むぎめんplus〔  〕×福岡女学院 金沢ゼミ -11ページ目

むぎめんplus〔  〕×福岡女学院 金沢ゼミ

「麺」をテーマにした小説・エッセイ集

by:みかん

 

本文 

 

肌寒くなってきた十一月中旬のある日。この日は私の祖母のお葬式だった。

「ねぇ、小さい時さ、じいちゃんとばあちゃんとうどん作ったよね?」私はいとこのお姉ちゃんに問いかけた。

「あ~、作ったね、懐かしい。」彼女はそう答えた。

 

 

ふと頭に蘇ってきたのは、私が小さいころ、私と祖父母、そしていとこのお姉ちゃん、お兄ちゃんと、うどんを手作りしたことだ。その時のことを鮮明に覚えているわけではない。それでもみんなで手作りした楽しさと、いびつな形でもおいしかったことだけは覚えている。その時、たった一回きりだった手作りうどん。まだ祖父母が元気なうちに、作り方を教えてもらえばよかったなぁと後悔している。

 

祖父は二年前に亡くなり、祖母も今年亡くなってしまった。幼いころから祖父母と一つ屋根の下で暮らしていた私は、家の中がすっかり寂しくなってしまったなぁと、ふとした時に感じてしまう。

 

私は母子家庭だった。小さいころ、母が仕事の間、祖父母が私の世話をしてくれて、また遊び相手になってくれていた。「ばあちゃん、お腹すいた」と言えば、いつでもご飯を作ってくれた。

今でも鮮明に思い出すのは、夏のお昼ごはん。祖母はしっかり冷やしたそうめんを一口大にしてお皿の上にクルクルと盛り付け、つゆと刻みのりを添えて出してくれた。それ以外のお昼ご飯を思い出せないくらいほど、そうめんばかり。そして祖父は私と向かい合うように座り、一緒に温かいうどんやそばを食べていた。私は冷たいものが好きで、祖父は温かいものが好きだった。そうか、わざわざ別々に作ってくれていたのだと、祖母の優しさが今になってわかるのだった。

 

よく、大切なものは失ってから気づく、と言うが、最近本当にその通りだと思うことが多い。祖父は、入院する前に行きたがっていたところに行けないまま、亡くなってしまった。祖母の場合も、コロナ禍での入院だったために亡くなるぎりぎりまで、私は一年間もの間、面会に行けなかった。

 

もっとたくさん話したかった。色々なところに行きたかった。

料理上手な祖母には料理を習いたかった。

外食が好きな祖父といろいろなものを食べに行きたかった。

 

会えなくなってはじめて、こんなにもいろいろな思いがつのる。なのに、会えているうちはなかなかそれに気づくことができない。私は祖父母のおかげで、大事なものを知ることができたのだ。

 

大切な人たちを、もっと大切にしよう。

どんなことに対しても、できる限り後悔しない道を選ぼう。

 

今年の夏、そうめんを食べることが多かった。十九歳の今、幼い頃食べたそうめんが恋しくなったからかも知れない。ただあの頃とは違って、今はもう自分で作って自分で食べる。でも、ひとりだ。おいしくても、その気持ちを声に出して誰かと共有することはできないし、聞こえてくるのは、自分だけがそうめんをすする音。テレビをつけて気を紛らわせようとしても、祖父母と一緒に食べていた時の、あの安心感のあるおいしさを感じることはできなかった。誰かに作ってもらうことで、誰かと一緒に食べることで、プラスされるおいしさも祖父母は私に教えてくれた。

私に将来子どもや孫ができたなら、私が祖父母にしてもらったのと同じように、夏にはそうめんを作ってあげたいし、冬には温かいうどんを作ってあげたい。そして私が感じたものを感じてほしい。

今はもう会えなくなってしまったけれど、私はそうめんを食べるたびに、大好きだった祖父母を思い出す。

 

「じいちゃん、ばあちゃん、ありがとう。」

 

 

 

 

〔作者の言葉〕
 

 

みなさんは、おいしいご飯を食べたとき、どんな気持ちになりますか?

私はおいしいご飯を食べたとき、幸せな気持ちになります。そしてそのおいしさを、誰かと共有したくなります。共有の仕方はいろいろありますが、声に出して「おいしい!」ということもあれば、表情で伝えることもあります。

誰かが自分のために作ってくれるご飯って、本当においしいですよね。しかし、そのおいしさは当たり前ではないのです。

それを教えてくれたのは、私の祖父母でした。祖父母が亡くなった後、私にはたくさんの「後悔」と「気づき」がありました。これを読んでくださるみなさんには、同じような後悔をしてほしくありません。そのためにも、私が祖父母から学んだ大切なこと、後悔したことを、このエッセイを通して共有したいのです。

 このエッセイを読み終わったあと、みなさんにとってのさまざまな「当たり前」に、感謝する気持ちが芽生えたらいいなと思います。