明舞団地
JR朝霧駅から団地の入り口まで数百メートル、最近はちらほらとお店や医院ができていますが、昔は道の両側には何も無い荒地が広がっていて、子供の頃は「どうして駅前から団地を作らないのか?その方が便利なのに」と疑問に思っていました。
大人になったら、その理由はよくわかります。駅の近くは土地の買収が難しかったからですね、おそらく。団地の開発を担当した人たちは、駅の近くの土地の売却をしぶる地主と交渉するよりも、駅から離れた所の広大な山林を開発する方を選んだ、ということでしょう。明舞団地以外に神戸電鉄沿線の団地にも、同じような、駅から離れた所に造成された団地がみられます。
さすがにこの不自然に駅から遠い所に団地を作る団地造成の方式に対して、批判的な意見もあったのかもしれません。その後、神戸市営地下鉄沿線に作られた名谷や西神ニュータウン等は鉄道そのもの、駅そのものが山林を開発して作られ、駅を中心にニュータウンが造成されています。
団地の開発担当者が地主との交渉の労を嫌ったために駅から離れた所に団地が作られたのではないか?と思うと良い気はしませんが、土地の持ち主にもその人の考えがあるのでしょうし、駅から離れた所にできた団地には、駅中心に開発された団地とはまた一味違った雰囲気もあるので、それはそれで良かったのかもしれません。
しかし、もし明舞団地が駅前から作られていたら、数万人の通勤・通学時間が毎日10分くらいは短縮されていたと思うと、明舞団地が朝霧駅から数百メートル離れた所に作られたために、この三十数年間でお金に換算するとものすごい金額になる時間がロスされたのではないか?とか考えてしまいました。
日記になりました
このアメブロではこれまで「パジャマではない!」というタイトルのブログをさせていただいて、ライブドアのブログで日記を書いていたのですが、実験的にこちらを日記にして、「パジャマではない!」をライブドアの方へ移してみることにしました。
これまでの内容はそのままなので、以前の記事は「パジャマではない!」のもので、今日からの記事が「mugla日記」のものとなります。
ややこしいことをしてすみません、、、
演奏を通じて表現する「内容」
私はバイオリンの前は歌を歌っていたのですが、歌の場合は歌詞というものがあるので、私が歌や演奏を通じてどんなことを表現しようとしているのか、聞いてくれる人にわかってもらうのは、比較的簡単だったと思います。
しかし、バイオリンの場合は歌詞が無いので、演奏する人が意図していることと聞く人が感じ取ることとが、ものすごくズレてしまうことがあるように思います。
例えば演奏する人は「CD売って、大きなコンサート開いて、バリバリ金を稼ぎまくって、大きな家建てて、デカい車乗り回して、海外旅行しまくってやる。」とか思いながら弾いているのに、聞いている人は「まるで静かな森の湖のほとりで風の調べと小鳥の歌を聞いているみたい、癒されました。」とか感じていたりすることがあるように思います。
この例の場合、演奏する人の目的は、癒しの音楽を供給することによって金儲けをする、ということなので、別に矛盾はしていないのかもしれませんが、私は歌っていた時もバイオリンを弾いている今も、表現するのは自分の気持ちなので、この例のようなことは、私にとってはありえないことなのです。
と、ここまで書いて、よく考えてみると、歌詞のある歌の場合でも上の例のようなことを平気でやってる人って、いくらでもいますね。まあ、それはそれとして、私はとにかく、歌を歌おうがバイオリンを弾こうが、表現する内容は自分の気持ち、自分の思いしかないのです。
演奏それのみで誤解されることなく十分に自分の思いを伝えることができるのが理想ですが、なかなかそうはいきません。私の演奏も、聞いてくださる人はそれぞれにその人なりの感じ方、とらえ方で聞いて下さっていると思います。
誤解されていても何でも、聞いてもらって、喜んでもらえればそれでいい、という考え方もあるかもしれませんが、私はできれば誤解されずに、何を表現しようとしているのか、どうしてそういう表現になるのか、私の意図が伝わることを望んでいます。
私がブログやホームページで色々と書いているのは、歌を歌っていた頃は歌詞に書ききれなかったことを補うため、バイオリンを弾いている今は、歌詞の無いバイオリンの演奏だけでは伝えきれないものを伝えたり、誤解されないように、言葉で少しでも補うことができれば、との考えからです。
