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私のコレクションカメラの中の記事でブログ友達のninothさんとのコメントの中で思い出し、久しぶりに見た沢田教一のピュリッツァー賞受賞作「安全への逃避」、戦争の悲惨さ、母の強さ、そして戦場カメラマンの苦悩、見る度に考えさせられます。
今でも世界中で飢餓、内乱などに苦しむ人々がたくさん居られる事を思うと、平和な日本に住み、クリスマスにうかれ、何一つ不自由なく正月を迎えようとしている呑気な自分が恥ずかしくなります。

1965年9月6日、
ベトナムのある村で米軍のナパーム弾による空爆を受けた村人たちは着の身着のままで逃げまどっていました。その混乱の中、恐怖に脅えた目、両腕に2人の幼子を抱え、歯を食いしばって川を渡る母親を見つけ、手助けをしながらシャッターを切ったそうです。

この写真だけを見た人が言ったそうです。
「写真を撮るよりも救助が先だろう!」確かにその通りですが・・・・・・


沢田教一、それから5年後、戦乱のカンボジアで何者かに撃たれて34歳で永眠。


<ピュリッツァー賞>
アメリカの新聞王ジョーゼフ・ピュリッツァーの意志を継いで、1917年に創設されました。