小学3年の秋
父の会社の建て替えと共に
工場内に社員寮と私達家族の家を作った。
私は
のんびりの板橋区から
大手企業の社宅が集まる豊島区へ転居する事になった。
活発な女の子の多い
新しい小学校は
結局卒業まで馴染めなかったし
若い工員さんと同じフロアーで生活するのは、
緊張が抜けず安らぎの我が家にはならなかった。
そうとはいえ、
楽しみだったのは会社の手伝いだった。
寮のエリアにある広いキッチンでは
住み込みの賄いさんが
朝昼晩と食事の用意をしていて
それを見るのは楽しかった。
通いの社員さんの昼食は
会社で仕出しを頼む。
沢山の弁当を食堂に並べるのも
ままごとの延長でワクワクした。
誰もいなくなった食堂で
学校では気が弱くて触れない黒板を使い
思い切り先生の真似をした。
夕方5時になると
工場のベルがなる。
母に頼まれ
得意気な顔で
残業何名ですか~と聞いて回る。
広い工場だか
鉄板が積まれ、その角はみるだけでおっかない。
ぶつかりそうにない距離でも
鉄板の脇を通る時は
自然にお腹を引っ込める。
そして
残業の人数が確定すると
近所のマナーベーカリーに出向く。
「おばちゃん~今日は、12人です~」
マナーさんは
食パン1本を持ち上げて
スライサーに乗せるのだ。
心地よく
パンは一枚一枚はがれていく。
多いときは2本分の食パンを切る。
そして
イット缶に入ったバターが大きなヘラで塗られる。
ピーナツバターやイチゴジャムもだ。
それをサンドして
一本分をビニール袋にもどす。
残業が始まるまでの休憩に工員さんが食べるんだ。
中学を卒業して
上京してきた工員さんがほとんどだ。
あの頃は
おそらく20代前半かもしれない。
あっという間に平らげて
残りの休憩時間は
漫画を読んだりキャッチボールをしたり。
70年代に入った昭和の真っ只中、良い時代だったんだろうと思う。
父の会社の建て替えと共に
工場内に社員寮と私達家族の家を作った。
私は
のんびりの板橋区から
大手企業の社宅が集まる豊島区へ転居する事になった。
活発な女の子の多い
新しい小学校は
結局卒業まで馴染めなかったし
若い工員さんと同じフロアーで生活するのは、
緊張が抜けず安らぎの我が家にはならなかった。
そうとはいえ、
楽しみだったのは会社の手伝いだった。
寮のエリアにある広いキッチンでは
住み込みの賄いさんが
朝昼晩と食事の用意をしていて
それを見るのは楽しかった。
通いの社員さんの昼食は
会社で仕出しを頼む。
沢山の弁当を食堂に並べるのも
ままごとの延長でワクワクした。
誰もいなくなった食堂で
学校では気が弱くて触れない黒板を使い
思い切り先生の真似をした。
夕方5時になると
工場のベルがなる。
母に頼まれ
得意気な顔で
残業何名ですか~と聞いて回る。
広い工場だか
鉄板が積まれ、その角はみるだけでおっかない。
ぶつかりそうにない距離でも
鉄板の脇を通る時は
自然にお腹を引っ込める。
そして
残業の人数が確定すると
近所のマナーベーカリーに出向く。
「おばちゃん~今日は、12人です~」
マナーさんは
食パン1本を持ち上げて
スライサーに乗せるのだ。
心地よく
パンは一枚一枚はがれていく。
多いときは2本分の食パンを切る。
そして
イット缶に入ったバターが大きなヘラで塗られる。
ピーナツバターやイチゴジャムもだ。
それをサンドして
一本分をビニール袋にもどす。
残業が始まるまでの休憩に工員さんが食べるんだ。
中学を卒業して
上京してきた工員さんがほとんどだ。
あの頃は
おそらく20代前半かもしれない。
あっという間に平らげて
残りの休憩時間は
漫画を読んだりキャッチボールをしたり。
70年代に入った昭和の真っ只中、良い時代だったんだろうと思う。