思考を整理するための雑記帳

思考を整理するための雑記帳

もやもやとしたものを言語化するための場所

こないだ、精神科の先生に学校行ってる頃の事を聞かれて、極度の緊張と腹鳴恐怖症の話をしたら「過緊張だね」と言われた。それで、ああ、過緊張っていう症状名なのか、と納得した。家に帰ってネットで調べたら、過緊張という表現がピッタリだった。もやもやしていたものがちょっとすっきりした。

 

先生に話し忘れたのだけれど、学校に行ってる頃、文字を目で追えない症状が出ていた。文字を目で追えないから指でなぞって声に出しながら読んでいた。でも、内容が全然頭に入ってこなくて、なんどもなんども同じところをなぞって、教科書を読むのにものすごく苦労した。これもなにか症状名がつくのだろうか?今度先生に聞いてみたいと思う。

 

学校を卒業してからのこと。

家に引きこもり、就職活動もせず、日がな一日眠りこけていた。本当に眠くて眠くて、目を開けていられない状態で、いくらでも眠れる状態だった。ただベッドでゴロゴロしているのではなく、本当に眠れるのだ。起きていられないのだ。それが10年近く続いた。

今考えると、精神が著しく疲労困憊していたのだと思う。

家族に働けと再三言われたが、そんな状態ではなかったのは今ならわかる。

母が精神科に通っていて、先生に私の事を相談したら、一度顔だけ見せてくれたらいいと言われていたのだが、自分が病気だという病識がなく、また、病院に行こうという気力もなく、行ったとして何を話していいかもわからず、ただひたすら引きこもって眠っていた。先生が往診してくれたらな、と思っていた。

 

そうこうしているうちに今度は不眠になってしまった。いよいよ精神科へ行かなければならない状態になったのだ。母に付き添ってもらって精神科へと行った。初診の時、私は一言も言葉を発することができなくて、小さい子供のように頷いたり首を横に振るなどの仕草でしか返事ができなかった。それからしばらくは診察のたびに号泣で、困っていることを少しずつ話すことになった。

 

ついた診断名はうつ病。SSRIのデプロメールを処方された。飲んだ当初は両手が重くなる副作用?が出たが、そのうち、背筋が伸び、怖かった下りのエスカレーターにもスっと足を乗せられるようになった。あとはあんまりよく覚えてないから書けることはこのくらいかな。

 

2011年、東日本大震災があり、非日常感を味わっていた私は、ベッドに寝ころびながら一日中ラジオで行方不明者の名前が読み上げられるのを聞き続けていた。原発事故もあり、これは大変なことになっているぞ、と思っていた。しかし、外を歩くと普通に人が、普通に歩いていて、何事もなかったかのような景色があった。大災害とのギャップで私は精神のバランスを崩した。そして躁転したのだ。世界が鮮やかになって薬局の熱帯魚に感動したり、心が軽くなって多弁になった。精神科の診察の時にまくし立てて、先生が躁転に気づいてくれてリーマスを処方された。そのうち躁状態はおちついたが、夜更かしをしたりすると躁になりそうな感覚を感じるので夜更かしはしないようにした。双極性障害の病名がついた。

 

私の場合、うつ状態は自覚がないが、躁状態ははっきりと自覚がある。

私は幼少のころから人見知りであいさつもできないような子だった。

もちろん友達を作ることもできなかった。

だから小学校に上がると担任の先生が、クラスの子に私と遊んであげて、仲間に入れてあげてと世話を焼いてくれたこともあった。

私も友達は欲しかった。

ひとりぼっちが好きだったわけではない。

だけど、友達と遊ぶのが苦痛だった。

だって、楽しくないんだもの。

当時流行っていたファミコンの何が楽しいかわからなかった。

外で遊ぶのも、みんなは夢中になって遊んでいたけれど、私には何が楽しいか分からなかった。

 

今振り返ると、私、あたま、おかしかった。

なんであんなことしたんだろうと後悔することがたくさんある。

対人が苦手で、どう接したらいいか全くわからなかった。

それは大人になった今でもあんまり変わりないかもしれない。

でも、子供のころよりは分別はあるつもり。

 

子供のころは家で本を読んだりテレビを見たり手芸をしたりと、一人でできることばかりやっていた。

でもね、本を読んでいるのだけど、内容が頭に残らないのです。

文字を目で追っているだけで、内容を理解しているとは言えない状況。

小学校の図書館の本、たくさん借りたけど、ただ、目でなぞってるだけで読んでないから漢字が全然おぼえられなくて、担任の先生に「本たくさん読んでるのに漢字覚えられないのね」と言われたことがある。

すでに精神病み傾向にあったのかなと思っている。

当時、ひどいアトピー性皮膚炎で、ストレスもあったのかな。

いや、ストレスがあったからアトピーだったのかな。

 

私は真面目、異常なほど真面目なので、人一倍頑張った。

なにをやっても人並みにできないから、とにかく頑張った。

でもね、九九が覚えられなかった。

そんな子、クラスで私ひとりだった。

記憶力だめだったんだね。

今もそうだけど。

 

小学校高学年になると、極度の緊張から、たぶん腹鳴恐怖症とかだとおもうのだけれど、静かな教室が耐え難くて、おなかがグーッと大きな音で鳴る症状がでて、常におなかに力を込めておなかを引っ込めておなかが鳴らないようにしてた。

これはおとなになってからもしばらく続いた。

緊張からくる手汗足汗もあって、教科書やノートは手汗でベコベコだった。

 

困ったのは、作文とか日記とか、美術の宿題の絵だった。

なんでもいいから書いて来い、ができなかった。

作文は、自分の考えがなくて、書き方もわからなかったし、書けなくて書けなくて苦しんで、根がまじめだから書かないという選択肢はなくて、代わりに父に書いてもらったりした。

美術の絵も、何を書けばいいのかが決められなくて、苦しんで苦しんで母に題材を決めてもらったりした。

 

そんなだったから、あたまが悪いんだな、と自分では思っていた。

でも、今考えると、あの緊張は異常だったし、精神病んでたんだなと分かる。

今なら分かる。

あまりの緊張に目は吊り上がってキツイ顔になっていた。

高校の時の担任の先生が母に「なんでいつもあんなに緊張してるんですか?」と私のことを言ったらしい。

それだったら、精神科とか、精神保健福祉センターとか、どこかしらにつなげてほしかった。そうすればもう少し生きやすく生きてこれたかもしれない。

 

大人になってからネット経由でできた友人が、パニック障害で、親は頼りにならなかったらしいけれど、周りの大人がいろいろ助けてくれたから助かったと言っていた。私もそんな周りの人が欲しかった。いや、今でも欲しい。

世の中のみんなは一体いつ、クレジットカードというものを初めて作るのだろう?

なぜ作るのだろう?

 

私は今までクレジットカードの必要性を感じたことがなかったから作ったことがなかった。

ネット銀行の振り込みやコンビニ払いで十分だったからだ。

 

しかし、昨今、ネットで購入するときにクレジットカード払いしかないところがある。

しょうがないか、作るか、と思ったら、作れなかった。

おそらくは、スーパーホワイトが原因。

スーパーホワイトとは、一切の借金をした経験がない人のことを言います。

いい歳して借金した履歴がないと信用がないんだそうです。(若いうちはいいらしい)

信用情報を取り扱う機関があって、そこに借金の履歴がないとブラックで借金ができなかった人と、まったく借金したことのない人の区別がつかなくなってしまうのだそうです。

 

クレジットカードを申し込むと、カード会社が信用機関に問い合わせます。

その際に、スーパーホワイトだとこの人はブラックなのでは?という疑惑を持たれるらしいです。

 

私の場合、クレジットカードが作れなかった理由として、もう一つ思い当たることがあります。

家族が、以前そのカード会社のカードで不正利用されてそのカードを辞めたことがあります。

これも影響していると思われます。

いろんな記録が残されてのちのちに影響を与えることに恐ろしさを感じました。

 

①借金したことがない人生がそんなに不自然なの?

②借金してきた人のほうが借金を一切しない人より信用できるってどういうこと?

③元ブラックとスーパーホワイトの区別がつかなくなる信用機関ってふざけてない?

④企業の情報の記録とその取扱いが恐ろしい。

⑤行き過ぎたキャッシュレス化が不愉快だ。

 

クレジットカードが作れなかったらデビットカードでもいいと思うかもしれない。

でも、デビットカードではクレヒスが積めない。

つまりは、信用情報が積めないのです。

 

クレヒスなんてものも知らなかったし、成人したらクレジットカードをすぐに作らないと人生詰むとか学校で教えてもらわなかったよ。。。

 

私にとっては、生きていくのってとっても難しい。