#麦穂動物園 気まぐれ日誌 -6ページ目

ゆるゆる哲学コラム◇失敗するのがこわい心理

何かの技術を得たくて、セミナーに通うなり、弟子入りするなり、誰かに何かを教わる時

 

または

 

「本当はああしたほうがいいんだろうな」って思った時に

 

いろんな理由をつけて行動に移さない人の方が多いらしい。

 

それも圧倒的に多いらしい。

 

それは、人間の脳みその機能「安全装置」のようなものが、現状からの変化を嫌うからだそうで

 

今の状況がその人にとって良いか悪いかに関係なく

 

とにかく、現状維持を選ぶシステムになっているそうだ。

 

それは、ちょっとだけ種類が違うけれどタバコへの依存や、糖類(甘いもの)への依存とも似た塩梅。

 

「失敗を恐れる奴はダメだ!」と語る本や偉い人、成功者はたくさん居る。

 

でも、失敗を恐ろしく感じるのは、生き物として当然の機能でしかないわけよね。

 

「ダメだ!」ってただ言われたって無理なもんは無理なのよ。

根性論でなんとかできる人は既に自分を変えて人生楽しんでいるわけだ。

 

でも。薄々思っていたけれど

ぶっちゃけその機能、邪魔よね。笑

 

そもそも、狩をせずに生きることが難しかった太古の昔から本能的に備わっている機能だから

感謝すべきではあれど、いろんなものが便利になった今はそこまで重要なものでもない。

 

もし、失敗を通過点だって最初から理解できる自分だったら、

もっと素直に楽しくいろんなことにチャレンジ出来ていたら

もしかしたら新しい出会いもたくさんあって、本当はもっともっと良い人生を歩んでいたかもしれない

リスクを取ることはいつだってプラス要素だと信じられたなら、そんなにイージーな人生はないわけだ。

 

ここから先は、それが一体なんなのか、どうしたら失敗を恐れずに挑戦できるのかを

紐解いて書いていく。

 

興味ある方は読み進んでみてね。

 

人間には様々な欲求が備わっている。

 

それは、幼い頃の家族や両親との関係、親戚付き合い友達付き合いから「生きるため」「愛されるため」に備わった「欲求」だ。

 

認めてほしい、褒めてほしい、「承認欲求」

 

確かめたい、試したい、「自己重要感」

 

そいつらが重なることで自動的に発動するのが

思い通りにしたい、ああ思われたくない、こう思われたくない、

こう思われたい、こう言ってほしいという

他人のイメージや発言を無意識下で一方的に求めてしまう「コントロール欲求」

 

 

それらは全て、過去が生み出している。

自分が愛されているか確かめるため、不安を感じて、欲求を出す。

今の現象を見て、過去の自分が不安を引っ張り出し「いかん!守らねば!」と欲求を引っ張り出し続けるのだ。

 

失敗したくないというセンサーは、今、どの欲求を引っ張り出してるのか?

 

って、自分とちょっとだけ話してみたら

案外答えをくれたりする。

 

認められたい。失敗したら、間違えたら見捨てられるんじゃないか(承認欲求×自己重要感)

すごいって思われたいんだ、さすがって言って欲しいんだ(承認欲求×コントロール欲)

ダメなやつって思われたくない、何も分かってないって思われたくない(コントロール欲)

 

失敗を恐れない人たちは、この欲の存在や反応に気づいて、「ビジネスにおいてはこの感情を採用しないこと」を選んでるだけなんだ。

なぜなら、失敗やダメ出し、行動して恥をかくことがなければ「自分に足りないものが何か」が一生分からないから。

成長を一番邪魔するのは「行動しないこと」「失敗しないこと」だから。

 

その欲求がなくせるわけじゃない。本能だから。

ただ、「ここでその欲求を発散させるのは非効率」と、分別できるようになってるだけ。

 

 

ここまで気づいたら、大切な作業をしなければならない。

 

今自分が志しているそれは、そもそもどうして志し始めたのか。

 

もし、もしそれが、「何かの欲求発散のため」だったとしたら

 

一度立ち止まった方が良い。

 

きっと、その業界でその欲求は一生満たされない。

根底にある目的が欲求発散である以上、失敗することが怖いまま長い間向き合うことになるから。

そして気づかないうちはずっと不安で、楽しくなくて、怖くて、何か起きれば誰かや何かのせいで、とにかく満たされない。

 

そう感じているなら、それは「心底なりたいもの」ではなく、大切な夢を「欲求の発散の手段」としてしまっている特徴だ。

 

欲求と目標、夢。それぞれがどう関係しているかは自分にしか分からない。

だから、もし「これ・・・欲求が先に来ている」と気づいたなら

その欲求を満たす手段だけを変えるべきだ。

 

夢は、心底自分が望む前向きなエネルギーから選ぶといい。

欲求を分離できれば、夢は変わってしまうかもしれない、変わらないかもしれない。

変わってしまっても、欲求に気づける自分になったら、必ず新しい夢も見つかる。

そして、そのほうが確実に幸せである。

 

欲求に気づいて、解放して、もう一度、大好きな夢に向き合うと良い。

 

 

今の自分はどの欲が働いているのかを客観視することができれば、分別できるようになって

目指す道へ挑戦する中での失敗が通過点であり、プラス要素の宝物に変わる。

 

そうするとね、怖いどころか、失敗が楽しくて仕方がなくなるんだ。

間違いに気づくことができれば、次にどうしたらいいか分かるから。

ここから先、ただただ自分が良くなるだけだから。

 

過去を振り返ると、人生がより良く進むターニングポイントになるのはいつだって「大きな失敗をした時」なのだ。

 

厄介な欲求たちは、ゲームで発散できる。

そもそも世の中に作られるゲームは大体誰しもが持っている「コントロール欲」に反応するように作られている。

 

家族や友達に甘えること、自分の日常や小さな心掛けで、「今は欲求発散タイム♪」と割り切って、別のことでちゃんと発散出来るようになるんだ。

 

自己理解、自分の今の欲がどこから来ているのか、じっくり読み込んで向き合う時間を作ろう。

 

人生楽しくなるよ(^^)

 

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追記で応用編について^^

 

身内に意外と居るのが

 

「年金払ってないまま放置」

「確定申告よくわかんないから考えたくもない」

「投資は絶対に無理」

「怖いけど理解するのがめんどくさいから良さそうな保険に入っておこう」

 

この辺りの「理解した方がいいんだろうけれど、めんどくさい症候群」のみなさま。

 

これも同じ・・・というか、極端でより分かりやすいかもしれないね。

正に「不安からの欲求」第一に採用している状態なわけです。

コントロール欲が満たされないことに対しては必ず「めんどくさい」と感じるんです。

それも極限にめんどくさい。

だから、何かのせいにして見ないふりをする。

 

これをずっと気づかずにいると、お金を使って回避したり、どんな手を使っても見てみないふりを続けたりするので、一生手を出せないんです。

 

コントロール欲にここまで支配されていると、今度は人付き合いも支配されるようになっていく。

自分のそばには「思い通りになるもの」「欲しい言葉をくれる人」以外置かなくなる。

年を重ねるごとに正当化も上手になり、自分だけの欲求に勝つつもりも、理解するつもりも生まれないまま、ワガママと諦めに支配された年寄りが生まれる。

 

大切だと思っていた人が欲しい言葉をくれなかった瞬間に、絶望する。

自分は常に誰かの犠牲者の立ち位置をとって、文句を言うばかりになる。

それが一番こわいことなのね。相手の幸せを喜べなくなるから。

 

気持ちは分かる。痛いほど分かるが、一旦立ち止まって、欲求と防衛本能がビンビンに反応していることに気づいて、「この欲の発散はここじゃないな」ってその感情を分別し、採用せずに考えることができたら、

拒否反応の種類が変わるはず。

 

何歳からでも、立ち止まって考えることは出来るはず。そうしたくない気持ちが「自分だけの欲求」であることに気づいて、見つめ直すことができれば

 

一度「そっか」と思えばすっと理解できるようになるから、思っているほど失敗がこわくなくなる。

そうすると行動ができる。

 

欲求第一の人生は、不安がつきまとう。

大切なはずの人が思い通りにならない瞬間に「裏切られた」と感じてしまう。「自分は犠牲者だ」と思う。

それは、とても悲しいけど「自分だけの欲求を第一に過ごしていた」何よりの証拠になってしまう。

 

自分の欲求を満たすために人を利用する、そういう手段でしか人と関わってなかった自分に気づいてしまう。

 

その瞬間の絶望ったらないわけですよ。

だって、とても大切な人だったから。

 

私は経験済み。

 

だから、欲に対してここまで書ける私がいる。

そんな「最大の失敗」が、私の過去にあったから。

悲しかったよ。とても、とても。

でもあそこで失敗していて、本当に良かったと思える今、ちゃんと大切な思い出に変わってる(^^)

 

欲求の分離ができるとね

仮に自分が良く思わない趣味だとしても、それを楽しんでいる相手の幸せを、心から喜べる人になれる。

 

より冷静に、相手と自分の違いを観察できるようになる。

 

本当に、今相手に出すのはその感情で良いの?って、自分の勝手な押し付けにならない?って

振り返ることができる。

 

感情に乱されず、言葉を選べるようになる(^^)

 

相手を想って渡した言葉を、たとえ相手が採用しなくても、そこで怒ったり悲しんだりするんじゃなくて

そうすることを選んだ相手を尊重できるようになる。

 

依存し合う関係も、互いに幸せならそれで良い。

 

幸せならそれで良いのです。要は楽しけりゃなんでもいいんだ。

 

他人を思い切り悪者にしてバーカバーカ!って言ってる明るい人、私は大好きだ。笑

 

でも、いつも文句ばかり口から出ていたり常に誰かの犠牲者でいる自分に

違和感や、不愉快な感じがあるのなら

立ち止まってみてもいいかもしれない。

そんなお話。

 

当てはまるな?って思ってくれた方はひっそりと立ち止まってみるのも良い(^^)

私には、お互い一緒になれない個性を理解し合う関係性の方も、心地よかったんだ。

 

誰かの幸せにつながることを祈りつつ、こんな文章を生やしておいてみる。

 

最後まで読んでくれた皆様、ありがとう^^

 

 

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幼少期より自己表現が下手くそすぎた麦穂です!

 

表に出せない頭の中身を毎日毎日書き散らかし

1万を悠に超えた文章の中から 誰かの安らぎにつながるものがあればと

コラムにまとめはじめました。

無料記事をアメブロにも載せてみています^^

 

繊細すぎて大公開に勇気がいる内容に関しては鍵がわりに有料閲覧とさせていただき、クリエイティアにて気まぐれ更新しております!

 

 

 

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相変わらず筆不精ではありますが・・・!笑

 

遊びにきてね😊