昨日のブログにも少し書いたけど


この何ヶ月かは

SNSから離れるどころじゃなくて


誰からも離れていた。


本当に山奥で1人。


そんな気持ちだった。




13日に、5ヶ月目にして 

親に事故の事を伝えた


切断や重いワードを使わずに

事故の簡略的な説明と

今、回復期である現状を伝えた。



そして今、

綴ってる今この瞬間に感じる気持ちは


私がそうしたなら、

誰から否定されようがそれでいい。


昨日までの私が

縮小を選んだのならそれでいい。 


そしてこれからまた

拡大を選びたいなら、選び直したらいいだけ。



何にもジャッジは要らないんだなと


自分が選んだことよりも

その事にいつもいつもくっつけている

このジャッジに苦しんでたんだなと


改めて気がついた。



そしたら、

今この瞬間、とても楽になった。



こんな状況で


来週東京に行きたいと望みが出た。

逢いたいと思っている人に逢いたいと。

場所はXmasパーティ


即座に頭の中でジャッジが入る


そんなことにお金と時間を使うことを

今してる場合かと

やめろやめとけと頭の中で激しく責めた。


そんな葛藤を経て

中々出せなかった許可を昨日出した。


ボタンを押した瞬間

血がわいた。怖くてなのか、



だけどああやっぱりな

それが不快じゃないことを

私はどこかで理解している


私の考えは

一般的な常識から

いつも逸脱している


一般的な常識の代表が父親に感じるんだ


だから父親が苦手なんだ。


常識を押しつけて型にはめて

それが私の幸せと決めつけてコントロールしてくる愛情が

歪んで感じる


愛情なんだけど、私の意見は頭から無視で



その親という絶対的権力を振りかざして来る時


愛情というなの暴力に


吐きそうになる


 

でももう一人のいい子な私が


父親のその意見は

愛情なんだから、

理解してあげなきゃと説得してくる


だから

吐きそうなのにわかったふりをする



父親の為じゃない

自分のメリットの為に



父親を傷つけないでいるために


感情を出さないのは

私が傷つきたくないから


父親を傷つけたくないのは

自分が傷つきたくないから



友達になったと思った人にでも

正直に怒りのまま存在してしまった瞬間


そうとうな拒絶をうけた


それはここ最近で一番辛かった自分のダメージだった





だけどね


今、この12月17日の私は思うんだ



正直な自分で

気性の激しい自分で

誰かを傷つけてしまっても


そこは本質的な自分だから

私の生命力そのものなんだと


ここを誰かに合わせて

無くしてしまったら

誰も傷つけず、自分も傷つかないけど


本当の森田和代は

死ぬんだな



意識が眠るんだ



だけどもし、

今はそれを知ってて、わかってて選んでる、

という意識でいると

縮小を、選んだとしても

ジャッジがなくなり


生命力が弱ることはない



これが昨日感じた大きな気づき




どっちで生きていっても

それを

自分が選んだという立ち位置であれば

意識は眠らない



そのフラットな視点にたてたから



何がなんでも拡大しなきゃ

縮小はダメ、みたいなスタートではなく


どっちでもいいけど、本当はどうしたい?

という質問で寄り添う。



そしたら

出てきた思いが拡大だった


オッケー。


そしたら

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怖いな、でも行きたい。だからやってみよう。