物をくれません。お小遣いが少ないせいもありますし(ごめん!)、世の夫君は妻に対してたいがいそうなのかなと思ったりもします。
だけど逆に、小さなことから愛情を感じ取れるようになりました。
たまに淹れてくれるコーヒー、分け合って食べるケーキ。毎日仕事に行ってくれるという行為。休日2人でのお出かけタイム。
物は、目に見えるぶん、そこにこめられている気持ちを見えにくくするのかもしれません。
私は、みんなから色々もらっている。
私は何をあげているだろう?
できることから始めよう、と思いました。
まずは、今日の夕ごはん。
いなりずしを作ろう。心をこめてぎゅっとご飯を握って、小さな俵をお皿にたくさん並べよう。
実家にもおすそ分けしよう。(いまは母がバートをしている時期だから、仕度が楽かもしれない)
明日もし晴れたら。
栗栖さんのシャツを買いに行こう。着心地がいいものを。
それから……
♪あなたが私にくれたもの 物と 心の中のキス
私があなたにあげるもの 物と 心の中のキス……
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