無常の虎 | 夢幻界裡の覚醒

夢幻界裡の覚醒

     ~ 僧侶の毒舌ブログ ~
浄土真宗親鸞会 高森顕徹先生に感謝します。

飛●氏いわく。
 
>  ”無常の虎”とは何?
> 
>  ”無常の虎の譬え”は、親鸞会の会員なら誰でも知っている内容ですが、
> 
>  真宗界では誰も知りません。

 
 
 
 
一事が万事、飛●氏の文章を読んでいると、お遊戯を見ているようである。
 
 
 



残念ながら飛●氏の自信あふれるウソの断言は、
 
2つの無知の暴露と、お粗末な信仰の告白である。
 
 
 
無知の1つは、飛●氏自身が知らないということ。
 
無知の2つは、「無常の虎」は、真宗界のみならず、
一般学者でさえ知る人があるということも知らないこと。
 
恥じ知らずの恥じかかず、と言ったところだろう。
 
 
 
「衆経撰雑譬喩」「仏説譬喩経」などにみられる「黒白二鼠の譬え」は、
 
古来、文字通り「白黒の鼠」(無常)に焦点がおかれて、
 
中国、韓国、日本、ヨーロッパなどで、様々に引用されている。
 
 
 
中国では、沢山の漢訳仏典に引かれてあるし、
 
「敦煌願文集」にも多くあり、墓誌銘にも刻まれている。
 
韓国では、高麗時代に仏典から引用された書物は比較的有名だろう。
 
 
日本では「万葉集」や聖武天皇の「雑集」、
 
中世以降には「和漢朗詠集」や「古今集」などに引かれている。
 
 
インド → イスラム → ヨーロッパという経路でも広がっている。
 
 
 
 
多岐にわたるそれらの内容は、「仏典の説話」とされながらも、
 
登場するものは、地域によって変化しており、
 
たとえば旅人を追いかける悪象は、
 
「虎」や「ラクダ」や「一角獣」などもある。
 
共通しているのは「白黒の鼠」だけである。



Photo



 (これは、本願寺派のもの)
 
 
 
「仏典」というからには「仏典」の通りでなくてはならないが、
 
「仏典の通り」とは、「教えが」である。
 
どんなに、固有名詞をすべてそのまま使っていても
 
飛●氏のように「教え」を間違えていれば、もはや仏教ではない。



 



 
たとえ単語が異なれど、「教え」を正確に伝えるのが善知識の為されるお仕事だ。
 
 
 
逆に、絶対に言葉を変えてはならないのであれば、伝えることは不可能。
 
そもそも、サンスクリットと中国語は異なる。
 
中国語と日本語も異なる。
 
価値観が多種多様に異なる文化の壁というものがあるから
 
同義語と言われる単語に翻訳しても言葉のニュアンスは必ず変化する。
 
それらに応じて言葉が様々に変換される。
 
誰でもできるワザではない。
 
 
必要に応じて自由自在に言葉を変えながら、
 
それでも寸分たがわず釈尊の御心を継承されているのが
 
深く尊き善知識の教えというものである。
 
 
 
事実、仏典のお言葉自体は、
 
翻訳本によって様々に異なっているのは常識だ。
 
 
 
象と虎とラクダは、動物としてはあまりにも異なるが、
 
善知識が、譬え話しとして説かれる時には、
 
正確に伝承することができるのである。
 
 
 
極端な話しだが、
 
猫に極楽浄土を説くときには「宮殿楼閣みな鰹節」
 
と昔から言われるのがそれである。
 
 
 
金銀瑠璃赤珠碼碯と鰹節ではあまりにも異なる。
 
 
 
 
善知識方は、阿弥陀仏の御心を御存知で、
 
それ一つを示される仏陀のお言葉のお心を、
 
正確に頂かれ、ご指南くださるのである。
 
それほど崇高なものが善知識の教えであり、宗祖の一流であるが、崇高どころか



 



「この基本的なことを踏まえれば、親鸞聖人の教えは実に簡単なのです。」



こんなことを、平気で言ってのけている飛●氏には、理解不能は当然だから、



説教本で象を虎としているものがあることを知っていても「創作」としか読めず、
 
言葉を変えた途端に「お釈迦様よりも偉いのか」となる。



そのようにしか受け止められない、飛●氏の信仰がお粗末というのである。



しかも、それで間違いでも指摘したつもりで力んでいなさるから目も当てられない。
 



そんなに軽い、実に簡単なものは、並ぶ言葉は飛●氏の思想であって、仏教ではない。



 
善知識を尊く敬い、仏陀の御代官と心得て聞かせて頂くのが仏教。当たり前のこと。
 
 
 
飛●氏にとっては、「悪象」が「虎」になっただけで、
 
もはや、それでも変わらぬ教えの存在も、そういう信じ方も、
 
理解不能、ありえないのだろうが、
 
 
自身がそうなのは、致し方ないとして、
 
皆そうだと思ったら大間違いだ。 



 



>  真宗界では誰も知りません。

思い込みも甚だしい。
 
 
 
さすがはご承知の本願寺の諸学者は、
 
飛●氏のような愚かな断言はしないのである。
 
 
 
そういえば飛●氏は、
 
私を他の誰かと勘違いして、
 
確かめるわけでもなく断言していたので、
 
少なくとも私にとっては、
 
「飛●氏は思い込みが激しく、根拠もないことを平気で断言しているひとだなあ」
 
と思っている。
 



そんなことよりも、謗法を重ねる飛●氏の後生は大変である。
 
 
 
 



  南無阿弥陀仏
 
 
 



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