この病気は症状がさまざまなように、罹患者によっても考え方は違う。

私は自分の考えから誰かに影響を与えたいとも思わない。

人には人それぞれの考え方があるのだ。

 

 

 

今日は続き物・≪安楽死≫に関して書きたいと思います。

 

ひとつ断っておきたいのですが、特に 最近このブログを読みだした、最近の記事から読んでいる同病者の方、あるいは種類は違えど難病の方たち・・・

そんな方たちは「夢も希望も無い紺美ブログ、ただ死へ行こうとするしかないのか?」と元気が貰えるブログどころか 元気を奪われるブログとしての印象を持っているかもしれません。

そんなことないのですよ。

 

要は自分の意思なのです。

自分の気持ちに素直になることが肝要だと思うのです。

 

この記事の冒頭にも書いてありますが、考え方は人それぞれだと思うのです。

生きること、命に対しての考え方・捉え方も人それぞれ。

 

私はこの病気に罹る前から、もうかなり前の話ですが、安楽死というものに興味を強く感じていました。

どちらかと言うと肯定的な見方をしていたかもしれません.

言い換えれば、だいぶ前から安楽死賛成論者でした。

 

それが この病気になり ますます 安楽死賛成派となりました。

 

しかし、安楽死に反対の立場をとる人がいるのも当たり前だと思っています。

また どっちつかずで判らないという立場の人がいることも当たり前だと思います。

 

私はこの多系統という現在では完治の希望の無い病によって、もの凄く不自由な生活を強いられてます。

どこにも出かけることなく、毎日 窓からの景色を眺めています。

痛みを足・腕・首・腰などほぼ全身に感じています。

話してコミュニケーションをとるという方法は難しく、レロレロ状態は殆ど末期でもの凄く無口になりました。

何かをつまもうとすると やっとつまんだ物をブッ飛ばすし、キーボードを打てば誤字誤変換だらけで、指はカチコチで動かなくて・・・時間がかかってしょうがない。

トイレで転倒、便器に顔を突っ込むわ、車椅子から転げ落ち大騒ぎ。

話すと呼吸困難になって苦しいので とても無口になって、それでも話すときはお礼を言うときか謝るとき。(お礼と謝罪を言うことが多いということは、それだけ優しい人に囲まれているということなんですけどね)

週に二回は大量の下剤を飲んで、飲んだ日にうっかり早寝をしたもんならオムツの中 悲惨な長岡花火・・・・真夜中にヒーヒー言いながらベッドから起き上がり、車椅子でトイレに行き、汚れを不便ながらも自分の手で後始末をし・・・。

寝返りもろくに出来なくなった状態で ベッドの上で再度横になり フーとため息をつく。

(もうこのまんま朝なんて来ないで・・・・)

 

と、私は現実にピリオドを打ちたがる傾向があるのです。

 

しかし、一方、私と同じ病に罹っている方でも、あるいは病種は違えど重い難病に罹患している方、病状がもっと進行してしまい 壮絶な苦しみの中にいながらも≪生きる≫ことを諦めない方もいるのですよね。

 

どちらがより正しいとか、そんな視点で見るのではなく、どちらも存在して然りだと思うのです。

 

私自身、≪生きる≫ことに対して決して諦めているわけではないのです。

ただ、テンコ盛りの苦痛を感じながら、周りの人間にも多大な労をかけ、生きていくその意味をどうしても見いだせないでいるのです。

 

この辺の考え方を突き詰めて論じると、やたらめっぽう長くなりますので、割愛するとします。

 

要するに何が言いたいかといえば、私の記事内容はあくまでも私の考えであり、読者の方々おのおのに、何か影響を与えようだとか、考えを押し付けようとするものでは もちろん ありません。

特に最近 同病 難病を告知されたという方々、私のブログを見て、夢や希望を捨てる必要は全くないですから。

 

とにかく、≪命≫≪生きる≫ということに関しては各自で考えを確立するべきだと思います。

道は自分で決めて、決めたらそこを歩くのみです。

でも方向チェンジって可能ですよ。

線路上で方向を換えるのに分岐器・スイッチバックってありますよね。

それと同じように考えてもいいと思います。

線路は人生、そこにはスイッチバックがあるのです。

 

 

 

また前置きが随分と長くなってしまいましたが、私が安楽死を施してもらいたくてスイスのライフサークルという協会に登録をしたいと思うきっかけを作ったのは一冊の本でした。

この本です。

出版社・・・・小学館

著者・・・・宮下洋一

本書は欧米で活躍するジャーナリスト宮下洋一氏が自殺幇助団体の代表であるスイスの女性医師と出会い、欧米の安楽死事情を取材しながら死をめぐる思索を深めていくノンフィクションだ。

西洋を丁寧に取材してきた著者の結論は実に予想外であった。終章に著者は記す。西洋的文化の中で見失っていた「生かされて生きる」感覚を日本での取材を通して発見した、と。これは、西洋を体験した著者だからこそ探り当てた東洋の真珠であると思う。著者の目を通して、読者もまた西洋と東洋の死生観を俯瞰することになる。

(Amazon商品の説明 メディア掲載レビュー 評者田口ランディ より一部抜粋)

 

上記の本を大学病院に入院していた4月に読んだのですが、そっかー 日本で安楽死できないから諦めていたけど、スイスという手があるじゃないかと。

日本人にも安楽死を施してくれそうな協会として、この本の中で主として取れあげられているライフサークルという協会に登録しようと思いついたのです。

しかし、私の元来のフットワークの悪さが災いしたのか・・・

それとも 病気の進行を舐めていたのか・・・・

八月中旬が周囲の人を自殺幇助罪に巻き込まず、ギリ単独でスイスに行くことのできるタイムリミットだったと思うのですね。

もちろん車椅子ですけど・・・

英文で割と身上を詳しく書いたつもりなんですが、ライフサークルにメールを送っても無しのつぶて・・・きちんと届いたのかそれすら判らないんだから。

(;´д`)トホホ

 

8月中旬なんて既に「安楽死を遂げるまで」が講談社ドキュメンタリー大賞を受賞した後で、この本の出版元である小学館の編集部にも安楽死を登録したいと問い合わせが多く来ていたのです。

ドキュメンタリー大賞を受賞せずとも、安楽死は昨今の日本で特に関心を集めていますしね・・・・

そんなわけで、スイスのライフサークルに日本から多くのメールがにわか的に沢山来ているのは想像に難くないです。

私のメールはその中の一通に過ぎないんじゃないかな。

何とも送ったタイミング、悪いです・・・・。

 

ところで、安楽死登録問い合わせとして最も多く編集部に電話してきたのは、どんなかたたちだと思いますか。

何と医療関係者、とくにお医者先生からの登録問い合わせが多かったそうです。

 

 

 

 

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