子供の頃、体育の時間に女の子の手を握ると顔が真っ赤ラブラブ!になって爆発するタイプだが、音楽にだけは多少マセてる、というグループ・・・・は進学し、それぞれの高校に進んでいたった。ビートルズとストーンズとスレイド、パープル、ツェッペリン、クラプトンしか知らなかったパシリ役の僕もなんとか進学した。


学区が広がったせいか、それまでの中学と違い、色んな生徒が高校には集まっていた。僕のクラスにはフェンダーのJAZZベースを持っている豆腐屋の子供(演奏はできなかった-笑)や、劇団員の息子、彫刻家の息子など、個性的な奴が集まっていた。。


彼らと休み時間にギターの話で少し仲良くなり、学校帰りに下北沢に寄るようになった(僕らは私服だったので着替える必要がなかった)。しかし明らかに音楽に関して彼らは、僕よりも数段マセた少年たちだった。


いつも立ち寄るちょっとおしゃれなJAZZやフュージョンがかかる喫茶店(名前はNOISEとか・・・忘れた)で彼らはクルセイダーズやジェフ・ベックやジョージ・ベンソンの新譜の話で盛り上がっていた。僕は歴史で勉強した本当のクルセーダーズ(十字軍)と同じジョージでもジョージ・ハリスンしか知らなかったのでいつも聞き役に回っていた。勘定はいつも豆腐やの息子にまかせた(笑)。


写真拝借。。マサコ

ある時、たまには彼らを見返してやろうと思い、音楽好きなんだけどいつも右側の鼻の穴から鼻毛が出ている気の弱そうなクラスメートを誘って以前から気になっていた、同じ下北沢にあるコーヒーJAZZ喫茶「マサコ」  (いまでもある、50年やっているらしい)に入った。



Charlie Mingus “Pithecanthropus Erectus” 1956 アトランティック


テレビ Mingus  今聞くと、聴きやすいんだけれど、最初はびびった・・・。


ドアを開けるとそこは明らかに異次元であった。全員が沈黙したまま、肩を落とし、一心不乱にチャールズ・ミンガスかなんかを聞いていた。。。煙草の煙はまるでスモークが炊かれているようだった。。なんだかヤバイ教えの集いみたいな感じだった。。。店内には「おしゃべり禁止」の張り紙があった。。。なんで、喫茶なのにおしゃべりが禁止なのだ。。・・と思ったが、とてもそんなことをいえるような雰囲気ではなかった。二人で目を合わせ、小さな声で「コーヒー」と発した。。出されたコーヒーをダッシュでのみ、5分で退出した。そうとも、僕らは意気地なしであった。。


*その後、修学旅行でなぜか京都のJAZZ喫茶に入ったが、そこではエリック・ドルフィーのちょっと前衛的なヤツが大音量で流れており・・・同じような目にあった。。その後、二度と、そのような場所に行くことはなかった。。今の「マサコ」は女の子が一人で本読んでジャズを聴ける気楽な店らしいですが。。。



それから鼻毛の友人とは親しくなり、彼の兄貴からスティービー・ワンダーを借りた。



レコードが見当たらない・・・“Key Of LIfe”


“キー・オブ・ライフ”はいいアルバムだった。2枚組みだったけれど長さを感じさせなかった。。それはポップスであり、ロックであり、ちょっとファンクなすばらしいアルバムだった。僕は「I Wish」と「Knocks Me Off My Feet」がお気に入りで、1日中、ずっと聴いてた。ジェフ・ベックが参加していると聞いて、ますます好きなアルバムになった。鼻毛の友人も誇らしげに「いいだろ」と言っていた(お前が作ったのかぁ!)。友人の兄貴から借りているのにもかかわらず、クラスの気になっている女の子にまた貸しして後で怒られた(笑)。

テレビ Stevie Wonder - Knocks Me Off My Feet


テレビ Stevie Wonder - As



そんな風に音楽仲間も、僕の音楽の知識もしこしずつ増えていった。。

で、記憶は曖昧だが・・・僕らのたまり場は、やはり下北沢の別の店・・・名前はたぶんペーパー・ムーンか、ペーパー・ドールという店に変わった。そこは劇団員の人がバイトしているようなちょっとマニアな店だったのだけれど、いつも決まって「ニック・デカロ」の“イタリアン・グラフィティ”がかっていた。


それはロックでもないし、フュージョンでもなく、ちょっとお洒落な大人の音楽のように聞こえた。。



Nick Decaro “Italian Graffiti” 


アルバムではジョニ・ミッチェルやヴァン・マッコイやランディ・ニューマンの曲を取り上げていたが、僕は「ウェイリング・ウォール」という曲が好きだった。それはとても静かで荘厳で、優しい曲だった。綺麗な綺麗な、ラブソングだと思っていた。。いつかデートで使おうと思っていた(笑)。。

でも、後になって、それはエルサレムにあるユダヤ人が祈りをささげる壁・・・・嘆きの曲で、書いたのはトッド・ラングレンだ、ということがわかったのだった。


そして僕はトッド・ラングレンに流れていったのだった。。鼻毛の友人は相変わらず鼻毛が出ていた。。


気分が乗ったらまた続くのであった・・・。