by:えの
【本文】
2013年1月1日。新しい年を迎え、年男になったその日、祖父は亡くなりました。
母の父は私が生まれる前に亡くなっていたため、私にとってのたったひとりの「おじいちゃん」でした。私の両親は共働きで、私はよく祖父母の家で過ごしていました。父にはよく怒っていたという祖父ですが、私や姉に怒ったことは一度もなく、私たちはそれをいいことに、祖父に近くのお店までお菓子を買いに行かせたり、習い事の送り迎えをお願いしたりしていました。それだけでなく「じいちゃん!帰りなんか買いたいけ、お金持ってきて!」ということもあり、今思えば世話のやける孫でした。それでも祖父は嫌な顔ひとつせず、毎回笑顔で私を迎えてくれました。また、私が夏休みの日記に天気をこまめに書かないために、新聞を毎日残しておいてくれたりもしました。
小学五年生になり、「今年の夏休み、じいちゃん家で何しようかなあ」と考えていたころ、父から祖父が病気であることを知らされました。体調がよくないことは知っていましたが、そんなにも重いものとは思っておらず、私はそれが現実なのかわかりませんでした。その日は、家族にわからないようにお風呂で思う存分泣きました。後から聞いた話ですが、見つかった時にはもう余命宣告をされていたそうです。
祖父が入院してから、私は毎週のように祖父に会いに行きました。ある日、私は祖母と二人で電車に乗ってお見舞いに行きました。駅の階段をおりると、そこには祖父の姿がありました。病院から出てはいけないと言われていたのにもかかわらず、私たちを心配して待っていてくれたのです。身体中痛くて、きついはずなのに。
そんな優しさにあふれた祖父の大好物がお蕎麦でした。私が知っている祖父の人生には常に「お蕎麦」があった気がします。入院中、病院からいなくなったと連絡があり、私たち家族は大慌てでした。ですが、その時祖父は美味しいお蕎麦を食べるために外出していたそうです。祖父の病気がわかってから家族全員で行った別府旅行のシメもお蕎麦屋さんでした。今考えると、毎日午後四時に食べていた晩御飯はざるそばが多かったように感じます。
亡くなる前日は12月31日で、夜ご飯は年越しそばだったのですが、祖父はもう弱っていてご飯がなかなか食べられなくなっていました。でもその日だけは、食べさせてあげると、祖父は頑張って食べてくれたのです。もしかしたら、祖父は自分の死を感じていたのかもしれません。もうすぐ大好物のお蕎麦が食べられなくなると思って頑張って食べたのかもしれません。お蕎麦を食べて後悔がなくなったかのように、その次の日、静かに息を引き取りました。
そして今、私は成人になりました。祖父は生前、私が成人するまでは生きたいなあと、よく言っていました。その目標まで生きることはできませんでしたが、よく頑張ってくれたと思っています。
祖父が亡くなって9年が経ち、私は4月から本格的に一人暮らしを始めました。家に帰っても「おかえり」という声は聞こえずただ外を走る車の音が聞こえるだけです。それだけでなく料理、洗濯、お皿洗い、掃除、全て一人でしなければなりません。辛いことの多い一人暮らしですが、気づいたこともあります。それは家族に対する本当の「ありがたみ」や「温かさ」です。今までどれだけ大きな愛をくれていたかに気づきました。そんな家族にいつか恩返しができるように、大学生を精一杯頑張り、成長した姿を家族、そして祖父に見せたいと思います。長生きしたかった祖父の分まで今を一生懸命生きようと思います。そして、実家に帰った際には仏壇に参り、祖父との思い出に浸りながら、祖父が大好きだったお蕎麦を食べようと思います。そして、祖父のような優しさがあふれた人間でありたいと思います。
「じいちゃん、大好きだよ。」
【作者の言葉】
大切なもの、当たり前は失ってから気づくとよく言います。
私自身、祖父を亡くした時にそれを強く感じ、後悔しました。お菓子を買ってきてくれる祖父も、習い事の送り迎えをしてくれる祖父も、忘れ物を届けてくれる祖父も、祖父がお蕎麦を食べてる姿も当たり前だと思っていましたが、そうではありませんでした。もっと優しくしておけばよかった、感謝を伝えておけばよかったと何度も何度も思いました。
今、祖父には直接伝えられませんが、今そばに居てくれる家族や友達、仲間には後悔のないようにはずかしさは捨て、普段から想いを伝えたいと思います。そして、どうかこれを読み、皆様が今ある当たり前を大切にしようと思ってくださったら嬉しいです。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
