こちらは10数年ぶりなのは確実

今読んでも魅力的な登場人物たちに、あらためて感情移入しつつ夢中で読み進むうちに、フツフツと腹も立ってくる


宝塚でこの両作品を舞台化した時の脚本・演出の植田紳爾に対して、あらためて猛烈に



原作の持つ華やかで甘やかな切なさ、漫画の中でしっかりと息づく登場人物たちの魅力、なんにも再現できてない

再現するどころか卑小に歪曲していると、以前からとっくに分かっていたことではあるけど、自分の大事なご贔屓がベルばらの主要人物を演じている!という薔薇色のフィルターが今は無いだけに、ひしひし

なんで原作の素晴らしい場面をうまく使えなかったんだろ…
少なくともベルばらで、特にアントワネットとフェルゼンを描くバージョンだったら‘ヴァレンヌ逃亡事件’は絶対に入れるべき(昭和のでは有ったらしいが)
あと、フェルゼンへの恋心を絶ちきるためにオスカルが一度きり、ドレスを着て…という場面は必須。
宝塚だからこそドレスも華やかな舞踏会場面も再現できるはずなのに、なんでやらないの?!
ジャンヌやポリニャック夫人、黒い騎士ののエピソードも必須だと思う
なのに、要らない場面は無駄に長く時間とってる。
悶絶(モンゼット)や失神(シッシーナ)とかのけたたましい場面、
駐フランスのオーストリア大使であるメルシー伯爵(女帝や皇帝の名代。フェルゼンより明らかに格上)がフェルゼン邸にこっそり忍び込み、フェルゼンに長々と説教垂れるかと思えば大使という身分でありながらフェルゼンに土下座せんばかりに懇願する場面とか、
‘ルイ・オーギュスト・カペーは先月の1月22日に処刑された’とベルギーとフランスの国境地方の農民(!)がフェルゼンとジェローデルに革命の情勢を滔々と語るとか、おまけに2月の北フランスの服装にしちゃどえらく薄着すぎるし、とにかくこの場面は設定が全てオカシイ


究極に紳士であるはずのジェローデルがオスカルを殴り付け…ありえないっ


植爺の根底には根強い男尊女卑な考えがこびりついているんだなと…よりによって出演者は女性だけ!の宝塚歌劇団でそれってアリ?!
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アンドレ戦死の場面、名場面みたいに言われてるけど、あれは酷いよ。
誰も護らず何故か橋の上で無駄に…蜂の巣状態に撃たれまくって、オスカルは橋の下でたった一人の拘束(ベルナールだったりジェローデルだったり…ベルナールのほうがまだ自然かも)を振り切れないで、ただ泣くだけ。
本気で振りほどこうとしたら出来るって…
原作では戦闘中に(結核の発作で)咳き込んだオスカルにドイツ人騎兵の銃が向けられたのを察したアンドレが、自分が盾になってオスカルを護って撃たれてしまったのっ

酷い演出だ!原作への冒涜だと思いながらも、朝香アンドレと立樹アンドレの時だけはダーダー泣きながら観ていたけど…
原作ではあり得ない傲慢かつ嫌みでひがみっぽいフェルゼンの姉だったり妹が出てきたり、国王のお祝いの席で剣を抜いて闘っちゃったり唄っちゃったりなスウェーデンでの場面も全部要らんわー
アントワネットの牢獄の場面も好きじゃない…あそこはフィナーレナンバー(ベルばらの黒燕尾は良いので)に向けての休憩場面だわ、私。
男尊女卑で原作を正しく読めない上に植田紳爾って日本語オカシイし。
例えばね、フェルゼンがオスカルに
‘そんな酷いことは言われないはずだ’
と言う台詞が宝塚版ではあったけど、
自然な標準語であれば
‘そんな酷いことは言えないはずだ’
なのよ。
普段から大阪弁の植爺、まず台詞を大阪弁で
‘そんな酷いことは言われへんはずや’
と思い浮かべて、それを植爺が標準語だと思い込んでる(でも、間違ってる)言葉に無理やりスライドさせてるから変な事になってるんだと思う。
あと、フランスだというのに
‘釈迦に説法’
‘ごまめの歯軋り’
とか呆れちゃうよね

再演を重ねる度、特にオスカルとフェルゼン(ジェローデルもジャルジェ家の皆も全員が!だが)の人格が原作とはかけ離れ、本当のオスカルやフェルゼンだったら死んでも言わない、しないような事を平気でさせるんだよ

観る度にストレス溜まるばかりで、粗捜しに燃えてしまうような残念な観劇ならしないほうが良いよね。
来年の再演はテルだわ宙だわオスカル編(一番、原作の破壊度が凄まじい。アントワネットは出てないし)だわで元から観る気は全く無いけど、それ以降のも植田紳爾作品は、金輪際

植田紳爾作品は、観る価値が見つからない。
かなり以前ので「春ふたたび」「愛のカレードスコープ」「愛あれば命は永遠に」など好きな作品もあったし、一本だて作品のフィナーレナンバーの演出だけは上手いかも、と思った事も過去にはあったけど。
もう20年くらい前から老害でしかない

私の宝塚のベルばら初観劇は、平成最初の再演の一番手の1989年の雪組公演の宝塚大劇場初日。
「アンドレとオスカル編」ね。
朝香じゅん(ルコさん)がフェルゼン役で特出だったので、その直前の花組公演「ロマノフの宝石/ジタン・デ・ジタン」の千秋楽を観に遠征したままムラに滞在。
硬派なベルガー大尉を演じた数日後にはベルばらのフェルゼンてどうなるんやーとドキドキしたなぁ。
初見から宝塚のベルばらってベタベタに湿気た飴細工に醤油と味噌を塗ったくったような変なクサさがむず痒くて嫌だった。
登場人物の話し方ひとつとっても原作と大違いで、特にオスカルやアンドレの粘っこさったらもうね

ルコフェルゼンについては原作のフェルゼンのカッコ良さと気高さと精悍さとが、原作を歪めて言わされたおかしな言い回しな台詞を超えて見事に体現されていたから、フェルゼンとアントワネットの場面は浸れた。
アントワネットのニナちゃん(仁科有里)の大芝居っぷりは初めは引いたけど、優雅さとフェルゼンに恋い焦がれる様子は素敵だと思えた。
鮎ちゃんの可愛く健気なロザリーの存在も救いだった…最近のバージョンでは脚本が酷すぎて説教臭くて妄想族な変態ロザリーに成り下がってるけどね
平成からのは本公演は全部観てるし、全ツも外伝も色々と観てきてて思うのは、私が生で観たベルばらではまだ平成最初のは一番マシだったうちの1つなのね。
(あとマシだったのは89年の星と、90年の花の東京バージョンの1幕と、外伝のベルナール編)
植田の爺さんじゃなく、柴田先生にベルばらの脚本も演出もして頂きたかったな…
「アンジェリク」「大江山花伝」「紫子」など木原敏江作品を舞台化して原作ファンも満足する仕上がりで大成功されてるのは柴田先生。
本当に、残念でならないわ…

さらに残念なのは、唯一、植爺と歌劇団に正式に抗議できる立場の池田理代子先生が全然お構い無しでいらっしゃるのが…
先生は一度世に出した物をあらためて読み返す事はなさらないサバサバした方だそうだからと
聞いてはいるけどね…
でも…うぁぁ





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