みすゞの結婚に反対し、彼女が実姉だと知った正祐は家出。東京へ去りました。(「映画現代」編集部や、劇団若草に。「おつかいは自転車にのって」の作詞者です)
不幸な結婚だったようです。結婚後は、童謡を書くことを禁じられ、夫は遊蕩でほとんど家に帰らず、みすゞは病がちになりました。
26歳のとき、離婚が決まりました。が、それは娘を相手に渡すというのが条件でした。親権は男性のほうにあったのが昔です。子供をひきとりに来るという前日、みすゞは服毒自殺をしました。
時代が彼女を殺した、というのが後世の研究家の一致する意見です。
その後昭和57年に、児童文学者の矢崎節夫さんが、正祐氏が保管していた3冊の遺稿集を発見するまで、金子みすゞの名は約半世紀のあいだ忘れ去られていました。