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三宮、原子力発電


mugla日記



昨日は夕方から三宮へでかけていました。今日は三宮で買い物をして、レガースでタンゴの練習。


毎年この時期、三宮にはよく出かけますが、ルミナリエには縁がありません。まあ、別によいのですが。単に、人が多くて鬱陶しいな、と。


昨日、石油に依存する世の中は、いずれは破綻して悲惨な状況になると考えられるのに、それについてマトモに対策を考えるということが、なされていない、というような意味のことを書きましたが、熱心に石油の枯渇を説いている人達がいたのを思い出しました。


原子力発電所を建設しようとしている人たちはたいてい、石油はいずれは枯渇するものなので、原子力発電所を建設しなければならない、と説きます。なので、石油に依存する世の中の危険性を説く私は、原子力発電所建設推進を目的として発言している人と、よく混同されてしまいます。


でも、それは違います。


むしろ、チェルノブイリ事故以後、原子力発電所の危険性や問題点についての知識を得ていくうちに、では、石油の輸入に頼り続けるのは、大丈夫なのか?と、いろいろ考えたり調べたりしているうちに、原子力発電も石油の輸入への依存も、将来的には止める方向へ進まないといけないのではないか?と考えるようになったのです。


石油はまだまだ枯渇しません。なので、石油は枯渇するから原子力を、というような意見は、あまりに浅薄すぎます。石油という資源は極端に偏って存在しているので、巨大油田は200年先でも豊富に石油を生産する力がありますが、中小の油田はすでに生産を終了した油田も多く、これからもどんどん生産終了して、だんだんと少数の巨大油田への集中度が高まってゆきます。


その巨大油田はサウジアラビア、イラク、クウェート、アラブ首長国連邦、イラン、ベネズエラ、ロシアなどの国に集中しています。将来はそれらの国々で産出された石油を、今、大量に石油を消費しているヨーロッパやアメリカ、東・東南アジア諸国と、中国やインドなど今はまだ自動車や電気製品の普及率が低いけれども、将来的には膨大な量の石油を消費するであろう大人口をかかえる国々と分け合う、あるいは奪い合う形になってゆきます。


そのような将来の見通しにもとづいて、今のように過度に石油の輸入に依存し続けるのではなく、より賢明な道を模索しなければならないのではないか?と私は言っているのです。


なかなか、少ない言葉では誤解されたり、不当な批判を浴びたりする話なので、ゆっくり、できるだけ誤解されないように言葉を選んで書いてゆかなければならないな、と思います。こればっかりやっているヒマはないので、あまり書けないかもしれませんが、また時間を取って、いろいろと書いてゆきたいと思っています。


十年くらい前に一度、このようなテーマである程度まとまった量の文章を、「白旗 」というホームページの「新しい時代」というコーナーに書いています。今も当時も、あまり状況は変わっていないので、もし興味がある方は読んでみてください。

何と言えばよいのだろう

音楽の演奏を通じて表現する、と言ってみても、やはり言葉を使って伝えるしかないことも、あります。どのように言葉を紡げばうまく伝わるのか、難しくて、なかなか上手くできません。まだまだ勉強途中で誤解されるようなことも書いてしまうかもしれませんが、思いついた時に少しずつ、書いてゆこうと思います。


子供の頃は、世の中というのは一応うまく回っていて、偉い議員さんや教授さんやテレビでしゃべっている人達や大会社の社長さんや重役さんたちや新聞や本を書いている人たちや先生達がしっかりしているので、自分は自分のことを考えていればいい、と思っていました。有権者の一人として政治に自分も参加している、労働者や消費者として自分も社会を構成している、とか言ってみても、選択肢は狭く、力は弱く、社会のあり方を受け入れて、その中で自分の生き方をみつけてゆく、そうゆう生き方をする以外にない、と思っていました。


別にそれはそれでいいのです。働いてお金を貯めて欲しいモノを買って、やりたいことをやって生きてゆけば、それはそれで。それでうまく世の中が回ってゆき、安心して生きてゆけるのならば。


しかし、大人になると、世の中というものが全然ちゃんと回っていない、ということは、イヤでも知ってしまいます。大量に石油を輸入して、それに依存する世の中が、いずれ破綻して悲惨な状況に至ることは、簡単に理解できることで、本来ならば最も重要な社会問題として取り組まなければならないはずですが、自動車産業が非常に大きな力を持つ今の日本では、その点について真面目に考えることはタブーとされ、何ら問題の解決にはならないハイブリッド車や電気自動車を走らせたりして、問題から目をそらすことがアタリマエになっています。


自殺者が最近ずっと年間3万人を超えていることからも、今の日本社会がまともではない状態になっていることは明らかだと思います。自殺の理由はさまざまなので、一概に社会が悪いとは言えませんが、異常に多くの人が自殺する状態が長く続いているのは、やはり社会が病んでいると言わざるをえないでしょう。


で、そのような状況の中で私は今、生きて音楽をやって、ブログを書いたりしているわけです。本来ならば偉い人たちや賢い人たちがちゃんと世の中をうまく導いてくれるはずで、私などがゴチャゴチャ言う必要はないはずですが、それでは安心していられない世の中なので、ほぼ無に等しいほど無力な存在の私でも、書ける場があるなら書こうと思うのです。

ナツメロ弾き納め


mugla日記

今日は今年最後のナツメロ演奏でした。昨日ちゆ12歳 にハマッてしまって練習不足になって、どうなることかと心配していたのですが、なんとか無事に弾いてきました。


鉄道唱歌もなかなかイイ感じでした。なんせ334番まであるので、また違う歌詞でやろうと思います。


明舞団地の銀杏の絨毯はさらに増量して、今日は乾燥していたので、ふみ心地も良かったです。初冬の風情を楽しんできました。