謙虚さがないと困難は乗り越えられない

 

うまくいかないことがあったとき、根本的に自分に謙虚さがなければ物事はいい方向へと進展していかないことが多いように思います。

 

経験的に、不具合がありそれを引きずった時、過去への怒りを持ち続けるか、

今うまくいかないことをひたすら嘆き、怒りのエネルギーをもって克己するかのどちらかの場合が多いような気がします。

 

第一に引きずるなということは不可能です。その言葉自体、過去の出来事を意識しているからです。

 

自分を責めることも間違いです。

 

だとすれば、過去の出来事は出来事として認め、犯人捜しをやめ、今この瞬間から謙虚に物事を追求していくしかありません。

 

▼怒りを感じるのはある意味、進展しているから

 

おそらく事件が起きた瞬間は本当の意味で怒りを感じられなかった場合が多いと思います。混乱の中で本当の感情が抑制されることがあるからです。

自分の中に心から怒りがわいたとき、自分の感情を素直に認めたことになります。

そして、それは次のステップへ向けて感覚が敏感になっている証拠だともいうのです。

 

ただ気を付けなければいけないのは、意識が暴走しないことです。

怒りの意識は長く持ち続けると悪い影響を及ぼします。

なので、それらの感情がわいているときはあえて、社会との接点を持ち、良識的な環境の中で謙虚にそれを消化していくしかありません。

 

一方、あなたの理解者は必ず存在します。また理解されなくてもそれはそれでいいのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

毎年この時期になると、大学入試の話題が出てきます。

私たちの時代はセンター試験でした。(その前は共通一次)

現在では共通テストという言い方に変わり、話題に出した瞬間に言い方で歳がばれそうです。

 

学生さんは1週間前でドキドキだと思います。けれども、みな毎日勉強してきました。

必ず結果は現れてくると思います。

 

学生さんが頑張っているのだから自分たちも頑張らないといけません。

最近は勉強というところから離れてしまった気がします。

一日5分でも15分でも効果はあると聞きます。

当たり前ながらやった分だけ効果はあります。

 

学生の頃、部活動であんなに疲れたのに、課題をしていたのに、社会人だから勉強ができないという理由はないような気がします。

おそらく気持ちがないのだと…

 

疲れたときは、あの人たち(学生)も頑張ってると思い

克己してみたい2022年です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「昭和の男性」という括りはちょっとグサリとくる

 

とある女性国会議員の言葉に「昭和の男性」が考えるべきことという表現が使われていた。女性蔑視をするのは昭和の男性という意味でのことと思われる。この言葉、どこか引っかかる。女性蔑視の考え方の根源は昭和の男性なのだろうかと。

 

「男女を論ずることなかれ」という教えは実は昭和以前にもあったはずで、昭和の男性がそれを推し進めてきたわけではないし、今も昭和生まれの男性が女性のことを考えていないわけではない。この政治家は「昭和の男性」という言葉を使うことによって、男性を敵対視するような構造を意図せずか作っており、場合によっては女性票のための言葉としか取れないようなとらえられ方をするのではないかとも思われた。

 

どちらが悪いというのではなく、男性も女性もともに問題に取り組んでいける世の中でなければ、本当の意味で男女平等は実現していかないのではないだろうか。