昔の話しです。
真面目な中三の受験生だった頃…
受験勉強をしながら深夜放送を聞くのが流行った。
ラジオを聞きながら勉強する。
俺には無理なことだった。
同時に二つの事が出来ない性格の俺は勉強をした振りをしながら深夜放送に夢中になってしまったから…
第一志望には落ちてしまったが
見事新潟明訓高等学校に合格した
深夜放送はオールナイトニッポンやパックインミュージックなどの関東の放送の他に曜日や時間帯によっては関西の放送も聞いていた。
ラジオから流れる日頃聞いたことのない関西弁が妙に気に入ってしまっていた。
明訓高校の二年生の2月の今頃に大阪で産まれた女と知り合いになった。
明訓高校のそばに川○屋と言う食堂がありそこで働く女の人たちは…
何か悪いことをして普通の生活が出来ないので集団生活をして昼間はパートにでて すこしずつ普通の生活に慣れて行くみたいな施設に その大阪で産まれた女もいた。
18になるまでその施設で暮らしていたが…
18になって直ぐに関屋にきったねえアパートを借りた。
何回かお世話になったが…⁈
髪の毛を金髪に染めていたその大阪で産まれた女は地方都市の新潟では目立ち過ぎて悪い男に騙されて新聞に載るようなゴタゴタに巻き込まれてまた違う施設に入れられた。
やがて施設を出てきて喫茶店で働いていたんだが…
そこのマスターと一緒になり今は金沢にいるらしいと風の噂で聞いた。
昨日テレビで大阪が舞台の勝新太郎の悪名を観たから大阪で産まれた女を思い出した。
追伸
ボロの大阪で産まれた女は時々カラオケで歌うことがある。
本当は大阪で産まれた女は凄く長い歌で30分くらいの歌である。
高校時代に付き合っていた男が 夢を追いかけて卒業して直ぐ東京へ行ってしまう
大阪で産まれた女は進学していたが…
夢を追いかけて上京した彼を追いかけて
立教大学の近くのアパートに移り住み
二人で一生懸命に夢をつかもうと頑張るがなかなか目が出なく
数年後大阪で産まれた女に母親から手紙が届いた。
もう夢を諦めて大阪に帰ってきなさい
大阪で産まれた女は二人の夢を追いかけることを辞めて大阪に帰ってしまう。
やがて新しい恋をして子供にも恵まれる。
そんな頃に夢を追いかけて上京した男が夢をつかんだと知った。
大阪で産まれた女は東京で夢をつかんだ男に青春時代を楽しく過ごさせてくれてありがとうございました。
これからも大阪で応援していますよ。
っていう歌なんですよ。
知ってましたか?
本日は長々とありがとうございました。