◆◇◆ ベルサイユ宮殿とプチ・トリアノン(2004年7月21日・水) ◆◇◆

 

 ベルサイユ宮殿は、その敷地が1,700万㎡を超えているとされているが、どのくらいの広さなのか実感がわかない。

 確か、埼玉県の蕨市が500万㎡強だと思うので、その3倍くらいあり、真四角の土地とすれば、その一辺がが4㎞強となる広大な面積である。

 その大部分に建物が建っている?残念ながらそんなことはありません。そのほとんどは公園であります。

 公園は、宮殿の最も近いところにフランス式庭園(花壇)、続いて池があり、その先に真ん中の大きな水路(運河)を挟むように森林があるという配置である。

 これを宮殿西側の窓から見ると、遠近感を伴ったその美しさが絵画のように目に焼き付くのである。それを小生は「生きている絵」と呼びたいと思ったのである。

 

<「生きている絵」の公園>

 

 さて、順番が逆になってしまったが、宮殿見学であるから建物から見るのが普通である。    

 まず、ホテルから歩いて行く様子を説明したいと思う。朝、ホテルから歩道に出たら、道路を挟んで反対側に「これが宮殿では?」と思えるような立派な建物があるが、そこを見たくてベルサイユ宮殿とは逆の方向に歩き出したのである。

 そこで、懸命に道路の清掃をしている方に出会い、カメラを向けるとごらんのような笑顔を見せてくれたのである。

 

<左方向が宮殿>

 

<笑顔が印象的な人々>

 

 話がそれてしまったが、ベルサイユ宮殿へは上の画像のように左方向に向かって行くのである。が、その途中には,輝くような薄緑の葉をつけた樹木が並んでおり、その先には、交差する道路と横断歩道、そして宮殿前の大きな駐車場がる。

 そして、そこを過ぎると、宮殿の入り口となるのであるが、小生がなぜこのような光景まで記述したかというと、ホテルの場所あたりからが宮殿だったのではないか?と思うからである。

 なぜなら薄緑色の樹木の横には、立派な建物が燦然と立っているからである。さて、皆さん!この建物の正体は?なんと!この建物は「厩」だそうでである。

 

<立派な建物が見える・これが厩?>

 

<宮殿正面の門>

 

 光客は、このように度肝を抜かれてから宮殿の入り口に立つことになるが、この門も、宮殿を建築したルイ14世の時代に造られたようで、金色に輝いていて「さすがは王宮だけあって門にもお金がかかっているな!」と変に納得してしまう。

 しかし、その両側が鉄格子のようになっており、せっかくの景観を殺しているように感じたのは、小生だけであろうか?

 

 ベルサイユ宮殿は、ルイ14世という王様が自分の権威を前ヨーロッパに示す象徴として建てたもので、17世紀後半に完成したとされているが、その前にあった王宮がどこにあったのかをご存じだろうか?

 答えは「ルーブル美術館」である。したがって、初めてルーブル美術館に行ってみると、その広さと壁や天井を覆う絵画などの豪華さに圧倒されるのである。

 ここで、ついでにクイズをだすと、オーストリアのハプスブルク家から来たマリー・アントワネットは、ルイ何世と結婚したのでしょうか?

 答えは,ルイ16世である。マリー・アントワネットは、贅沢三昧で国家財政を逼迫させた悪女のように言われ、そのためフランス革命で処刑されたことは,あまりにも有名であるが、小生が彼女のことを記した理由は、彼女が愛したとされる「プチ・トリアノン」という離宮と、農家住宅などの小集落が、このベルサイユ宮殿の敷地にあるからである。

 

<マリー・アントワネットの肖像画>

 

 さて、ベルサイユ宮殿の中であるが、正面から見ると、コの字形になっており、観光客は右側の本館二階に上がることになる。

 

<宮殿正面のルイ14世像>

 

<宮殿の正面>

 

 この建物は,王と王妃のための居住空間であるが,ブルボン王朝と言われる時代の栄華を示す部屋が次々と並んでおり、金箔でできたような家具・寝具などの調度品が並ぶ部屋や、王や王女などの肖像画王がある部屋、さらには絢爛豪華な天井画などがあり、説明を聞いても、とても覚えきれるものではない。

 

 私たちが階段を上り、まず見学するのは、「豊穣の間」「マルスの間」「アポロンの間」「戦争の間」などであるが、観光客が覚えるべき有名な部屋としては、西側全体が一つの部屋になっている「鏡の間」である。

 さらに、建物の左側には,マリー・アントワネットも使用したという「王妃の間」や「控えの間」が並んでいる。

 などと説明している小生であるが、ここを訪れる前にもっと勉強しておくべきだった後悔している今日この頃である。まあ、それはそれとして、宮殿の画像の画像をご覧ください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この二階の見学が終わると、自由行動となり、西側に広がっている広大な庭園を散策したのであるが、その光景については、先に説明したとおりです。

 

<広大な庭園>

 

 さて、この散策が終わると、昼食となったのである。場所は、宮殿の正面から見て右側を走っている道路沿いにあるレストランである。

 さあ!今日の昼食は「エスカルゴ」ということで期待が高まります。

 

<これがエスカルゴであるぞ!>

 

<メインの鶏肉>

 

 どんなに美味しいのかと期待に胸を膨らませながらいただいたのであるが、残念であった。

 何が残念か?カタツムリの入り口をほじくり、その肉?をいただくのであるが、形が小さく、真っ黒、肝心な味はサザエに遠く及ばない貧弱なものであった。

 まあ、しょうがありませんね。

 

 食事の後は解散?違いますよ。ここからマリー・アントワネットゆかりの「プチ・トリアノン」に向かったのである。

 「プチ」というのは、日本で「プチトマト」というように「小さい」という意味であると思うが、「トリアノン」は、この地の名前ということらしい。

 ところで、アントワネットが愛したのは、プチ・トリアノンではなく、ここの近くに彼女が造らせた「小集落(農家住宅)」だっとようである。

 

<この建物が「プチ・トリアノン」?>

 

 順番が逆になってしまったが、アントワネットが頭にあるものだから農家住宅が先になってしまった。

 それにしても、プチ・トリアノンの庭園の遠方を見る感じで,この光景を覗けたということであり、誠に残念であった。

 ところで、トリアノンには二つがあるが、もう一つは、ルイ14世が造った「グラン・トリアノン」である。

 トリアノンは、ベルサイユ宮殿の北西にあるが、私たちは、バスでトリアノンの駐車場に行ってこの離宮を見学したのである。トリアノンに通じる道を走っていると、正面に鉄柵のようなもの見えてくるが、これが「グラン・トリアノン」らしい。

 

<グラン・トリアノンの鉄柵門>

 

 私たちが見学する予定のプチ・トリアノンは、グラン・トリアノンの手前を右に曲がったところにあったが、入り口の両側は、樹木が一直線に並んで植えてあり、その突き当たりがプチ・トリアノンとなっている。

 トリアノン周辺は、よく手入れが行き届いた緑の樹木が配置され、「静寂の世界に包まれている」といった感じである。

 

<正面にプチ・トリアノン>

 

 プチ・トリアノンは、ルイ15世が奥さん(ポーランドの王女)ではなく、愛妾(ポンパドゥール公爵夫人)のために建てたもので、ルイ16世がアリー・アントワネットのために建てたものではない。

 

 ここで、クイズである。

問1 ルイ16世はルイ15世の子供である?

 答えはNOのようである。(ポーランド王女が生んだ男子の子、つまり孫が正解)

問2 ルイ15世の子供は、なぜ即位しなかったのか?

 答えは、ルイ15世が王位にある間に没してしまったようである。

 <詳しくは、世界遺産を見てください。>

 

 という息抜きはこれくらいにして、この城は、大きいものではなく「端正で瀟洒な作り」とされているが、ベルサイユ宮殿の豪華な作りを見てからここに来ると、「瀟洒」というより「静かな寂しさ」が伝わってくるような気がするのである。

 ところで、建物の周りや中に様子が気になるところであるが、相変わらず例のガイドが訳知り顔に説明しており、小生も人間が小さいため反発心がメラメラと起こり、聞き逃してしまった。とはいっても、調度品や肖像画などは、ちゃんと撮影してあります。

 

 

 まず、プチ・トリアノンの建物の中ですね。

 

 次に、建物周辺の様子です。中の見学が終わってから正面から見て右側に向かいますと、公園や幻の農家住宅などが見られます。

 

<建物の右側にある公園>

 

<プチ・トリアノンの裏側>

 

 以上がプチ・トリアノンの見学の内容である。

 さて、小生は、ここの見学が終わると「本日の日程は、すべて終了しました。」となり、パリのホテルに行くものとばかり思っていたのである。

 ところが、バスは、ホテルに直行しないでJTBと提携している「免税店」に行くというので、「あっあー、またか!」と思ったのである。

 しかし、これが良かったのである。この店に行く途中に「コンコルド広場」「オルセー美術館」「ルーブル美術館」などがあったことから、その位置を実感として確認できたからである。

 さらに、免税店があるとおりの正面には、「オペラ座」が見えており、もっと良いことは、オプショナルツアーの集合場所である「マオイバス社」が目と鼻の先にあったことである。

 また、この一帯には、日本人が経営していると思われる中華料理店、うどん・そば店などが集まっていたのである。

 

<正面の建物がオペラ座>

 

 この後、パリの街を散策するため、この免税店でバスを降りた家族もあったが、私たち夫婦は、バスでホテルに帰ることにした。

 「ホテルは、ここから近いのでは?」と考えていたのであるが、これが大間違いであった。               しかし、これがまた幸いし、12年前のパル見学の苦い失敗(夜のパリを楽しもうと歩いてホテルに向かっていたが、方向が分からなくなり、もう少しで迷い人(迷子)になるところであった。)を思い出したのであるから、面白いものである。

 というのは、バスの向かっている方向がセーヌ川沿いで「エッフェル塔」の姿や、12年前に宿泊したホテルを見たことによって鮮やかに記憶が蘇ってきたからである。

 私たちが今回宿泊したホテルは、12年前のホテルよりもさらに郊外にいったところにあったが、近代的な高いホテルであった。(ソフィテル パリ ド セーブル)

 

<パリの象徴エッフェル塔>

 

 さて、この日は、オプショナルツアーに参加する方々を添乗員のKさんが「マイバス社」まで案内することになっていましたので、私たちもこれに便乗して地下鉄の位置(乗車駅名バラード)や乗り方、さらには「オペラ駅」から「マイバス社」までの歩き方を実践することができたのである。

 

 パリの地下鉄は、日本の地下鉄よりもずっと分かりやすくなっている。

 パリも東京のように多くの地下鉄が走っているが、「銀座線」のような名前ではなく、「7」「8」「C]というように数字や記号を使っており、上下線の区分も終点の駅の頭文字(バラードならB)となっており、これを覚えておけば、(「8」番の「B」方面のホームに降りる。)自分が行きたい駅に向かうことができるのである。

 

 ところで、本日の夕食は何だと思いますか?

 「ご自由にどうぞ!」であったので、オペラ座通りの横道にある中華料理店に行って食べることにしたのである。

 店の名前は忘れてしまいましたが、久しぶりに味わう日本食?(経営者が日本人)に期待が高まりました。

 二人が頼んだものは?

 愛妻は「五目ラーメン」、小生は「醤油ラーマン」だったかな?

 それに、二人で「餃子」を一皿注文したのであるが、残念がら撮影していませんでした。

 問題は味であるが、吸い物は日本のものと変わらないが、麺が違いすぎました。

 見た感じは良いのですが、味はなんと表現したら良いのか?「水分がない粉の麺?」「腰がないうどん?」のようですが、適当な言葉が見つかりません。

 「餃子」の方は、日本のものと同じようでした。

 それでも、二人は十分満足しながら久しぶりの味を堪能したのである。

 

 その後、二人は、この通りを散策しながら「オペラ駅」や駅近くの日本のデパートが入っているビルの位置を確かめるなど、パリの雰囲気を十分楽しんだのである。そして、乗り方を覚えたばかりの地下鉄でホテルへ帰ったのである。

 

◆◇◆旅行記N.o7の終了◆◇◆

 

 これにて「パリから行く小さな旅のNo.7」の終了です。この続き、7月22日の自由行動(オルセー美術館やディナークルーズなど)については、No.8としてお伝えします。 

 

◆◇◆旅行記N.o7の終了◆◇◆