人生100年といわれても

あっという間です

 

まだそこまでは

達しない今でも

子供のころに感じていた100歳と

今感じる100歳とでは

距離も趣も、全く違う

 

100歳は寿命の例えとして

表現しています

 

誰もが

生から死の過程を

赤ちゃんが大きくなり

やがて年を取り

寿命の結果

死を迎えると信じています

 

事故や余程の何かが、ない限り

そうに違いありません

 

そして

生から死へ流れる水は

色や味わいは変化するのですが

誰もが、多くの人が

それを知りません…

 

知っているのに

知らないふりをする…というのが

正かも知れません

 

それは、死は怖いもの、と

脳が信じているためです

 

人はいつか死ぬ、と知っている

知らない人はいないのに

その必然が

怖くてたまらない

 

肉体に宿った魂は

死が本来の自分に戻る過程だと

すっかり忘れているのです

 

でもそれは

無駄な忘却ではありません

 

忘れるからこそ

肉体の体験を

リアルに味わえたのですから…

 

半世紀を過ぎ

子供の時より

死に近づいている今

 

生死についての考えが

少しづつ変わっています

 

死は当たり前

それが腑に落ちると

日々が大切になります

 

死は当たり前

そんな覚悟ができると

いろいろな意味で

自分が愛しく大切に思えます

 

そして

ふとした時に

一瞬に詰まった永遠を

感じることができます

 

肉体で感じる永遠なので

100%ではないのは承知ですが

それでも

今まで感じたことのない、この感覚は

意識が広がったんだと

理解できます

 

年を取るという事は

高い視点に立つ権利だと

つくづく感謝が湧きます

 

80歳の世界は

どんなふうに見えるのだろう…

少し興味が湧いてきました