もう3年になるのかなぁ・・・残された私たちは何事もなかったかのように1日が終わり、毎日のようにお互いの安否確認をしています。

日々、体の不調はあるものの、とりあえずは年相応に元気な方です。

ずっとコロナ禍で行き来は少なくなりましたが、時々は会ってお昼ご飯を食べながらも、ふと妹が一緒に居る感覚を覚え、元気だった頃の妹ですが、、、。あのバリバリの妹ではなく、優しい顔の穏やかな妹が、傍で私たちの話に耳を傾けてそっと寄り添ってくれてるようで、とても近くに感じる時があるのです。

時間が経つにつれ急に感情がこみあげて来て、涙することもしばしばですが、寂しくなったり悲しくなったりすると、おばさん2人で昔話をするのです。

こんな時は本当に2人で良かったと思えて、2人だからこそ今、があると思えるのです。

 

 妹が死を覚悟したとき、安楽死を諦めかけていたとき、色々話を振り返りながら・・・。『三人で何処か旅行にでも行こうか・・・山でもどこでもいいから知らない所へ行って、三人で飛び降りようか・・・三人一緒だったら怖くないし、紺美ちゃんが死にたいと本当に思うのであれば、私たちと一緒に逝こう・・・』と話したら、妹はエッ?と驚いた表情で直ぐに『何言っているの!そんなことできないよ』」と強い口調の後に、『ありがとう!そこまで思ってくれて・・・』と涙ながらの言葉が返ってきた。そして三人で泣きました。

あの時私たちは、本当に心からそう思っていました。妹が死ぬ覚悟を決めて自死を試みる力が残っていたとしても、苦しみながら一人で行くことだけは絶対にさせたくはない、そう思うことは家族として自然なことですよね。

よく耳にする言葉が有ります。『私は、死ぬときはポックリ死にたいわ』と。

安らかに眠るように亡くなることは、世界中のみんなが望むことです。安楽死の是非だけの問題ではなく、死を迎える時の個人の希望なのです。家族の思いなのです。

 

妹の考えは、自身の死に向き合い、自分らしさを大切に、そして家族に対しての精一杯の配慮の仕方だったのだろうと思います。そしてだからこそ現在私たちがこうして生きていけるのだと。