7歳の時、可愛い可愛い最愛の息子が急性リンパ性白血病になった。
治療しないと1週間と言われた。
がん化した白血球が腎臓に詰まって腫瘍崩壊症候群となり死に至ると。

私は医療従事者であったが、医者の説明が中々頭の中に入ってこなかった。
しばらくしてパニックになり涙が溢れてきた。
何と恐ろしい事を平然とこの女医は言っているのか?怒りと言うか、よく分からない感情だった。
その後も病名を決定づけるために早急な検査が必要で、検査内容などの説明、小児がんの抗がん剤は使用量が多いので血管以外に漏れると周りの組織が腐ってしまうので太い静脈に持続投与が可能なカテーテルを入れる手術が必要などの説明がなされ、、、、、
きっと恐ろしい内容だったと思うが私にはドラマの1場面の様で他人事の様でぼーっとその場に同席していた。


私の愛する息子がガン???
その数ヶ月前に父が肺がんで大変な手術をしたばかりであった。



その後の1週間の記憶は実はほとんどない。
気がつけば2010年が2011年に変わっていた。


治療が直ぐに始まりサラサラの髪は
正月にはまつ毛すら一本も残っていなかった。
元々色白だった皮膚は透けて向こうが見えるくらい白いと言うより透明に近かった。
全身は腎臓の目詰まりを防ぐために大量に点滴が入った為、パンパンに膨れ上がり
手のひらは指との境がなくドラえもんの手の様になっていたことだけは記憶に残っている。


沢山の戦友を亡くした。


あれから13年。
息子は今尚、通院しているが、、、
現在は白血病の治療ではなく、大量の抗がん剤や放射線治療による別のガンが発症していないか?もちろん、現状把握もあるが他の器官への障害や副作用がないか?などの経過観察及び管理のために年に数回受診して診察してもらっている。多分、死ぬまで何かしらの管理が必要なのだろうと思う。


後遺症が出たとしても、命を繋げることが最優先だった。
その甲斐あって彼は今も私の息子として生きてくれている。このことが何より大切なのだ。


先日、同じ境遇の仲間が集う小児がんのピアサロンがあった。私も、保護者側の集いに参加した。思うのは発表が7歳であれ3歳であれ、
10年経っても20年経っても当時は鮮明に思い出され不安は尽きないと言うこと。


今日の血液検査が異常でありません様に。
先生が診察の中で、ん??と思う変化が
ありません様に。


変わりないですよ^ ^
と言われて当たり前なのですが、、、
何度経験しても息子の受診には緊張します。



そして息子の夏休みも残りわずかとなり彼は今週末祖父母の家に戻ります。



何で楽しい時間は、こうも早く過ぎるのか?
過ぎるから次回会えるのが楽しみになるのだろう。



私の大人の夏休みも残り少なくなりつつある。



酷暑だった2023年の夏も段々秋めいて来るのだろう。そして今年が終わる。

早いな
本当に早い。

さて準備開始としますか^ ^